来襲
宮司と信也は高校の終業式を済ませて家路についていた。
「今日もあちーな」
七月も半ば、うだるような暑さが連日続いていたので宮司の友人、信也が愚痴をこぼすのも仕方のないことだろう。
「ああ、まったくだ。半ドンじゃなかったら中抜けしてるよ」
「ははは、無遅刻無欠席で皆勤賞狙ってる奴がなに言ってやがる。――そうだ宮司、海行かないか? 涼しいし可愛い子もゲットできて一石二鳥だぜ」
「海か、行きたいけど日帰りに行くには遠いしな。剣道の練習もあるし。俺はやめとくよ」
「まあ、残念だがそういう事なら仕方が無いな。俺は一足先に彼女を作らせて貰うぜ」
「ああ、健闘を祈るよ。じゃあ、またな」
「おう、宮司も頑張れよ」
宮司は、信也と別れて石段を登り始めた。
伊勢宮司、高校二年生の青少年で運動神経は抜群、全国中学生剣道大会で三連覇した成績を持つが、全国高等学校剣道大会では惜しくも準優勝に終わった。
だが、勉強は中の下と、残念ながら天は彼に二物を与えてはくれなかった。
「はぁ、まったく毎度の事ながらこの長い階段は嫌になるな・・・・・・」
宮司は、石段を五分ほど上った所にある神社に祖父と共に住んでいる、神社は有名ではないものの、古くから続いており、地元の人たちに愛されている。さらに祖父がマンションも経営しているのでお金には困っていないようだ。
いつもどおり母屋に行くため、裏に回ると見慣れないモノが横たわっていた。
「ん? なんだありゃ・・・」
また息倒れか? ったく神社だからってあてにされても困るんだよな・・・・・・このままにしとく訳にもいかないし、仕方ないか・・・・・・。
「もしもし、大丈夫ですか? 返事できたらしてください」
それに近づくと、2、3回頬を叩いた。すると、それは目を開いた。
「う、うぅ・・・・・・」
意識はある様だな。
「大丈夫ですか? この指が何本かわかりますか?」
そういうと宮司はそれ、の眼前に指を二本立てた。
「ん、ああ・・・・・・二本だろう? すまないが、水を一杯もらえないだろうか?」
「今もってくるんでちょっと待っててください」
こんな日にマントなんて着てるから熱中症になるんだ。意識もはっきりしてる様だし、水をあげてお引取り願うとするか。
一度、家に戻りコップに水を一杯注いでから宮司はそれの元へ戻った。
「水です、どうぞ」
それは、水を受け取るなりすぐさま喉へと注いだ。
「ふう、助かったよ少年、ありがとう。しかし、不審者みたいな風貌をしている私を助けてくれるなどやはり優しいな少年は」
それは、水を飲み干し立ち上がると、感謝の言葉を口にした。
「いえいえ、困ったときはお互い様ですから、気にしないでください」
さっきはフードに隠れて気づかなかったけど綺麗な目の色だな・・・・・・外人さんかな? でも日本語喋ってたし・・・・・・。
「少年、ここはお前の家なのか?」
「え? ええそうですよ」
斜め上の質問に宮司は、やや戸惑いながら答えた。
「ふむ・・・・・・迷惑ついでにもう一つお願いを聞いてくれないか?」
「なんですか?」
「私を、少年の家に置いてはくれないか?」
「え? 俺の家にアナタを?」
「ああ」
意味が分からない・・・・・・もしかして俺が忘れてるだけで実は従姉妹とか? いやいやいや、俺にガイジンの従姉妹なんていないはず・・・・・・でも、もしかしたら遠い親戚かもしれない、うん、そうだ、そうに違いない。赤の他人よりかは幾らかマシだ。
宮司が、じっと考え込んでいると、痺れを切らしたのか、それが、話しかけてきた。
「おい、黙り込んでどうした?」
「えーと、俺の親戚、ですか?」
淡い希望を抱きながら、質問した。
「まさか、親戚なわけがなかろう。暑さで朦朧したか?」
それは、なぜそんな変な事を効くのかといった様子で言った。
「・・・・・・え?」
余計に訳が分からなくなってきた・・・・・・初対面の家に泊まろうとするなんてもしかしてテレビの人なのか?
