第166話 勇者の引退と幽霊騒動 Ⅲ
戻ってきたレイリアに引きずられてきたのは男の子が2人。
見た感じ、小学校高学年くらいか?
レイリアに襟首を掴まれて暴れる姿は少々生意気そうではあるが、どこにでもいるような普通の男の子達である。
逃げた理由は、まぁ、普通に考えれば、勝手に建物内に入り込んでいたら見知らぬ人達が居たのに驚いたというのはごく当たり前の反応だろう。
小学校高学年ともなれば、廃業したホテルとはいえ勝手に入ったらいけないことくらいは分かるだろうし。
ともあれ、普段から入り浸ってたのなら、測量の人達が遭遇したという不可解な出来事のことを何か知っているかもしれない。
別にどうせ取り壊す予定の建物なので勝手に入り込んだことに目くじらを立ててもしょうがないので、そっちは不問でいいや。
薄暗くなってきた建物内で話をするのもよろしくないので俺達は少年達を連れたまま入ってきた裏口から外へ出る。
「というわけで、別に親に連絡したり警察呼んだりするつもりはないから安心して良いぞ。けど、その代わり調査に協力して欲しいんだけど」
いささか、というか、結構乱暴にレイリアに引きずられたせいか、掴まれたまま暴れていた男の子達だったが、俺、茜、メル、ティア、おまけで亜由美まで加わり総勢6人に囲まれたことで諦めたのか大人しくなった。
「調査?」
「お、俺達になにしろっていうんだよ」
自分達よりも大きい男女に囲まれて萎縮した様子だったが、親や警察に連絡するわけではないと聞いてちょっと落ち着いたようだ。
……亜由美はこの子達と大して変わらないな。身長。
はっはっは、亜由美よ、足癖が悪いぞ。ってか、何故俺の心が読める?
警戒を露わに聞き返す少年達だが、このまま無罪放免ってよりも多少は情報収集を兼ねて警告しておいたほうが良いだろう。
廃墟ってのは普通に考えるよりもかなり危険だ。このホテルはまだ人が入らなくなってそれほどの期間経っていないからそれほどでもないが、人の手が入らなくなった建物というのはもの凄い勢いで痛み始める。
そしてその状態を素人が判断するのは難しいし、見えないところが老朽化していていきなり崩れたりすることだってある。
そんなところに出入りしていて遭難しても、元々が廃墟なだけに誰かに気付いてもらえるなんて幸運はそうそうないのだ。
取り返しの付かないことの起きる前にその危険性は知っておいて欲しい。
「別に何かさせようとかって話じゃないよ。まぁ、ちょっとした事情聴取、かな? いつからここに出入りしてるのかとか、他に出入りしている人を見たことがないかとか、測量にきた作業員の道具を隠したりしてないかとか、そんなことを聞かせてくれ。ああ、心配しないでも何かやらかしてたとしてもよっぽどのことじゃない限り本当に親に連絡したりしないから、そっちは信用してくれ」
俺の言葉に少年達は顔を見合わせて何か躊躇っているようだ。
何か悪いことでもしてたんだろうか? 見た感じそうそう悪いことをしてそうには思えないのだが。
「お、俺達は別に、ここを秘密基地みたいにしてて、その…」
「な、中を探検したりお菓子食べたりしてただけで…」
ボソボソと答えるも目線はこっちを向いていないし、どうにも歯切れが悪い。
明らかに何かを隠しているように見える。
グォォォン! キュゥッ! ウォマァッ!
どうやって少年達の口を割らせようかと考えていると、プールの向こう側、山から続いている茂みの方から低い吠え声のような音、続いて少し甲高い、何かを呼ぶような鳴き声が聞こえてきた。
「あ、権太…」
「ば、馬鹿!」
思わず少年の1人が名前? らしきものを呟き、もう1人が慌てて窘める。
……この子達が隠してたのはこれか。
今の状況から察するに、この廃ホテルで勝手に動物を飼っていたか餌をやっていたのだろう。
けど、あまり日本では聞き馴染みのない鳴き声だな。
「驚かさないように近づいてみるか。ティア、レイリア、山側に逃げたりしないように回り込んでくれ」
「はいっ!」
「承知じゃ」
先ほど怖がっていたのを恥ずかしがっていたティアは汚名返上とばかりに張り切って、最近やることがなかったレイリアも喜々として物音ひとつ立てずに大回りでプールを迂回していった。
「ま、待ってよ! そっちは何もいないって!」
「そ、そうだよ! そっちじゃなくて多分向こうだって!」
この期に及んで何とか誤魔化そうとしている少年達に苦笑いしながらも、俺達は声のした方に慌てずに近寄っていく。
気配を探ると鳴き声を出した生き物は逃げる様子もなくその場に留まっている。
「……クマ?」
「熊、ね」
「クマですね」
「リアルテディベア?」
プールを通り越すと、草の生え放題になっているちょっとした空間にちょこんと熊がしゃがみ込んでいた。
見知らぬ人間を見て落ち着きなくキョロキョロしていた熊だったが、逃げずに俺達の後を追いかけてきた少年達に気付くと嬉しそうに鳴き声を上げる。
キュゥッ! ウォマァッ、ウォマァッ!
