水本家の日常
「ただいまー」
響くのは自分の声だけ。
カバンは自分の部屋に、リビングのソファーにぐったりとうつ伏せに横たわりながら、テレビのリモコンに手を伸ばす。首だけを曲げて適当にチャンネルを変えていても、家には誰も帰ってこない。
「お兄ちゃん、おはよー」
「空、おかえり」
「うん。ただいま」
俺の背中に普段以上の圧力が加わっていた。理由は空が俺の背中に乗っているからである。ソファーを占領してたらこうなるんだな、勉強になった。
「起きるからどいてもらえますか?」
そう言うと、素直に腰を上げてくれる。
「お兄ちゃん、お疲れ?」
「大丈夫。お疲れって言うほど疲れてない」
会話は一旦そこで途切れる。晩ごはん作らないといけなかったな。今日はご飯だけ炊いて、後はおかずを今からスーパー行って買ってこよう。
「空、悪いんだけど米洗っといて」
「うん」
「お兄ちゃんは今からおかずを買いに行きます」
「いってらっしゃーい」
マイバッグを持ち、自転車をとばしていく。
特に誰に会うこともなく帰宅。
おかずは唐揚げだったり、刺身だったりとほとんど適当に選んできてしまったのばかりだ。
「ただいまー」
本日二回目のただいまの挨拶。
「お米洗ったけどもうスイッチ入れていいの?」
「入れといていいよ。おかずこれでいいか?」
マイバッグの中から容器に入っている唐揚げなどのおかずたちを出してあげる。
「うん。これだけあれば充分だね」
「今、何時?」
「六時半だけど、何かあるの?」
ふと時間を知りたくなった。携帯はカバンの中に入れっぱなしだし、リビングには時計がない。
買った刺身を別の皿に移しかえて、冷蔵庫に入れる。
「風呂洗ってくる」
俺が家事を普通にこなせるのは、両親が共働きで俺が長男だったからなのだろうな。
「「いただきます」」
食卓には唐揚げと刺身とご飯とインスタントの味噌汁が並んでいる。今日は全然料理してないな。
俺も空も唐揚げから食べ始める。箸をつついて、ひたすら会話もなく流れていく。まるで結婚生活二十年ぐらいの夫婦並みに沈黙が続く。
「ごちそうさま」
俺が先にご飯を食べ終え、食器を流し台に持っていく。
「ごちそうさま」
俺に遅れること数分。空も食べ終わり、食器を持ってくる。それを受け取り、簡単に腕まくりをして洗い始める。
「私も手伝うー」
「大丈夫だから、空は風呂にお湯入れてきて」
「えー、たまには私も手伝いたいー」
「今日、米洗ってくれたからそれで充分だから。どうせ明日も早いんだから、宿題して寝なさい」
ちぇーと言いながら、渋々空は引き下がる。
「ただいま」
俺は洗った食器を片付けてると、母さんが帰ってくる。リビングにいたのは俺だけだった。
「空は?」
「風呂じゃない?」
「そう・・・晩ごはん残ってる?」
炊飯器を開け、中を覗き込む。いつもならあるはずの米が、今日はどこにも無かった。空が炊く分量を間違えたというか知らなかったのだろう。これは俺の監督不足だな。今度は教えておこう。
「ごめん。米無いからすぐに買ってくる」
俺は財布を持ち、コンビニに行こうとした。
「いいわよ。おかずはあるんでしょ?」
「おかずはあるけど、唐揚げと刺身でいい?」
「じゃあ、ビールもお願い。空が上がったら私も風呂に入ろーっと」
冷蔵庫からおかずを出して、洗ったばかりの食器の片方に刺身を乗せ、レンジで唐揚げをチンする。刺身の皿は先にテーブルに運ぶ。
缶ビールは母さんが来てから出そう。
「さてと、晩ごはんだー」
さっきまで社会の波に揉まれた人とは思えない格好で出てくる。唐揚げの皿をテーブルに置いて、醤油を小皿に注いでおく。
「お酒のつまみとしては上々ね」
母さんがお酒を飲む時は決まっている。有給の前日だ。だから、だらしない格好もする。これがストレスから解放されるための準備に近いものだろう。
「はい、缶ビール」
冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを母さんに渡す。ありがとうと言ってから、早速缶ビールに手を伸ばす。プシュっと聞き心地の良い音が出る。これが大人というものだと改めて感じる。
ゴクゴクと喉から音が聞こえる。
「あー、生き返るわーー」
「いつもご苦労様です」
感謝を述べ、その様子を見守ることにする。
「仕事は面白いときとただただつまらないときがあるからね、面白さを見つけるのが大切よ」
「ありがたきお言葉」
「しっかし、これは美味い」
「好きな人できたの?」
「うーん・・・」
「どうせ真由ちゃんでしょー、早く付き合いなさいよ。二人の孫が早く見たいのよーー」
「まあ、そうなんだけど」
「ビールもう一本」
俺は冷蔵庫からもう一本出して、自分の分のペットボトルの炭酸飲料も出しておく。
「何かあったら相談しなさいよー」
「はいはい、相談しますよ」
お酒を飲むときは何にも考えないでいることがあるため、聞き流せるところは聞き流す。
「いつか誰か一人だけを愛さないといけないのよ。みんなが好きなんて恋愛には通用しないよ。例えば私とパパはね・・・・・・」
こういう思い出話は何度も聞かされる。でも、実際その通りなのだろうと思っている。結婚するなら一人だけを愛さないといけない。結婚しないなら話は別なのだけれど。
こうして、約二時間ほど話を聞かされて、母さんは寝床という名の愛の巣に入っていく。
「ただいまー」
「父さん、おかえり」
「もう風呂入って寝るから、おやすみー」
「おやすみー。あと、母さんは酔ってるから」
帰宅してすぐにおやすみと言うのはどこを探しても俺の親父ぐらいしかいないだろうな。
すぐに浴室に向かっていく父親を見てから、自分はのんびりとリビングでくつろぐ。
鼻唄を歌いながら、父さんは愛の巣に行く。
今日もしかしたら、愛の巣が盛り上がるかもな。
俺にも新しい弟か妹ができるのかな?




