中編
そうして大なり小なりあれこれ手を尽くした私は、記憶を取り戻してから九年後の十五歳で学園へと入学した。
もちろんすべてが順調なわけではない。
私の記憶にない熱病が国に流行し、それを当時十三歳だったお兄様が特効薬を見つけ出して大活躍した事によって、若干私と殿下の婚約が強固になりそうな気配があったが、それはお兄様に私が婚約破棄を狙っている旨を告白し、お兄様を完全に味方に引き込む布石になったと思えば差し引きゼロである。
それにお父様もお兄様を後継者として認めたのか、よく二人で話し込んでいる姿を見かけるようになった。原作ではマリエルとの仲程険悪ではなかったが、ザ・仕事人のお父様は子供への興味が薄かった。それが今では私に領地経営を押し付け、お兄様と楽しそうに薬草の話をしているのだから、私は執務室の扉の陰からハンカチ噛みしめてギリィ状態である。
そんな小さなアクシデントもあったが、リリーも無事、男爵家へ引き取られ男爵令嬢として入学してくるはずである。アンから届いた手紙に書いてあったので大丈夫、なはず。私の教育係と同じ教育係をリリーにもつけさせたので、貴族のマナーや学問にも不安はない。後は無事に殿下との出会いイベントを済ませてくれれば仲は進展するんじゃないかな。
と、楽観的に考えていた時もありました。
「マリエル、どうした。変な顔をしているぞ」
「淑女に変な顔とは失礼です」
「全くだ、マリーはどんな顔でも可愛い」
「ありがとうございます、お兄様」
「べ、別に可愛くないとは言ってないだろう!」
食堂で殿下とお兄様と昼食をとりながら、ゲームのイベントを必死で思い返す。しかし何分マリエルと覚醒する前の記憶、あの最高のスチルは色褪せなくても、他の細かなイベントの記憶がおぼろげになってしまっている。何故メモをとっておかなかったんだ、私!
学園に入学して早三日。いまだに殿下は私の隣に平然といるし、リリーのリの字も出て来ない。私のうすぼんやりとした記憶では、すでに殿下はリリーと出会っており、リリーは元平民だからといじめられてそのリリーを助けて……って、いじめるてるのって私じゃない! そりゃイベント進まないわ! いじめてないもの!
私は急いで、でも美しい所作で、残りの昼食を食べ終える。それからついて来ようとしたお兄様と殿下を断り、一人でリリーを探しに行く。見つけてどうしようなんて考えてない、とにかく今のリリーの状況を確認したかったのだ。
ところがリリーがいる筈の教室に、リリーの姿が無い。クラスメイトらしき令嬢にリリーの行方を尋ねると、彼女は躊躇いがちに視線を外してもごもごと答えない。
その反応に嫌な予感を駆られた。
私は雲のように靄がかかった記憶を手繰り寄せながら、校舎を飛び出す。悪役令嬢マリエル・メレバーは、一体どこでリリーをいじめていたのか!