……こっちの世界の熊の鳴き声って初めて聞いたが、意外と高い声なのな。しかも、クマ、クマって鳴いてるように聞こえる。
それにしても随分と人慣れしてるようだ。
「ご、権太は何も悪いことしてないよ!」
「そ、そうだよ! だから殺したりしないで!」
少年達は熊を庇うように俺達の前に立ちはだかり、両手を広げてアピールしている。
「何もしないって。というか、伊豆半島に熊っているのか?」
首に白い毛が見えることからツキノワグマらしいことは分かるが、そもそも3月ってまだ冬眠してるんじゃないのか? それともこっちの方は割と温かいからもう覚めてるってことなんだろうか。
専門家じゃない俺達には判断が付かないが、特に人食い熊ってわけでもないのに駆除するつもりはない。
伊豆半島に熊が生息しているかどうかは知らないが、それほど離れていない富士山麓には生息しているって聞いたことがあるのでいてもおかしくはないか。
「小さくて可愛いですね。まだ子供なのでしょうか?」
「いや、あれでも大人だと思うぞ。そもそも本州にいるツキノワグマは大型犬くらいの大きさがほとんどだし」
今は四つ足で立っているが体高は目測で7~80センチくらいだから十分成体のはずだ。そもそも立ち上がると3メートルを超えるのがザラにいる異世界の熊を基準にされても困る。
「っと、君らはこの熊…」
「権太っ!」
「…そ、そうか、権太をここで飼ってるのか?」
熊に権太って名前、ベタだな。
「飼ってるっていうか、その、俺達が小学生の時にこのホテルで遊んでたら、まだ子供だった権太が山から迷い出てきたんだ」
「まだこんなにちっちゃかったから持ってたお菓子とかあげたら懐いてきて…」
なるほど。
その時点で親熊が一緒にいたかどうかは分からないが、子供の時に餌付けされて人慣れしたのか。子グマってぬいぐるみみたいで可愛いからな。
「随分と人に慣れておるの。で、どうするのじゃ?」
「可愛いです。うちで飼えませんか?」
逃げる様子がないのでレイリアとティアも戻ってきている。
けど、うちでは飼えません。
俺達の視線を集めている熊といえば、少年達が来たのに何ももらえないのが不満なのか甘えた声で鳴きながら両手(両前足?)で拝むようなポーズを繰り返している。
「えっと、今日も餌あげようとしてたのか?」
「あ、うん。逃げるときに中に置いて来ちゃったけど」
このままじゃ熊も可哀想だし腹減らして凶暴になっても困る。その餌とやらを持ってきてもらおう。
俺がそれを伝えると、1人が走って取りに行く。
少年が背を向けたことで権太が反応しかけるがもう1人残っていることで察したのか大人しく腰を下ろして期待のまなざしを向けている。
うん、結構可愛いな。
5分もしないうちに戻ってきた少年の両手にはビニール袋に一杯に入った野菜や果物が。
「……食費が凄いことになりそうだな。これ、どうしたんだ?」
「あの、俺んち、ちっちゃなスーパーやってて、廃棄する野菜とか果物が結構あるんだ。それを廃棄コンテナから持ってきて」
説明しながら少年達がビニールから果物を取り出して権太に放り投げると、権太は器用に前足でキャッチして食べ始める。
それにしてもどうしようか、この熊。
これだけ人と人間の食べ物に慣れてしまっていると、山に返してもすぐに人里に戻ってきてしまうだろう。
そうなれば不幸な事故が起きる可能性が高いし、そうなれば間違いなく駆除されてしまう。なにしろ相手は野生の熊である。じゃれついただけでも人間は大怪我してしまうだろう。
かといって、放置しても同じだ。
このホテルを新しいリゾートとして再開発しても熊が周辺をうろついてたらレジャーどころじゃない。
「これは久保さんに相談した方が良いんじゃない?」
茜の言うとおりなのでとりあえず電話してみよう。
「えっと、君達…」
「あ、立川昭彦です」
「俺は健二、若林健二」
取り急ぎ久保さんに権太のことを伝え、対応を検討してもらうように伝え、改めて少年達と話をする。んで、今更ながら自己紹介。
ごく簡単にお互いの名前と簡単なプロフィールだけ紹介し合う。てっきり小学生だと思っていたが2人とも中学1年生らしい。その昭彦と健二にこれからのことを説明する。
特に、人に慣れた野生の熊がどうなるかをしっかりと教えて納得してもらわなきゃならない。
といっても、選択肢はほとんどない。
引き取ってくれる施設を探すか処分するかの2択だ。
この狭い日本で人里と隔絶した森や山は存在しないからな。だからといって何もしていないのに処分するのは俺も可哀想だと思うので、最悪の場合は異世界の王国にある俺の屋敷で飼うという第3の選択肢もあり得るが。まぁ、病原菌やら生態系への影響やらを考えるとあまり良いことじゃないだろうし、出来れば避けたい。お嫁さんとかお婿さん探すのも大変そうだし。
「……権太が処分されたりしないなら、それでも良いです」
「うん。ちょっと寂しいけど、死んじゃうのは嫌だし」
分かってくれたらしい。
いつまでも隠れて餌をあげ続けるのは難しいってことくらいは2人にも理解できているのだろう。
「あ、そうなると、久保さんの叔父さんが言っていた『獣の唸り声が聞こえた』っていうのは解決、かな?」
そうなるかな?
