#1
~1~
少しくたびれ始めた制服を身に付け,通いなれた通学路を歩く。
高校生活もまもなく1年目が終わろうという2月吉日。今日は朝から初雪が降ったということで,いつもの道もがらりと景色が変わっている。
「兄ちゃん,今日はちょっと遅いんじゃないの?」
仕方ないだろ,この寒さでいつも通りの時間に起きられなかったんだ。
「この先の歩道気を付けてね。積もった雪で分かり辛いけど,道路はカチカチに凍ってるから」
その道なら,家を出る時に母親にも注意されたよ。あんまり日が当たらないからすぐ凍るってな。
「いや~,この雪には驚いたね。おかげで朝の散歩もすぐ引き上げてしまったよ」
そうかい。そう言う割には随分嬉しそうだな。お前も今日みたいな日は散歩したくないんだろ。
「よ,大輔。見ろよ雪だぜ雪。いや~,こりゃ無駄にテンションあがるなおい!」
はいはい,お前はいつもテンション高いだろうが。毎朝毎晩元気な奴だよ。
いつもと違うのは景色だけ。この喧騒は雪だろうが雨だろうが変わらない。
「…今日もいつも通りめっちゃ好かれてるな」
「ん? あぁ隼人。おはよう」
そんな事を思いながら歩いていると,先ほど注意された歩道の辺りで見知った男に声をかけられた。
177cmある俺よりも少しだけ背の高い野球バカ。坊主頭で見ているこっちが寒そうなそいつは根本隼人。同じクラスで席も近く,高校に入学して最初に出来た友達だ。
「おぅ,おはよう大輔。しかし,こんな日も全力だな,その……」
そして,俺の秘密を知る数少ない人物でもある。
「………動物,たち…」
~マルチリンガル 猫に恋して~
俺は山本大輔。近所の県立高校に通う高校1年生。
生真面目なだけの面白みのない性格に平均的な体格、平凡な顔,成績も中の上。
「起立、礼」
『おはようございます』
こうして毎日の号令をかけるのも、入学式初日、担任に押し切られる形で副学級委員に任命された俺の仕事だ。
「はい,おはようございます。今日も寒いけど頑張って行きましょう。
早速ですが、今日はみんなに新しい仲間を紹介します。今日からこのクラスに転校してきた結城奏さんです」
突然の先生の言葉。クラス中から向けられる視線の中、先生に促され彼女は1歩前に出る。
先生と比べても身長はそう高くないが,制服の上からでも分かる程のスタイルの良さ。少し吊り上ってはいるもののどこか優しげな印象を受ける瞳に,まだ緊張しているのかキュッと結ばれた口。
「結城奏です。よろしくお願いします」
口を開けば,透き通るような綺麗な声。
でも,それよりも俺たちの視線を釘付けにしたのは,その真っ白な髪の色だった。
「じゃあ結城さんの席は廊下側の一番後ろね。ちょうど前の席の山本は副学級委員だから、色々聞いて教えてもらって」
「はい」
突然の転校生とはだいたいこんな形になる。
学校の事や授業の事など、いつも最初こそ良く話すが、結局席替えをすればすぐに話さなくなる典型だ。
「よろしくね、山本君」
「うん。よろしく、結城さん」
でも,そんな俺にも1つだけ誰にも言えないような特徴がある。
それは――
「おい大輔,早く散歩行こうぜ。もう待ちくたびれたよ」
「そうだそうだ。学校から帰ってくるなりコタツに潜り込みやがって。お前は猫かってんだ」
「お前らなぁ……。
ほら,外を見てみろ。今年一番の寒さの上に,雪が積もって道路はツルツルだ。こんな日に外に出るなんて馬鹿のすることだと思わないか?」
『思わないね!』
「……さいですか…」
寒空の下を凍えながら帰ってきて,冷えた体がやっと温まってきたというのにまた外に逆戻りとは。
ため息をつきながらコタツを出た俺の元に,ギャンギャンと喚きながら寄ってきたのは2匹の犬。
