第165話 勇者の引退と幽霊騒動 Ⅱ
ホテルはどこの観光地にでもあるような造りで門も観光バスがすれ違えるくらい十分な幅があった。
門を越えた左右には広い駐車場があり、その向こうにロータリーとホテルの入口がある。
事前に渡された資料にはホテルの見取り図もあったが、それによると敷地内には本館と新館があり、テニスコートやプールなどもある結構な規模のホテルだったことが分かる。
とはいえ、いまある建物は解体して新たに建てる計画ということなので建屋や施設、設備なんかの資料はあまりなかった。
見たところ、廃墟になっているとはいえそれほど傷んでいるわけではなさそうで、見える範囲にあるガラスなども割れている箇所はないように見える。
ただ、敷地内には所々雑草が生えているし、金属部分には錆も浮いている。建物内も薄汚れ、雑然としていることから、廃業してからある程度の期間放置されていたことはうかがい知れた。
さっさと建物を解体して更地にしてしまえば簡単なように思えるのだが、地盤や基礎、埋設されている上下水道や電気などの配管などを新しい建物を建てる際に考慮しなければいけないらしく、測量や設計を終えてから解体しなければいけないらしい。面倒なことだ。
「うわぁ、結構大きいわね。見て回るだけでも大変そう」
「そうですね。でも思ったほど荒れていないようですから大丈夫なのではないでしょうか」
「うむ。まぁウィルテリアスのように魔物がいるわけでもなかろう。特に期限はないという話じゃし、のんびり調べればよかろう」
「ですね。でも、ダンジョン探索を思い出します。楽しみです」
「むぅ、廃墟のくせにらしくない。こんなんじゃマニアは呼べない」
女性陣が好き勝手に言っている。
亜由美は完全に目的間違ってるな……。
「とりあえず今日のところはザックリと見て回るか。本番は明日からということで」
俺が言うと皆も頷いてくれた。
現在の時刻は午後3時。
急いでいないとはいえ朝に家を出発して到着するまで、距離にして約120キロ。途中休憩や食事を挟むとどうしてもこれくらいにはなってしまうのだ。
電気は点かないので日が沈むと下見ができないから今日のところは実質2時間くらいしかない。
とりあえず建物周囲と本館の一部くらいしか見られないだろうから、下見の下見って感じだな。
というわけで、まずは本館と新館の周囲を廻ってみる。
敷地自体は予想以上に広い。
テニスコートが本館右手に4面あり、その奥側にはゴルフの打ちっぱなしと思われる施設がある。施設の内容にどことなく昭和の香りが漂っているような気がするのは俺だけなのだろうか。
ただ、テニスコートは所々雑草が生えて見るも無惨な状態だし、打ちっぱなしにいたってはほとんど雑草が生い茂り、網が張られていたであろう支柱と打席の屋根で何とか判別できる程度に成り果てている。人が管理しないとわずか数年でこうなってしまうようだ。
う~ん、諸行無常。
本館に併設される形のプールは水が抜かれているが、それでも雨などが溜まったりしたのか、わずかな水と藻や雑草でかなり汚い。
コンクリートも所々ひび割れてタンポポらしき草がその隙間から顔を覗かせている。
「外側は特に問題はなさそうだな」
「でも、所々人が入った形跡はありますよ?」
「測量とかで作業員が入ったりしてるって言ってたからそのせいじゃない?」
「どちらにしても私達で判断することはできそうにありませんね」
「草が邪魔じゃな。いっそ焼き払うか?」
「「駄目!!」」
「……冗談じゃ」
「…………」
俺と茜が強く止めるとレイリアが唇を尖らせる。
返事までに間があったのが気になるところだ。それに亜由美も手をワキワキさせながら不満そうにしていがやる。
最近レイリアが暴れる機会がなかったし亜由美も魔法を使えてない。
