#3
~3~
それから数週間,ユキはいつも朝になるといなくなり,また夕方に戻って来るという生活を続けていた。
その間も近所のみんなに色々と聞いてはいるものの,有力な情報が一切出てこない。
家での様子を見ている限り,どこかで躾けられたのだとばかり思っていたので,もっと簡単に見つかるかと思ったのだがこの展開は予想外だ,
でもまぁ,母さんも父さんもユキの事は気に入っている様子だし,俺にも妙に懐いてくる様子を見ると、そんなに慌てて探す必要がないかなと思えるのは楽な所だ。
学校生活も3月に入ってだんだんと慌ただしくなってきたが,俺たちは特に変わらず毎日を過ごしている。
「あ,今日のメニューは唐揚げだ。1個交換しない?」
「ん~? じゃあ,この前の卵焼きが美味しかったから,それで」
「はいは~い」
変わった事と言えば,結城さんと妙に仲良くなった事くらいか。
こうやって毎日お弁当を一緒に食べ、おかずを交換するような仲になるとは誰が想像していただろう。
そして、仲良くなるにつれて結城さんの事も色々と教えてもらう事ができた。
よく見ないと分からないが,実は結城さんの髪は完全な白ではなく,毛先にいくにつれてほんの少しだけピンクがかっている事。
好きな食べ物は揚げ物全般。特にコロッケと唐揚げが好物だという事。
逆に,生魚は苦手だという事。
寒さに弱く,この時期はほとんど家から出られないという事。
色々な事を話し,こんなに親しくなれたのは嬉しい限りだが,詳しく知れば知る程に大きくなっていく気持ちが1つ。
結城さんの事を知れば知る程,不思議とユキと重なっていく部分が多いのである。
毛先だけピンクがかった白い髪。ユキも全身真っ白なのに耳や尻尾の先だけがピンクがかっている。
揚げ物が大好きで,生魚が苦手。ユキも猫にしてはほとんど魚を食べない。そのくせ,夕飯に揚げ物が出てくると必ず俺の皿から1個泥棒していく。
寒さに弱い。ユキも家にいる時は1歩も外に出ようとはしない。コタツの中や誰かの膝の上を陣取りよく眠っている。
そんな事もあって,俺の中ではまさか,という気持ちと,もしかして,という気持ちが入り混じっている。
普通なら馬鹿馬鹿しい話だと笑い飛ばせるが,よく考えてみれば動物と話せるのだって普通から見ればにわかに信じがたい話だろう。
まるで小説の主人公のような特徴を持った俺がいるんだ,他にもびっくりするような人がいるかもしれない。
例えば,日が暮れると猫に変身してしまう,とか……
「…………」
「ん? 私の顔に何かついてる?」
「あ,いや,ごめん。何でも無い…」
でも,さすがにいきなりそんな事を聞く勇気は俺にはない。
それどころか,いまいちタイミングが掴めない事を言い訳に,俺が動物と話せる事もまだ伝えていないのだ。
「お~い,誰か~。誰か助けて~~」
「…ん?」
「………?」
どうしたものかとぼんやりと考えていると,遠くの方から微かに声が聞こえて来た。
すぐに声に反応した俺を見て不思議そうに首を傾げている結城さんの反応を見るに,今のは動物の声か。
「あ,ちょっと待っ……」
とりあえず1人で様子を見に行こうと腰を浮かしかけて,止める。
これは,ひょっとしたら結城さんに色々と話すチャンスかもしれない。
「……ちょっと,一緒に来てもらっても良い?」
「う,うん……?」
少し驚きながらも,結城さんは俺の言葉に素直に頷いてくれる。
それを確認して,俺たちは声のした方へと向かった。
「誰か~…」
助けを呼ぶ声の主は,中庭の少しだけ背の高い木の頂上付近。上まで登ったのはいいが降りられなくなってしまったのだろう。半べそで枝にしがみついている猫がそこにはいた。