「なぁ大輔,今日はなんでこんなに町が白いんだ? しかもこれ,冷たくて気持ちいな!」
「ん? …あぁそうか。コロは雪初めてだっけ」
初めてみる雪の上を楽しそうに飛び跳ねているのは茶色の毛並をした小型犬のコロ。
こいつが家に来たのは3年くらい前で,それまでは九州にある親戚の家に住んでいたから,雪を見るのは今日が初めてか。
「…コロにのせられて散歩に出てみたものの,やっぱり今日寒いな。ダイ,今日は短めのコースで良いぞ」
「お前なぁ…」
外に出た途端に寒さで心が折れたのは真っ白な毛並の大型犬のゴロ。
こいつとは幼稚園時代からの付き合いで,姉しかいない俺にとって兄弟のような存在だ。
そして,もう気づいている人もいるかもしれないが,これが俺の唯一にして絶対の特徴。
物心ついた時から,なぜか俺は動物の言葉が聞き取れたのだ。
それも,良く近所のおばちゃんが言っている「私はワンちゃんが何て言っているか分かるのよ」とかそんなレベルではなく,こうやって普通に会話が出来てしまう程度に分かっている。
正直な話,俺は幼稚園に上がるまでは動物も普通に人間の言葉を話す物だと思っていたくらいだ。
そのせいで小学校くらいまでは変人扱いをされていたが,その話は今は置いておく。
そしてその影響もあってか,中学からの俺はそこについては徹底的に隠して生活してきた。
この特徴については俺が気を許した,誰にもばらさないと信頼できる奴にしか教えていない。
高校でももちろんそれは変わらず,クラスでも知っているのは隼人くらいなものだ。
「それにしても寒いな……」
今までコタツでぬくぬくしていた代償か,一歩外に出ると先ほどまでより更に冷たくなった空気に体が震える。
これは冗談抜きで短めのコースにしないと風邪をひく。
そう思いながら足早に散歩道を進む俺たちの前に,細い路地からふらりと1匹の猫が現れた。
「…見ない顔だな……」
真っ先に反応したのはゴロ。
伊達に長年生きていないこいつは,近所の動物たちのリーダーのような存在らしく、散歩をしていると色々な動物から声をかけられる。
そのおかげで誰が新しく来たとか,逆に誰がいなくなったとかいう情報はすぐに入ってくる。
そのゴロが知らないとなると,つい最近来たばかりのやつなのだろうか。
「それに,アイツ何か危なっかしいぞ」
「…もしかしたら,どこか怪我してるのかも……」
コロの言葉に俺も頷く。
猫は周りをキョロキョロと見回しながら,後ろ脚を庇うようによたよたと道を渡っていた。
この道は狭いくせに意外と交通量もあるし,もしこの辺りをあまり知らずにあの状態で進んでいったらマズイ事になるかもしれない。
「ちょっと,君――」
気を付けて,と言おうとした時にはもう遅かった。
遠くから聞こえる,この辺りで暮らしていれば聞き逃すはずのない音。
こちらに近づいてくる,車の音。
「大輔!」
「分かってる!!」
コロに言われるまでもない。あの音,今の猫の状態,場所。どれをとっても最悪な未来しか浮かんでこない。
俺は咄嗟に2匹のリードを離し道路に飛び出した。
そしてまだ何も分かっていない様子の猫を急いで抱き上げ,そのまま道路を渡りきる。
俺たちが反対側の歩道に入った瞬間,俺の真後ろを結構なスピードを出しながら車が通過していった。
「…間一髪だったな。ダメだぞ,この辺は車もスピードを出してくるんだから」
「………?」
猫は俺の言葉にもキョトンとした様子で腕の中からこちらを見上げているだけだ。
「…あれ? 俺の言葉,分かるよな」
「……にゃぁ?」
「…………あれ?」
俺はその時,初めて漫画や小説の中でしか聞いた事のない,猫の鳴き声というものを聞いた。