コイツら要注意だな。
そして、いよいよ建物の中に入る。
本館の正面玄関は外からは開けられないので、裏手にある従業員用の出入口に回る。
久保さんの叔父さんから預かった鍵束から通用口の鍵を探し出し、それを差し込もうとしたとき、ティアが「ユーヤさん」と声を掛けてきたので一旦停止。
「どうした?」
「ここ、今でも使われてるみたいですよ」
「……ホントだ。この扉の回りだけ土も被ってないし草も生えてないわね」
ティアと茜の指摘に改めて回りを見渡す。
確かに他の場所と比べるとコンクリートに砂や土が積もっていない。ドアノブも汚れていないし今でも頻繁に使われている感じがする。
この土地の売買に関連して建物に人が出入りした事もあるだろうし、現状の調査や測量のために何度か人が入っていることも聞いている。
だから外の施設のように人が出入りしたり作業した痕跡があるのは不思議なことじゃないが、ここだけは明らかにその頻度が高いように見える。
聞いていた話では少なくともここ数年はほぼ放置されていた建物のはずだ。人が出入りしたとしてもここ数週間から数ヶ月ほどのはず。
にもかかわらずずっと使用していたような状態というのは不自然に感じられる。
「……陰謀の気配」
「亜由美はアニメの見過ぎ。建物に出入りする機会が増えるから事前に多少掃除をしていただけかもしれないし、ホームレスなんかが根城にしてるのかもしれないだろ?」
「まぁ、なんにしても調べれば分かるじゃろ。何があってもこの面子であれば万が一も起こらぬよ」
「そうですね。それに今回は不可解な出来事や人影、うなり声の調査でしたよね? あまり気にしても意味がないのではないでしょうか」
亜由美の妄想は放っておくとして、レイリアやメルの言葉通りである。
こういった放置された建物に勝手に人が出入りするのはよくあることだ。廃屋にホームレスが住み着いたり暴走族のたまり場になってたりするのもよく聞く話なので、そう考えればそれほど問題じゃないだろう。
建物が解体されれば必然的に居られなくなってどこかに行ってしまうだろうし。
気になるのは確かだが細かいことを気にしすぎてては何もできないからな。俺達は色々と調べて報告するのが仕事だから、まずはそれを果たすべきだ。誰か住み着いてたりしたら久保さんの叔父さんに相談すれば良い。
とりあえず人の痕跡は一旦保留して改めてドアノブに鍵を突っ込んで回す。
錆び付いて動かないなんて事もなく、あっさりとロックが解除されドアが開く。
流石に建物の中は薄暗く、人気がないことも相まって少々不気味だ。通路には窓もないみたいだし。
ツンッ。
上着の裾が引っ張られた感触がしたのでそちらを見ると、茜が強張った顔で服を掴んでいた。そういえば茜の奴はホラーとか苦手だっけか。合宿恒例の怪談話でも嫌そうにしてたし。
だったら最初から加わらなきゃいいのだが、俺が参加するならと一緒に来たらしい。鼻の下が伸びそうになるのを隠すのに苦労した。
俺が茜の様子にホッコリしていると茜とは逆側がツンツンと引っ張られた。そちらを見ると今度はティアが不安そうな顔で服を遠慮がちに摘まんでいる。
「ティア?」
「あ、あの、私も、いいでしょうか? その、ちょ、ちょっとだけ、あの、こ、怖くて……」
一瞬、茜にヤキモチを焼いて真似しようとしているのかと思ったが、どうもそんな感じじゃない。というか、ティアはそういうスキンシップは割とオープンだからそれならもっと積極的にしているはずだ。
けど、異世界組がこの程度の薄暗さと廃屋で怖がるのか?
疑問に思って残りの女性陣を見る。
と、レイリアは苦笑い。メルは何やらばつが悪そうにしているし、亜由美は、おいコラ、何故そっぽ向いて下手くそな口笛吹いてやがる!