「またダンマリか? 良いのか、悪いのかどっちなんだ」
「あの、非常に言いにくいんですが流石に初対面の相手を泊めるのはちょっと・・・・・・・」
「どうしてもか?」
「はい」
「こんなに頼んでもか? もうその決定は覆らないのか?」
首をかしげ、上目遣いで、なおも食い下がる。
「すみませんけど、もうこの決定は覆らないです」
宮司はその仕草に一瞬傾きそうになったものの、何とか拒否の言葉を口にした。
「そうか、それは致し方ないな。君にも事情が有るだろうし、置いてもらうのは諦めるとしよう」
「そうしてくれると有りがたいです」
相手が以外にもすんなり諦めてくれたので、宮司はほっと肩を撫で下ろした。
「それじゃあ、ここを更地にして城を建てるとするか」
それはさらっと恐ろしい事を言い放った。
「そうそう、ここを更地に・・・・・・って、えぇ!?」
泊めてくれと言ってきたり、更地にするとか何なんだ・・・・・・。
「ん? どうかしたか? 少年」
「いやいや、どうかしたかって、どうかしますよ! 更地にするって俺んちをですか?」
「そうだが? ああ、案ずるな少年よ、君は城においてやるから」
「それはありがとうございます・・・・・・じゃなくて!何で俺の家を更地にするんですか!」
「仕様が無いだろう、少年が置いてくれんのだから。更地にする以外方法がないであろう?」
「だから、何でそこで更地にする方向に考えがいくんですか・・・・・・」
「ん? 他人の土地でも更地にすれば更地にした者の物になるのが、古くからの世の理ではないか」
それは、恐ろしい事をさも当然のように言い放った。
「アナタは何時の時代の人ですか・・・・・・その理屈は現代日本では成り立ちませんよ・・・・・・そもそも更地になんて出来るわけないでしょう?」
「侮ってもらっては困るな少年、私にかかればここら一帯を更地にするくらい朝飯前だぞ」
不敵な笑みを浮かべ、宮司を脅した。
「・・・・・・」
テレビのドッキリなのか? でもカメラも見当たらないし・・・・・・。もうなんでもいいから早く切り上げたい・・・・・・。
「む? 何だその目は、疑っておるのか?」
「この状況で疑わない人がいたら、ぜひ会って見たいもんです」
「ふむ・・・・・・それもそうだな。証拠も無しに信じろと言うのも無理があるか。――よし、では今から実際に証拠を見せてやろう」
それは勢い良くマントを脱ぎ捨てた。
マントの下から現れたのは身長百六十センチ程の、この世の者とは思えないほどに見目麗しい女性だった。
切れ長の目から覗く瞳は、透き通る様な紫色で、すっと通った鼻筋に、不敵な笑みを浮かべた口とが相まって冷酷そうな風貌をしている。
肩より少し長い髪は銀色で太陽の光を受けてキラキラと輝き幻想的な雰囲気をかもしだしている。
頭部を支えている首は余りにも華奢で、折れてしまわないかと心配になるほどだ。
その下には引き締まった胴体があり、自己主張の少ない胸には、爬虫類の皮から作ったであろう、鮮血のような真紅色の胸当てを着けていて、胸当ての真紅色が褐色の肌に良く映えている
肩から延びる細い腕にはこれまた、細く繊細な手。脇から延びる線は腰で緩やかな曲線を描いていた。
小ぶりだが形の良いお尻には、胸当てと似た色に染めた布を巻いており、そこから健康そうな太ももを覗かせていた。
しかし、即頭部から顔を覗かせる無骨なツノと、背中に生えている、胸当てと同じ真紅色のドラゴンのような翼が、彼女をただの美しい人間ではなく、一つ上の神秘的な存在に仕立て上げていた。
「ズイブンと凝ったコスプレ、デスネ?」
余りに現実離れした姿に、宮司は唖然としながら言った。
「こすぷれ? なんだそれは、もしかしてまだ私のことを疑っておるのか? 疑り深い奴だのう・・・・・・ほれ、これならどうだ?」
それは翼を大きくはためかせ空へと舞い上がり、一回転したあと、再び地面に舞い降りた。
「少年、信じる気にはなったか? ――おや、腰が抜けたのか? だらしないぞ少年」
「な、何だよ、今のは・・・・・・一体、何者なんだよ! アンタ!」
