に・友達はいいもんだ
田園地域を走る古ぼけた単線電車。
線路に沿う様に田畑は広がり、青空を見るに邪魔な物は少なく、民家が見えてもわずかで人の気配に乏しく、電車は30分に1本しか来ないし、しかしながら不便さに土地の皆は慣れている。
蝉の声は時々に、またやかましく若急ぎ鳴く。
昼は辺りがのどかだが、夕刻に近づくと生物は息をひそめ侘しい。
そして夜になると、光が恋しい暗闇である。外灯がまばらだ、転々と灯りは、動物を導くよう。
線路は、何処へと続くもの。
『電車が、まいります』
駅のホームでは自動音声に頼らず、駅員によるアナウンスが流れていた。
『ただ今、夏の全国交通安全運動が実施されております。駆け込み乗車や踏切の無理な横断はおやめください……』
『危ないですから、黄色い点字ブロックまでお下がり下さい。電車がまいります。ご注意ください……』
電車が来るまで1分間、注意は続いた。だがホームに駅員以外の人は2人のみ。夜の始まりを陽光の静まりで示す頃、駅に近づく車内では、地域の方の協力もあって独特のアナウンスが流れている。
これがその一例だった。
『ご乗車中の皆様こんばんは、今日もJR極道をご利用頂きまして、ありがとうございます。間もなく出口は右側です。お降りの際は足元にお気をつけ下さい。また、急ブレーキを使用することがありますので、お立ちの際は手すりなどにおつかまり下さい。この列車には優先席がございます。座席を必要とされるお客様に席をお譲り下さい。特にお子様連れのお客様は、手を離さずにお降り下さい。携帯電話は優先席付近では電源をお切り頂き、それ以外の場所ではマナーモードに設定の上、通話はご遠慮下さい。次は赤井、へおいでのお客様は、ご乗車ありがとうございます。新出へおいでのお客様と、なお隣の新出で再度、高島線、お降りのお客様はお忘れ物のない様、お気をつけ下さい。利便寺に到着致します。普通列車、終着、どちらさまも地獄道連に到着致します。ありがとうございました。お気をつけ下さい。浄苑に到着致します。根尾まで普通列車です。黒谷ライナーとなり、途中、原田と今井から学園都市線、小池公園へおいでのお客様は、原田からは渡部や黒田に到着致します。天龍と嶋尾から袴田へおいでのお客様と森林公園へおいでのお客様は、大杉へおいでのお客様は、石橋からは、長嶋に到着致します。快速ツマライナー、東栄の順にとまります。およそ2分で(略)へおいでのお客様は、区間快速列車、席を離れる際は貴重品や手回り品に(略)携帯電話をお持ちのお客様(略)電源をお切りください(略)ただいまお客様のボタン操作でドアの開閉ができます。ボタンを押すとドアが開きます、お乗りになりましたら(以下略)』
車内のアナウンスは到着までの10分間続いた。車掌が『極妻』のファンであるらしい。
宵闇までは、まだ時かかる……。
サトミは、塾が終わって困っていた。
いつもは車で母親が送迎をしてくれるけれど、今日は急用で行けないからお友達と一緒に帰りなさい、と言われた。
はあい、と言われた時に返事はしたけれど、いざ帰ろうとすると、誰と帰ればいいのか悩んでしまったのだった。
(はあ、どうしよう。ひとりで帰っちゃ危ないって、怒られるよね……)
塾のある小さなビル、玄関まで出た後に立ち止まって、サトミは溜息をついて地面を見ていた。コンクリートの地面は何も答えてくれるはずもなく、先日、何処かであった誘拐事件を思い出していた。
サトミと同じ位の年の小学生の子どもが学校の帰り道で連れ去られ、行方不明になり、誘拐事件として警察は捜索したが、数日後に懸命の努力空しく少女は死体となって発見されたのである。
ニュースをご飯を食べながら家で観ていた母親と、サトミ。母は悲しい顔でサトミに言う、「絶対にひとりで帰っちゃダメよ」と。サトミも分かってか、「うん」と頷いた。
だが、帰る方向が同じである友達というのが、居なかった。なので、とりあえず玄関まで来たものの、途方に暮れた。
(どうしよう……)
教室に戻ろうか、と考えた時だった。話し声が聞こえた。
どうやらエレベーターの方からである。隅にあった。階段で下りてきたサトミは、そちらを窺っていた。
「あ」
