#2
~2~
「ただいま~」
「おかえり。今日は早かったのね」
「うん。2匹とも寒そうだったし,それに…」
「ん? ……何かあった?」
猫を抱えたまま急いで帰宅した俺たち。
いつもならすぐに玄関から上がる所だが,今日はそうもいかない。
どう説明しようか少しばかり悩んでいると,俺の声色を察してくれたのか母さんが台所から顔を覗かせてくれた。
「実は…」
「あら,可愛い猫ちゃんじゃない。どうしたの? 迷子?」
「いや,ちょっと散歩途中で見かけたんだけど,何か怪我してるみたいで…その……」
「そう,じゃあしばらくは家に居てもらう? 首輪とかはしてないの? 飼い主さんが探してるとかは?」
「えと,首輪は無い。近所にも誰か探しているっていう話は聞かなかった」
「まぁ,そうなの」
何だかえらく母さんが上機嫌だけど,そんなに猫好きだったのかな。
でもとりあえず母さんがこう言っているのなら,家の問題はなさそうだ。どうせ父さんは母さんが許したって言えば深くは突っ込んでこないだろうし。
「良かったな大輔。帰りがけに考えた言い訳を使わずに済んで」
「あぁ,全くだ。早速これからこいつの準備をしないとな」
「ショップに行くなら俺たちも付き合うぜ。ダイに任せとくと嫌な予感がするからな」
「おい,そりゃどういう意味だよ」
「あ,買い物行くならお金あげるわ。ちょっと待ってて」
「別に良いよ,これくらい自分の小遣いから出すから」
「良いのよ。ほら,とりあえずこれだけ持ってきなさい。足りなかった分は自分で何とかしてね」
母さんはそう言っていそいそとお財布からお金を出して手渡してくれた。
――後で知った話だが,この妙に上機嫌だったのにはちゃんとした理由があった。何でも俺が動物の話を振って,目の前でゴロたちと自然に話していたのが嬉しかったらしい。
確かに周りが俺とは違うという事を認識し始めた辺りから,家族も含めて近くに人がいる時には極力動物と話さないようにしていたし,今回のような場合だって直接原因を聞いてしまえばすぐに解決するので,特に誰かに相談することもなかった。
母さんはずっとそれを寂しがっていたと父さんの口から聞き,今までの自分の行動を改めようと素直に思えた辺り,どうやら俺には反抗期というものは無いらしい。
ちょっと話が逸れてしまったが,こうして軍資金を手に入れた俺は再び家を出て行きつけのペットショップに駆け込んだ。
「お,大輔君いらっしゃい。今日は何だい? ゴロたちの餌はこの前買ったばかりだよね?」
ここは,きちんとしつけが出来ているペットなら一緒に店内をうろついても大丈夫な所や気さくな店長の雰囲気が気にいり,ゴロが家に来た時からずっと利用させてもらっている。
「違うんです。実は…」
腕の中でおとなしくしている猫を見せながら先ほどの出来事を説明する。
「なるほど。でも,大輔君にも話せない動物がいたんだなぁ…」
「俺も,こんな事は初めてですよ。逆に店長の方がコイツの言ってる事分かったりして」
俺がずいと店長に近づけてやると,少し驚いたのか猫は俺の腕の中で身震いをしながら小さく鳴いた。
「…いや,俺にもさっぱりだ。普通の鳴き声にしか聞こえないな」
「そうですか…」
「ま,大輔君の事だ,すぐ聞こえるようになるさ。それで,今日はこの子のための商品っと……。うん,ちょっと待ってな」
顎に手を当てて少し考え込んだ後,店長はそう言い残して店の奥へと消えて行った。
きっとすぐに俺の欲しがっているような商品を色々と持って来てくれるだろう。こういう所もこの店にずっと通い続けている理由の1つなのだ。
「……」
店長を待っている間も,相変わらずおとなしく俺の腕の中に納まっている猫。
普通の猫ならもういい加減暴れ出しても良い頃だろう。
このおとなしさといい言葉が分からない所といい,コイツは何物なのだろうか。