「このところ主殿が家を空けることが多かったじゃろ? 夜にヒマを持て余してのぅ、皆で映画を見ることが多かったのじゃが…」
「その、アユミちゃんが沢山の”ほらー映画”を借りてきて…」
……納得した。
亜由美の奴、ガチで怖い映画をチョイスしやがったな。
異世界組にとって暗闇やらゴーストやらレイスやらアンデッドやらは大して恐いものじゃない。というか、討伐対象でしかない。
もちろん異世界でも苦手な人は結構いるし、ガチムチの冒険者でもゴースト相手にはてんで情けない奴だっている。
それでもティアは特にそういった類いのモンスターを苦手にしてたわけじゃない。
が、それでもやはり日本のホラーはひと味違うのだろう。
同じホラーでもハリウッド映画のものは一緒に見ていてもそれほど反応してなかった。というか、つまらなそうだった。
ああいった直接的に危害を加えようってものなら異世界組はむしろ闘争心をかき立てられるらしい。
それに対して、日本のホラーは人間の持つ根源的な恐怖感を存分に煽る描写を得意としている。
だから外国人のホラー好きが日本のホラーを見てガチ泣きしたなんて話もあるくらいなのだ。
そして亜由美は漫画やアニメだけでなく、ホラーも大好物なのでその中でも特に亜由美的に評価の高い作品を見せたのだろう。
「その映画をメルが気に入っての。主殿がイタリアとやらに行っているときに立て続けに見ていたのじゃ」
「そ、それはその、あの、えっと……」
暴露されたメルは頬を染めながら恥じらうが、内容が内容だけに萌えない。
ティアは思い出したのか、低くうなり声を上げつつも耳はペタンとしてるしシッポも狸みたいになってる。あと、涙目だ。
俺はティアを片手で軽く抱きしめつつ背中を撫でて落ち着かせる。
ちなみに逆の手は茜を抱きよせて感触を楽しんでますが?
どうしたものか。
下見だけの今日はともかく、明日以降は幽霊騒動の真偽を確かめるためにも夜中に来ることも考えているんだが。
考えつつ、とりあえずまずは通路を抜けて明るいところに行こうと移動することにする。
入口からまっすぐ来たところにある扉を開くとホテルのフロント脇に出る。
ロビーは全面ガラス張りなので十分な明るさがあった。
少し歩いたことと明るい場所に来たことでティアも落ち着いたらしい。
内心は分からないが、明るい場所なら大丈夫そうだ。
今後に関しては相談しながら決めていこう。
「中に入ったはいいが、これ以上見て回るのは無理っぽいな」
「そ、そうね。もう夕方だし、建物も広いから見回っても中途半端になりそう」
茜の言葉通り外側を見ているうちに結構な時間が経過してしまったらしい。
俺達のいるロビーの窓は海側、つまり東側に向いているので完全に日陰になってしまっており、外からの照り返しでかろうじて明るさが確保されているという状態だ。
おそらく後30分もすれば建物内は暗くなってしまうだろう。
「よし、一旦出て、ホテルにチェックインしようか。んで、風呂と飯を楽しんでから次の…」
ガタンッ!
タタタタタ。
俺の言葉の途中で、本館のロビーから新館側に続く通路の向こうから何かを落としたような物音と誰かが走り去る足音が響いてきた。
「! っ、レイリア!」
「うむ!」
すぐにその方向に向かおうとした俺だったが、物音に驚いた茜とティアがしがみついてきたので振り払うわけにもいかず、レイリアに託す。
緊張した様子も見せずレイリアが頷くと、すぐにそちらに走る。というよりも一瞬で消えた。流石ドラゴン。
俺もただレイリアに任せるだけじゃない。
気を取り直して魔力を薄く広げ、建物内の気配を探る。
フニョン。
プニッ。
あれ? 何故だか集中力を阻害する感触が。
「あ、レイリアさんが逃げた人を捕まえたようですね。他には建物内に人はいないようです」
メルがそう報告してくれた。
……俺って役立たず?
き、気を取り直してレイリアのいる方へ歩く。
通路を進んでいると、レイリアが小柄な人の襟首を両手に掴んで引きずってくるのが見えた。
「む? 主殿、来たのか」
「レイリア、ご苦労さん」
「は、放せよ!」
「俺達は何もしてないって!」
……子供?
レイリアに引きずられているのは小学生高学年くらいの2人の男の子だった。