エレベーターから出て来たのは、違うクラスの男女、数名だった。ぞろぞろとまとまって降りてきた様で、1グループの様だった。お互いに喋り合いながらサトミの方へと近づいて来た。
「だからよー、言ったじゃん。あそこはコウタが行ったらよかったんだって」
「でもさー、レイナが、やめとけって止めたんじゃん」
「何よ、あたしが悪いっての?」
「いい気味じゃん、ヒロミチ兄さん、呆れてるぅ」「え? 俺?」「顔に出てる」
他愛のないお喋りに花を咲かせていた様だった。
「あ、あの……」
小さな声だった。「ん?」と、ひとりの男子が気がついた。「誰、どした?」別の男子が声をかける。
「電車に乗って、帰りますか?」
サトミは怖々ながらも、勇気を出して聞いていた。「そうだけど」
グループの半分はサトミに気がつき、様子を窺っていた。
「一緒に帰っても、いいですか。実は……」
泣きそうな顔で、事情を説明した。「なあんだ、いいよ!」
さっきヒロミチ兄さんと呼ばれた男子が明るい顔で承諾した。「うん。いいよ!」他の男子も快く笑顔になる。「なあ?」「うん」「ええと、名前は?」「サトミです」「サトミちゃん。ねー、皆ー。一緒に帰っていいよねー?」「いいよー」「どうぞー」「何だ、そんなくらい」……と、会話が続く。
サトミは安堵した。「ありがとう」と言いながら、肩の荷が下りた事を心底喜び感謝した。
「じゃ、行こか」
「早く―、電車も近いよぉ~」
先に歩き出していた女子が促した。「待ってー」
サトミが加わった事により、グループは更に賑やかになった様だ。
最寄りの駅まで軽快なお喋りが続いていた。
道を歩いて行った。
すると、古びた神社の前を通りすぎる。
話題が自然と怪談になった。遊び半分で神社を訪れた女の子が2人居たんだけど、後で病気で死んじゃったんだって、ひょっとしたらタタリで死んじゃったのかも、などと噂した。
男子は、コウタ、ジュウジ、ヒロミチ兄さん。
女子は、サトミ、レイナ、ミユウ、ココアちゃん、7名である。
駅まで楽しく、学校や友達、テレビやアプリ、動画、アイドル、漫画、恋の話で盛り上がっていた。
もし生まれ変わったら、何になりたい?
うーん、そうだな、何だろう。分からない……。
もしあったら、教えてね。
男女のグループは、駅に着いた。
サトミと帰りが同じ方向のホームだったのは、ジュウジ君とレイナ、ココアちゃんだった。逆方向のため、ここでコウタ君とヒロミチ兄さん、ミユウちゃんと別れる。
「じゃあね。バイバイー」
「うん。また明日ね」
「あ、電車きた」
来た電車に乗り見送った後、サトミと残ったメンバーは向かいのホームで電車を待った。
『電車が、まいります。白線の内側まで、お下がり下……』
アナウンスは女性の声で、自動で流れ出していた。
がたんごとん、がたんごとん……。
単線の田舎電車は、ゆっくりと線路の上を滑って来る。キキ、プシュウ~……。
横に並んでいたサトミ達の前でとまった。ドアが開く。
電車の一番後ろの車両に乗り込んで、数分と経たない内に電車は走り出した。
「ねえジュウジ。明日、買い物付き合ってくんない? パパの誕生日なんだ」
7人掛けくらいの座席の端に座っていたレイナが隣の男子に話しかけた。
「へえ? そうなんだ、いいよ暇だし」
「ほんと? じゃあお願い。パパ、ガンダムが好きなんだけどファースト派とかアムロとかよく解らなくて。知ってるフィギュア屋ある?」
「うん。そっちなら任せて」
などと、仲良くしている。サトミには2人が付き合っているのだろうかと思えた。
(あ、そう見える? 実は公認の仲だったり)
声をひそめて教えてくれたのはココアちゃんだった。向かいに少し離れてサトミと並んで座っていた。車両内には他に誰も居なかった。
塾が終わって、夜も9時頃。窓からは明かりの乏しい田園しかなく、真っ暗である。
3番目に着いた駅で、ジュウジ君とレイナは降りた。
電車は走り出す。車両内はサトミとココアちゃんだけになった。『次は~、地獄道連駅~、地獄道連駅にとまります……』自動車内アナウンスが響く。
しばらく黙ったまま肩を並べて2人が座っていると、ココアちゃんからサトミに話しかけてきた。
「成績、どう?」「あ、と。うん」急に言われて少し間を置いた。「まあまあかな」