「はいよ,お待たせ。とりあえずこれだけあれば少しの間くらいなら猫も不自由なく暮らせると思う。もしそこから長期間飼う事になった時にはまたおいで」
「はい。ありがとうございます」
「こちらこそ,いつもありがとね。ほら,これはおまけ。ゴロたちにね」
「ありがと,おじさん」
「いつも悪いね」
「ゴロたちもありがとうって言ってます。じゃあ,また来ますね」
「はいよ。またチラチラし始めたから,気を付けて帰るんだぞ」
「はーい!」
店長の言葉通り,店を出るとさっきまでは止んでいた雪がまた降り始めていた。
傘も持っていなかった俺たちは,足早に家へと向かったのだった。
「この子,名前はどうするの?」
家に帰り買ってきた商品を広げていると,夕食の支度を終えたらしい母さんが後ろから声をかけてきた。
「あ~……」
名前か,そういえばずっと慌ただしかったから何も考えていなかった。
興味津々な様子で買ってきた商品を眺めている猫を改めて見る。
シミ1つない綺麗な真っ白な毛並。しかし耳と足先,それと尻尾の先だけが薄くピンクがかっている。
猫の種類に詳しくはないので正確な所は分からないが,たぶん近所でも良く見かけるヤツと同じだ。(後で聞いたら,アメリカンショートヘアというらしい)
「ユキ……で,どうかな」
その真っ白な毛並と今日の天気と重なる部分もあるし,女の子なので可愛らしい名前にしてやろうと思うと,正直それくらいしか出てこなかった。
「…何て安直な名前だ」
「…そのまんまだな」
「…そのままね」
「…………」
自分的には結構はまっていると思うが,三者三様のダメ出しが返ってきた。
「にゃ~」
でもそんな中,当の本人(本猫?)だけがどこか嬉しそうに鳴いてくれた。
「…今,なんて?」
「……さぁ。ゴロは分かるか?」
「………いんや,俺にもさっぱり。コロは?」
「…………全然」
「…で,でも,何か嬉しそうじゃない?」
「そ,そうね。何となくだけど,嬉しそうに鳴いたわね」
そんなこんなで,ユキと名付けられたその猫は,ひとまず我が家の住人となった。
拾ってきた俺が責任を取るという事で,本拠地は俺の部屋。
最初に見かけた時はどこか危なげだった歩き方も,夕食も終わって眠りにつく頃にはすっかり大丈夫になっていた。
どこか怪我をしていたのかも分からないので,明日にでも病院に連れて行こうと思っていた所だが,この調子だとそれも大丈夫そうだ。
「それじゃ,おやすみ」
タオルで作った簡易ベッドにユキを寝かせ,俺も電気を消して布団に入る。
その夜,途中で布団の中に温かい何かが入ってくるのを感じる。
これが噂に聞く猫カイロか,と寝ぼけ眼のままその侵入者がユキである事を確認し,俺は再び深い眠りに落ちて行った。
「……え? あれ?」
「――ぅん…?」
いつもとは違う,柔らかな感触で目が覚める。
そういえば昨日ユキが寝ている間に潜り込んで来たんだっけ。
…でも,それにしてはちょっと大きすぎな気がする。
そう。この全身で感じるこの感触はまるで同じ身長くらいあるような……
「……」
「…………」
不思議に思ってほんの少し目を開けてみると,目を真ん丸に見開いて,茹ったように真っ赤な顔でこちらを見ている同級生くらいの女子が口をパクパクさせていた。
何をそんなに慌てているのだろうと思ったら,彼女の背中に回っている両手の感覚を信じるに俺が抱きしめている目の前の彼女は一切服を着ていないようだ。
「…夢,か……」
その結論が出るのに時間は必要なかった。
しかしこんな夢を見るとは,さすがは思春期真っ只中の高校生。
もう少し意識がはっきりしていれば,俺のような18歳未満では見る事のできないような本でしか見たことのないような経験が夢の中とはいえ出来たのかもしれないが,いかんせん俺の頭はそこまで働いていない。
それに,見えてしまったのだ。その女子の頭に生える特徴的な耳を。
真っ白でありながら,先端だけが少しピンクがかったその耳を。