「ちゃんと受け止めてやるから,降りてこいよ」
「む,無理だよぉ。怖くて足が震えて…」
「お前なぁ…」
今までの経験上,このくらいの高さなら何も考えずにキャッチしてもお互い無傷で済む。
あの猫に一歩飛び降りる勇気さえあれば,いくらでも助けられるのだ。
「大丈夫だ,目瞑って跳べ。ちゃんと受け止めてやるから」
「で,でも…」
「早く来ないと木を蹴って無理やり落とすぞ。それが嫌なら自分で降りてこい」
「そ,そんな……」
「ほら行くぞ。5,4,3,2…」
「わ,分かったよ! その代わり,ち,ちゃんと受け止めろよ!」
軽く足を出してカウントダウンを始めると,さすがに覚悟を決めたのか恐る恐る前に出る。
そして一瞬だけ下を見て大きく深呼吸をしたかと思うと,目を閉じて一気に跳んだ。
「……お?」
てっきりそのまま落ちてくるだけかと思っていた猫だが,思いのほか遠くへ跳んだ。
――そう,それは下手をすると俺では追いつけないような場所へ。
「やっば……」
最悪受け身が取れなくても大丈夫だとは思うが,あぁ言ってしまった手前ちゃんと受け止めてやらないと後味が悪い。
幸い中庭には俺と結城さん以外誰もいないし,猫が向かったのは彼女とは逆方向。
俺が上だけ見ていても誰かとぶつかる事はないだろう。
そう確信し,俺は走る。
毎日ゴロたちに付き合わされているせいでそこそこ足の速い自信もある。
……これならぎりぎり追いつけそうだ。
「――あッ?!」
でも,そのほんのわずかな油断は命とりだった。
ほっとして一瞬気を緩んだ瞬間,俺は足元にある木の根に気が付かなかった。
「にゃろ…」
結構な勢いがあったので,足は取られたがヘッドスライディングのような形で何とか手を伸ばす。
そして伸ばした両手が暖かい塊をしっかりと掴むと同時に,俺は受け身も取れないままに顔から地面へと着地したのだった。
「だ,大丈夫…?」
「まぁ…ね……」
結城さんの声に細々と返事を返す。
とてもじゃないが起き上がれる気にはならなかった。
「ありがとうなおにーさん。おかげで助かったよ~」
飛び降りた猫は俺の手の中でずっとキャッキャとはしゃいでいる。
このまま放っておいたら「もう一回!」とか言い出しそうな雰囲気だが,まさかそれはやるまい。
「…いや,別に……良い。怪我,なくて良かった」
いくら地面が柔らかかったとはいえ,あそこまで綺麗に顔面からダイブしたのは生まれて初めてだ。
顔がどうなっているのか確認するのも怖かった俺は,ずっと体勢を変えないまま猫を離す。
猫は俺の周りをくるくると回ったり手を舐めていたりしたが,しばらくすると「本当にありがとうな~」と言い残して去って行った。
「……」
「………」
これで,残されたのは2人。
結城さんはまだ何も言わないが,あそこまで包み隠さずしゃべっていたんだ,気が付かない訳はないだろう。
相変わらず顔は全体的にじんじんと痺れているが,俺はゆっくりと起き上がる。
「…びっくり,した?」
「………」
「実はさ,動物と話せるんだ。それもこうやって普段結城さんと話しているくらい自然に」
「……………」
「俺の秘密は,これで全部。もし結城さんも俺に何か隠している事があったら,教えて欲しい……かな」
ちょっと強引だったかもしれないし,俺の予想が外れていたらただの変人に見えるだろうか。
でも,ここで聞いておかないともう聞けないような気がした。
なんとなくだが,そんな確信めいた予想が頭に浮かんだのだ。
「……じ,実は,私…」
ややあって,結城さんはゆっくりと口を開く。
照れくさそうな笑顔を浮かべたその口から発せられた言葉は,俺の望んでいた言葉だったのかもしれない。