「そっかー。私ね、最近塾の成績よくなくて。学校で成績よくないからって塾通う事になったのに、ママの機嫌がますます悪くなっちゃってさ……」
ココアちゃんは落ち込んだ様子で膝元の爪先を見つめていた。ピカピカに磨かれた爪だが鏡とまではいかない。ツインテールで束ねに使われている髪ゴムは薄いピンク、どこからどう見ても可愛らしい女の子だった。髪質がふわふわとして、綿菓子を思い出させる。
「ママが怒るの?」
「うん。これ以上馬鹿になるなって叱るの」「そっか、辛いね……」「うん」
サトミの学校の成績は中の上くらいである。ココアちゃんの親と比べると、自分はまだいい方かなと思った。塾は、成績がというより通ってみたいからという願望の方が強い。サトミは目の前のココアちゃんを見て自分が申し訳なく気おくれする。
「いっそどっかに行きたいよ……」
ココアちゃんは言った。
窓の奥、景色は暗いために見えないが、ずっと眺めていた。
すると、突如に電車が減速する。キキキーッ……
やがてとまった。「え?」「何?」
2人は動揺し、肩を寄せ合っていた。
一体何があったのか――
「あ、車掌さんがこっち来る」
不安に駆られたのか、ココアちゃんは居てもたってもいられないのか立ち上がって、隣の車両に駆け込んだ。
「何があったんですか?」
勢いで、向かってきていた車掌に訊ねた。
「ああすみません。どうやらシカが飛び出した様で……」
まだ若そうな男の車掌がそう言った。「シカー!?」とココアちゃんとサトミは声を上げる。
「よくありますよ。確認中なので、まあ、すぐに電車出ますから。しばらくお待ち下さい」
車掌はニコニコと笑顔だった。こんな時に何で笑うんだろうとサトミは眉をひそめたが、きっと私達を安心させるためだと決めつけた。
「仕方ないよね」
「うん、動物じゃあね」
「仕方ない。待ってよーう」
むしろ楽しんでしまおうとミユウちゃんは言った。サトミもそうだそうだと賛成する。
車掌さんの笑顔も忘れて、女子だけで盛り上がろうとした。
友達って、いいな。一緒に居れば、心強い。
サトミはひとりでなくてよかった、と座席にもたれながら思った。
「あ、そうだ。お母さんに遅くなるってメールしておこうかな」
安心すると、色々と思い出してしまう様だ。サトミは買ってもらったばかりのスマホを鞄から取り出した。
「うわ、金もちー」
スマホを見て冷やかしたのはココアちゃんだった。先ほどの事情を聞いてしまっているとサトミは少々、気が引けたが。構わず、スマホの画面を見た。
ふ、と。背後に気配を感じた。サトミに違和感の様なものが走る。後ろは、窓だった。
(ヒッ)
サトミは、一瞬だったが、スマホの画面に「何か」が映った様に感じた。画面にはサトミの背後が映っているが、停車し動く物が無いはずの窓に「何か」が映った気がしたのだった。
しかし今は何も映っていない。電源は入れたままなので、待ち受けにうっすらと自分の顔が見えるのみ。
「どうしたのサトミちゃん?」
「い、今何か後ろに居なかった?」
「居ねえよ? 何も」
向かいに座っていたコウタ君とヒロミチ兄さんが不思議そうに答えていた。
そして笑って、サトミ達は顔が真っ赤になっていた。
「そ、そう……?」
馬鹿な事を聞いてしまったのかとサトミは恥ずかしくなって縮こまって俯いていた。
「あのさ」
「え?」
「今度さ、皆でどっか行かない? 遊園地とか、湖岸とか、花火とかさ」
そう話を持ち出してきたのはコウタ君だった。メンバーの中で一番元気がありそうな少年。活発そうで、周りの人を幸せにでもしてくれそうだった。
「花火! いいね! サトミちゃんも増えたし、新しい仲間、って事で!」
「湖岸なら近いし、釣りやバーベキューでもいいし、神社もあるし、遊べるね!」
後押しするかの様に盛り上がってきた。サトミも楽しくなってきて一緒に喜んだ。
「でもジュウジとレイナがなぁ。あいつら、そういうの嫌って言うかもよ?」
声を低めに言い出したのはヒロミチ兄さんだった。メンバーの中で年長らしい彼は意地悪そうに言った。
「アラ失礼ね、そんな事ないわよ? ねー、ジュウジ!」
入口の傍でレイナは声を荒げて言った。「うん。全っ然OK」と隣りに立っていたジュウジ君が何でもなく答えている。
じゃあ、皆で行こう! 決まり!