他にも色々あるから聞いてみるか。
「えっと、測量? してた人の道具を隠したのは俺達です」
「権太が餌をもらいに来る時間が近かったからこの辺から人を遠ざけたくて」
ほぼ毎日権太は夕方になるとこのプール裏にやってきて餌をもらうらしい。けど、丁度その時間にこの辺の測量を始めようとしていた作業員に気付いた昭彦と健二は伸び放題になっていた雑草に身を隠しながら近づいて測量機器を盗み出し、いくつかの場所に分散して放置したということらしい。
作業員達が探し回っている隙に権太に餌を与えてさっさと山に返したということだった。よく見つからずに済んだものだ。
とにかく聞いていた出来事の2つ目がこれで解決だな。
後は幽霊騒動か。
「後は、このホテルで人影や人魂っぽいものを見た人がいるって聞いたんだけど」
「そんなの知らないよ。肝試しとかしたことあるけど、元々幽霊とかの話なんてここにはなかったし」
「で、でも、俺達以外にもここ、出入りしてる人、いるよ」
ん?
「それはここ何週間かじゃなくて? 前から出入りしてるのか?」
「うん。ヤクザっぽい恐そうな人が、夜が多いみたいだけど、昼間もたまに来てる」
「あとガイジンっぽい人もいる! 見た目は普通なんだけど別の国の言葉使ってた」
んん?
そんな話は聞いてないな。
「何しに来てたか分かる?」
何か引っかかったので考えをまとめていると、茜が代わりに聞いてくれた。
「そんなん知らないよ。けど、上の方じゃなくてキッチンのところとかお風呂のところによく行ってるみたい」
「あ、鞄とか箱とか持ってたの見たことあるよ」
隠し事がなくなったせいなのか、2人とも割と色々と教えてくれる。
あ、食べるもの食べきった権太は山に帰って行っちゃったけど、まぁ、また夕方になったら来るだろう。しばらくは俺達が監視してれば問題ないか。
「ふむ。主殿、どうする?」
あたりは結構薄暗くなってきているけど、ちょっと気になるな。
とはいえ、これ以上この子達を付き合わせるのは良くないか。
「茜とティア、メルで2人を送ってやってくれ。俺とレイリア……しょうがないから亜由美も、で、ちょっと確認してみる」
「別に俺達、家近いから大丈夫だよ」
「いや、大分暗くなってきたし、そのヤクザっぽい人に出くわしたら不味いだろ? 別に親に会おうとか言わないから近くまでな」
言ってることは嘘じゃないし、この暗がりの中で茜とティアを連れていくのも可哀想だ。
不満そうな昭彦と健二を敷地の外まで追いやり、改めてホテルの中に。
一応懐中電灯も持ってきてるから問題ない。
裏口から入って、改めて人の痕跡を丁寧に見ていく。
確かにあの子達の言葉通り、レストランに続く廊下は他の場所と違って人が歩いたような跡があった。
その跡はレストランの入口から厨房の奥まで続いている。
厨房は調理器具や食材の段ボール、いつから放置されているか分からない調味料などが散乱している。特に腐敗臭とかがないのは幸いだ。
「兄ぃ、奥の倉庫に行ってるみたい。……スリルとサスペンス。これで死体でもあったら完璧」
縁起でもねぇこと言うな。
倉庫内も雑然としていた。
空の段ボールや木でできた箱などがいくつも置かれていた。
「主殿、どうやらそこの奥にある箱が運び込まれた物のようじゃぞ」
「ん? これか? いや、その下の箱が妙に新しいな」
レイリアが指し示した場所に、確かに最近動かしたような形跡がある段ボールと、その下に比較的綺麗な小さな段ボールが置かれている。
回りの邪魔な物をどかし、その箱を引っ張り出す。
……何か入ってるな。
テープで口が塞がれているが、構わず破って開ける。
そこにあった物は……。