「メイドの娘の癖に、生意気なのよ!」
そんな声が聞こえてきたのは、校舎の陰にひっそりと建つ物置小屋である。嫌な予感通り、リリーは私以外の令嬢にいじめられているようだ。
「しかも男爵家に引き取られたのはついこの間の癖して、淑女の所作まで完璧なんて、まさかあなた達が男爵様の正妻に毒でも盛ったんじゃなくって?」
「そのような事は、一切しておりません。私と母に、やましい事はなにもありません」
「メレバー侯爵様に拾われたのだって、あなたの母親がうまく取り入ったのではなくって? でも、侯爵様の側室になれないから男爵の下に戻った、と」
「私のお母様は、その様な事はしていません! その言葉は、私達親子への侮辱だけではなくて、メレバー侯爵様への侮辱です!」
「よく言ったわ、リリー!」
木製の扉を勢いよく開けて、中に乗り込む。そこには壁に追い詰められた赤毛の少女と、その少女を取り囲む三人の令嬢が居た。赤毛の少女がもちろん、リリーである。
「今の言葉は、お父様を、ひいてはこの私への侮辱と受け取りますわよ」
「メ、メレバー様! 私達にはそのようなつもりは!」
「ならば早々に去りなさい。私の気が変わらないうちに」
三人の令嬢はバタバタと下品な足音を立てながら走り去っていった。残ったリリーは、私の顔を見るとドレスが汚れるのも気にする素振りなくその場に跪いた。
「メレバー様、申し訳ございません」
「ちょ、ちょっとリリー、なぜあなたが謝るのよ、ほら、立って。ドレスが汚れるわ」
リリーがゆっくりと立ち上がり、ほっと安堵すると同時にしまったと自分の口を押える。
「ご、ごめんなさい、スカーレット様。馴れ馴れしくお名前で呼んでしまうなんて」
「いえ、メレバー様。リリーと、そう呼んでいただけて私は嬉しかったです。ですから、メレバー様が良ければ、リリーと、そうお呼びください」
「……なら、私の事もマリエルでいいわ」
「それは……」
「じゃあ私も呼ばない」
「……マリエル、様」
「あぁ、リリー!」
照れたように私を呼ぶリリーがあまりに可愛くて、思わずぎゅっと抱きしめてしまう。何この可愛い生き物。ヒロインマジパねぇ。
びっくりしたのか、腕の中で硬直するリリーと私を引き離したのは、いつの間にか現れたお兄様だった。
「マリー、君が急いでいたと聞いたから、心配して探してみれば……何をやっていたんだい?」
理想の「マリエル、お前ってやつは……」と言わんばかりのやれやれ顔のお兄様に、洗いざらいぶちまける。お兄様は顎に手を添える考え事スタイルをすると、一つため息を吐き出した。
「まぁ、想像してない事もなかったんだけど、予想より遥かに進展が早いね。スカーレット嬢はよっぽど優秀らしい」
「当たり前じゃない! リリーには私と同じ教育を受けてもらったんですもの! リリーはどこにお嫁に出しても恥ずかしくない、立派な淑女ですわ!」
誇らしげに胸を張る私に、お兄様はまたやれやれ顔を浮かべ、リリーは恥ずかしそうにうつむく。
「とにかく、校舎に戻ろう。もうすぐ休憩時間が終わってしまう」
「そうですわね。……リリーもし何かあったら、私に言いなさい」
「そんな、マリエル様にご迷惑をおかけする訳には」
「リリー、私達今日が初めて会った日ですけども、あなたはアンの娘。あなたに何かあったら、アンが悲しむの。アンは私にとって大切な人、そしてあなたはアンの大切な人。大切な人の大切な人は、私にとっても大切な人なの」
「マリエル様……」
感極まったのか、涙ぐむリリーに私は微笑む。
そして気づく。
あれ、これ殿下とリリーの出会いイベントだったはずじゃ……。
*
まさかのフラグクラッシャーを起こしてしまった私は、早急に殿下にリリーを紹介する事にした。イベントのような劇的な出会いではないが、このままではリリーと殿下の仲が進展しない危険もある。
そのかわり殿下にはリリーの素晴らしさをこれでもかと力説し、リリーは隣で赤くなり、お兄様と殿下は生暖かい視線で私を見ていた。何故だ。
それから、私とリリーは急速に距離を縮めた。学園のイベントには私は侯爵家の権力を使ってリリーと同じグループになり、周りに「メレバー侯爵令嬢って権力振りかざしてきて感じわるーい」という印象を持たせ、それに振り回されるリリーに同情心を湧かせ殿下との仲を応援する雰囲気を……。
と、思っていたのに、なぜこうなるのだろう。
「マリー様、こちら私が作ったので、お口にあわないかもしれませんが……」
「オレンフェのマフィン! 私、大好きなんです! ありがとうリリー!」
王都の傍にある草原に、学園行事のピクニックにやって来たのだが、リリーは私の好物を調べ上げてとても美味しいお菓子を持ってきてくれた。私のもはや小指の先ほどのゲーム記憶では、本来殿下の好物をリリーが作ってくるはずでは? 覚えてないけど悪役令嬢の好物は絶対ありえないよね?