「…ユキ,夢の中に出てきてくれたんだな。せかくだから,声,聴かせてくれよ。どうしても聞けなかった,お前の,声……」
そう言いながら,俺の意識はまたすぐに眠りへと落ちていく。
でも完全に意識が途絶える瞬間,俺はかすかに声を聴いた気がした。
「助けてくれて,ありがとう」という声を………
そして次に目が覚めた時,ユキの姿はもうどこにもなかった。
「昨日帰ってから散歩に行ったらさ…」
声の聞こえない不思議な猫を助けた事,部屋で一緒に寝た事,夢に出てきた事,そして,朝にはいなくなっていた事。
学校で隼人にユキの事を早速話してみる。
「…夢でも見てたんじゃね?」
俺の話をふんふんと最後まで聞いて,隼人はそう結論を出した。
「そりゃ俺も一瞬そうかもと思ったけどさ,昨日買った猫グッズも部屋にあるし,母さんもゴロたちも心配してるし。やっぱり夢だったのはユキが人間になった所だけだと思うんだよ」
「……いや,逆に考えて見ろ。実はそのユキって猫は,昔お前に助けられた猫だ。で,その猫は頑張って人間の姿まで借りて,その……アレで恩を返そうとしたんだ。でも頑張って迫ったのにも関わらずお前は何もしてくれなかった。途方に暮れた彼女は,とぼとぼとお前の前から姿を消した訳だ」
「……それ,本気で言ってる?」
「まさか」
「だよな」
人間の姿を借りて恩返しって,それこそ夢物語だ。
そんな俺たちの馬鹿話を聞いたのか、後ろの結城さんもうつむいて小さく肩を震わせている。
「……あれ?」
そんな彼女を見て、一瞬布団の中にいたユキと姿が重なる。
「…いやいや、まさかそんな」
たまたまユキの毛並みが白かったから真っ白な髪の彼女とダブって見えただけだ。
そもそもあの時は半分寝ていた訳だし、きっと学校でも一番印象に残っていた結城さんの顔を思い浮かべてしまったのだろう。
家に帰っても,やはりユキの姿はどこにもなかった。
いつも通りにゴロたちの散歩に出るが,その足取りは少しだけ重い。
「きっと自分の家に帰ったんだよ。良かったじゃん」
「まぁ,そりゃそうなんだけどさ」
「何だよ,俺たちというものがありながら猫に浮気したのか?」
「浮気って……そんなんじゃないけど,ただ…」
コロの言う通りならば確かに何の問題もないのだが,気がかりが1つ。
俺は小さい頃には良く捨て猫や捨て犬を拾っては里親探しをしていたので,ほんの数日だけ一緒にいた経験は多い。
でも,言葉が分かるせいもあって,今回のように何も言わずにふらっと出て行かれたことは一度も無かった。
勝手に出ていく事はあっても,いつもみんな最後には一言残していってくれたのだ。
「何も言われなかったのが,ちょっとな…」
「全く,贅沢な悩みしやがって。他の人にはそれが普通なんだよ」
ゴロの言う事ももっともだ。
これが普通。今までが恵まれていただけなのかもしれない。
「ま,切り替えて行こうぜ。大輔がそんなだと,散歩も楽しくなくなっちゃうよ」
「あ,あぁ。そうだな,悪かったよ」
コロの言葉に頷く。
確かにここで俺がぐだぐだ言っていても仕方がない。
ユキはちゃんと自分の家に自分で帰った,そう信じていよう。
昨日ユキのために買ったグッズだって,きっとどこかで役に立つ時が来るさ。
「…よし! じゃあ帰り道は走るか!」
「おう!」
「今日はちゃんとついてこいよ!」
俺の言葉で本気を出した2匹に半ば引きずられるように帰路を走る。
そうやって体を動かしていると,小さな悩みなんてどこかに置いてこれるような気さえしてくる。
結局いつもの半分くらいの時間で家に着いた時には,頭の中はだいぶすっきりしていた。
「た,ただいま…」
息を切らせながら帰宅した俺を迎えてくれた声は2つ。
「あら,おかえり」
1つは,夕飯の準備を終えてくつろぐ母さん。
そしてもう1つは…
「にゃ~」
ここが自分の場所だと言わんばかりに母さんの膝の上で丸くなっているユキだった。