全員の意見が一致した所で、突然、電車が動き出した。
「あ、ようやく」
「確認終わったのかな。あ、ママにメールしてない」
「ははは、もういいんじゃね?」
笑いながら、サトミは鞄にスマホを戻した。さっき見たのは気のせいね、と息を長くつきながら、隣の車両を見ると、こちらを見ているらしき人影が目についた。
(あれ……?)
サトミは隣の車両に通じるドアの窓に映った人影を、変に思った。誰が向こうに立っていたかと思えばツインテールの女子、ココアちゃんだったのだ。
(どうしてそっちに居るの……?)
奇妙な感覚がした。何かが、間違っているのか。
『次は~、浄苑駅~、浄苑駅』
電車が減速していくのが分かった。サトミは思い出した様に声に出す。「あ、次降りる!」どうやらサトミが降りる駅が近づいてきたらしかった。
その拍子に立ちあがって、サトミは揺れながらも、隣の車両へ行ってみて確かめておこうと思った。
「どこ行くの?」
それを訊ねる声がする。サトミが反射的に振り向いた。そして首を傾げた。
(あれ? 誰だっけ……)
電車に乗る前に全員で自己紹介を済ませたはずだったが、顔姿を見ても名前が出てこず、しまった忘れてしまったなとたじろいでいた。
(名前、何だったかなー)
どうにも出てこない。サトミは固まって苦戦していた。
「どうかした? トモカ」
また声がした。今度は、レイナだった。レイナが話しかけたおかげで、悩んでいた相手の名前がトモカだったとサトミは思い出していた。
(ああそっか、トモカちゃんだ。覚えておかなくちゃ)
サトミはまたもや安堵して息をついた、ちょうどその時である。
電車はゆっくりと、停車した。駅に着いたのだった。
「じゃあ、またね!」
サトミは手を振って、歩き出す。気になったままでは嫌なのでと隣の車両へ向かう。気になっていたのは、ココアちゃんが何故、隣の車両で見えたのか――。
しかし移った所では、誰の姿も無かった。
(やっぱ、気のせいかな……疲れているのかも)
今日は変な日だな、とサトミは自分の頭をこづく。振り向かず、サトミは歩きホームへと降りて行った。
降りた後で電車を見ると、2両編成の電車だが、ドアが閉まり、サトミの前を走り出して通過して行く。
あれ、この電車って、2両だったっけ……?
電車が過ぎ去った後、しばらく立ったまま考えていた。
(乗ってたのって2両目だったよね? 皆で乗ってて、お喋りしてて……ココアちゃんだけが、何で前の車両に乗ってたんだろうって、それで)
何とか事態を整理してまとめようと試みたが、駄目だった。記憶が曖昧だった。
(まあいっか)
空を見上げて、そう落ち着けた。そして去る。悩みの無い顔で、清々しく改札口を出て行く。「おかえり」と、駅員のおじさんが挨拶をしていた。
電車は客を乗せ、暗闇へと消えていった。いっそどっかに行きたいよ。宵闇まで。
気づいて……
《END》