「マリエル、このガトーショコラ、美味しいぞ」
「それは良かったです、殿下」
同じ班にいる殿下は、私の作ってきたガトーショコラを上品に、しかし独占状態で食べている。このガトーショコラは、甘さ控えめが好きな殿下の好みに合わせて作った。本来のイベントではリリーのガトーショコラと比べられてケチョンケチョンにされるマリエルって構図ではなかったでしたか? 気のせい?
他の班員である騎士団長子息ランドルフ様と宰相子息クリフォード様は驚くほどの空気である。おかしい、攻略対象のはずなのに……。ま、まぁ、リリーとくっつかれると困るので構わないといえば構わないんだけども。
そして周りはそんな私たちを微笑ましく、そして一部はリリーへの嫉妬の視線を向けている。えっと、その視線は殿下と親しい事への嫉妬だよね? ね?
ピクニックだけではない。
運動大会という、身体能力を競う場では、張り切りすぎて足をひねった私の傍をお兄様と殿下が離れない為に全く活躍しないで終わったし、学力テストでは私とリリーが一位と二位を取り「マリエル様の隣に並べて嬉しいです」と可愛い顔で笑ってくれて、三位の殿下が悔しげな顔をしてリリーを見ていて、あの、それはリリーに興味を持ったという事ですよね? ね?
いや、分かってる。本当は気づいてる。
殿下、私への好感度高くないですか?
お兄様の好感度が高いのはいい。リリーの好感度が高いのも、サポートキャラ目指してたからまぁ、問題はない。
でも殿下、あなたは駄目だ。私は婚約破棄してもらってリリーとくっついてほしいの。幸せそうに微笑みあう二人が、リアルで見たいの。あと、王妃にはなりたくない。
「お兄様、相談したい事がありますの」
「……場所を変えようか」
私の表情から察したのか、突然お兄様の教室に現れた私を連れて、人が来ないだろう空き教室へと案内する。教室に入ってからは鍵をかける念の入れようだ、さすがお兄様分かっている。
「どうしたの、僕の可愛いマリー」
お兄様は、二人きりの時はこう言って私を、本当に柔らかな瞳で見てくるのだ。その顔を見ると胸がギュッとしめつけられて、顔に熱があつまる気がした。
「お兄様……私、失敗したみたいです」
「何を?」
「殿下が、婚約破棄をしてくれなさそうです」
お兄様には、私の計画を打ち明けてある。目的が殿下とリリーをくっつけたら萌えるから、というのはもちろん隠しているが。
「あぁ……まぁ、そうだろうなぁとは、薄々感じていたけど」
「子供の頃は間違いなく、殿下は私を嫌っていました。でも、気づいたらあんまり眉間にしわを寄せる事がなくなったし、傍に居たがらなかったのに四六時中くっついてくるし……もしかして、殿下……新たな性癖の扉を開いて……」
「あー、それはあまりに殿下が可哀想だから、否定しておくよ。僕から言えることは、マリー、君が優秀すぎたんだ」
「私が優秀? 自分で言うのもなんですけど、私淑女としては及第点だと思いますわ」
「んー、淑女としてより、政治家として、かな」
「政治なんて、女の私に分かるわけがないじゃないですか」
「帝王学を身に着けて実際に領地経営している君が、そんな事を言ったら大概の貴族は政治が分からない事になるよ」
「え、えぇー……だってお父様が」
「父上は、分かってて君に教育を受けさせたんだよ。将来王妃になって陛下を助ける事ができるようにと。そして殿下も、君が将来の為に勉強を受けていると思っている。自分に口うるさく言ってくる君が、自分と同じように頑張ってくれてるって」
「そんな……」
殿下……それでいいの? ビジネスパートナーを王妃に求めるの? 癒しじゃなくていいの?
絶句する私を見て、お兄様は顎に手を添えるいつもの考え事スタイルになる。それから私の頭を、くしゃくしゃと撫でる。
「このままだと、僕も困るからね。心配しないで、必ず婚約は破棄させる」
「お兄様……?」
そっと見たお兄様の瞳が、キラリと光ったのは何故だろうか。