プロローグ 2
次郎は地元の高校を卒業して、すぐに上京した。高校は地元でも比較的偏差値の高い所に入ったが、県内で一番偏差値の高い国立大には不合格だった。母は浪人を薦めてくれたが、件の国立大に現役で合格した優秀な兄への反抗心から、「東京で働く!」と言って家を飛び出したのだ。
東京は誘惑の多い所で、職を転々としながら自堕落な日々を送っていた。トラブルをよく起こしながらも、見た目の良さと持前の愛嬌で危機をしのいで来た次郎は、ある人物との出会いがキッカケで人生が大きく変わる。
22歳の時、外苑前のバーでバーテンダーをしていたところ、銀座の一流テーラーの息子だという男に出会った。最初は「いけすかない」と思っていた次郎だったが、男は次郎に好感しており(後にこの男に想いを告げられ、次郎とは一悶着あるのだが)、スーツをプレゼントしてやるから店に来いと誘ってきたのだ。
日本人離れした骨格の次郎のスーツ姿は惚れ惚れするほどで、男の父で、銀座の有名なテーラーである木原も満足げであった。更に次郎は抜群のセンスを持っていた。“君は服の色選びが品があっていい。本物の生地を見分ける力もあるみたいだね”と木原は笑顔を浮かべる。
“ええ、実は服は結構好きなんです。自分で勉強はしたことがないので、我流ですけれども”と控えめに謙遜する次郎に、木原は“それはもったいない”と零した。
“もし今仕事を探しているというなら、うちの仕事を手伝ってくれないかい?好きな事を仕事にしてみるというのもいいものだよ”
木原からの願ってもない誘いに、二つ返事で次郎はお礼を言った。こうして始めたテーラーでの仕事は、木原の息子から想いを告げられこじれるまで、数年続いた。初めて「定職に就けた」のだ。
海で荒くれ者とも渡り歩く武骨な父や兄とは対照的に、身体が弱く色白の少年だった次郎は、母や近所の幼馴染の女の子と過ごすことが多かった。それでも泳ぐ事だけは大好きだったので、健康優良児へと育っていったが、顔も整って中性的だった次郎はよく母や近所の女の子からままごとや着せ替えをさせられた。
特に母は田舎では珍しく東京の服飾系専門学校の卒業で、父と結婚して地元に帰ってくるまでは一流ブランドのブティックで働いていたこともあった。田舎には珍しい都会的なセンスは、「気取り屋」と陰で揶揄されることもあったが、次郎の母は自分のセンスに自信を持っていたし、服にはこだわり続けた人だった。
そんな母を次郎は尊敬していた。ガタイが良くて粗野な父や兄よりも、都会の風を吹かし、颯爽と砂浜を歩く母の後ろをいつも次郎は着いて歩いた。それが兄から嫌われるところでもあったのかもしれないが、母親の背中を見て育った次郎は、小さい頃は服飾デザイナーを夢見ていた。
今思えば次郎の東京への憧れは、母への尊敬から来ていたのかもしれない。
だが母も体調を崩し、次郎が東京に出てきて3年目の時に亡くなった。唯一の味方を亡くしてしまった次郎にとって、その喪失感はとてつもなく大きかった。自暴自棄が続いた頃、ひょんなことから銀座の一流テーラーで働くことになったのは、ブティックでプライドを持って勤め上げた母を彷彿とされるような、運命的な出会いだったのかもしれない。