「ふっふっふ、良くぞ聞いてくれたな。私の名はクヴィネ・ヴォルフガング・ディ・クオーリ 、魔界にあるクオーリ王国の魔王をやっている」
「ま、魔王って・・・・・・じゃあさっき、ここを更地にするって言ったのも・・・・・・本気で」
「ああ、大真面目だ。さて少年、私が本当にここを更地に出来ると分かったわけだが、どうだ? まだ気は変わらんか?」
「・・・・・・」
こいつ、まさか最初から俺んちに居座るつもりで家の前に倒れてたんじゃ・・・・・・。だとしたら俺に選択肢なんて無いのか? いや、まだだ、別のところに移ってもらえれば・・・・・・。
「沈黙は肯定と受け取るがいいのか? 少年の家が吹き飛ぶぞ?」
クヴィネがそう言って手を振ると、辺りを強い突風が襲い、木々を揺らし、家の雨戸を鳴らした。
宮司は、寸刻後にやっと言葉を発する事が出来た。
「どうして・・・・・・」
「ん? なんだ?」
「どうして、俺の家なんだ? それ程の力があるなら、何処か、別のところでもいいじゃないか」
宮司は藁にもすがる思いで提案した。
「少年には悪いが、ここが丁度神気のあふれる場所なのでな。絶対にここじゃないと駄目なのだ。こればかりは譲る事は出来ぬ」
「しん・・・・・・き?」
「ああ、我々の魔力の元みたいなものだ。この神気は中々優れものでな、私から出る微弱な魔力を隠して探知を出来なくしてくれるのだ」
「そんな物が・・・・・・」
そんな力が有るから、此処に神社を建てたんだろうけど、恨むぜ俺のご先祖様・・・・・・。
「少年、これが最後だ、私を少年の家に置いてくれないか?」
クヴィネは笑みを浮かべながら言った。
もう俺に選択肢は無いって事か・・・・・・。まだ居候させるなら主導権は俺にあるはずだし話し合いが出来るだけましだと思って諦めるしかないか・・・・・・。
「・・・・・・はぁ、分かった、分かったよ・・・・・・けど! その翼とかを隠せたらだぞ! 隠せなかったら物置に住んでもらうからな!」
「案ずるな、私にかかれば体の一部を消すなど造作もない。――しかし物置とは・・・・・・先ほどまで腰を抜かしておったのに、よく言うな、少年」
そう言いながら、クヴィネはツノと翼を宣言通り、跡形も無く消した。
「男に必要なのは度胸と適応力だからな。それに、わざわざ交渉しようとしたって事は、お前だって無闇に危害を加えるつもりは無いんだろ?」
「当たり前でろう。それより少年、喋り方が変ってないか?」
「これからお前と一緒に住むのに、外面モード全開でいけるわけ無いだろうが」
「ふむ、それもそうだな。それと私はお前ではない。クヴィネというちゃんとした名がある」
「それは悪かったな。クヴィネ。俺の名前は伊勢宮司だ。宮司でいいぞ」
「そうか。これから宜しく頼むぞ。宮司」
「こちらこそ、宜しくな。クヴィネ」
二人は固く握手を交わした
かくして、人間と魔王の奇妙な同居生活が始まったのであった――
「じいちゃんには外国の従姉妹が泊まりにきたって言うから、話あわせろよ?」
「それは分かったが、信じるのか? 何なら私の幻術で・・・・・・」
「その辺は心配すんな、俺のじいちゃん、細かい事気にしないから」
「そうか、それは助かる、幻術は苦手なものでな」
苦手って、そんなの人のじいちゃんに使おうとするなよ・・・・・・。
「魔王なのに苦手なものがあるのか、意外だな」
「当たり前だろう、魔王と呼ばれていても所詮は魔人、得手不得手位はある」
「へー、そうなのか、じゃあクヴィネは何が得意なんだ?」
「しいてあげるとするなら、物を操るのが得意だな。先ほどやったみたいに風を起こしたり、物を飛ばしたり、後は体の一部を変異させたりするのも苦手ではない」
「・・・・・・もしかしてお前って、魔人の中だとそこまで強くなかったりするの?」
「う、痛いところを突いてくるではないか、まあ、私より強いのは星の数ほどおるぞ」
「ふーん、そこまで強くなくても魔王になれるのか」
「当たり前だろう。魔王に求められるのは単純な力ではなく、国を治める力と後はカリスマ性だからな。まあ、余りに力が無さ過ぎるとクーデターで滅んだりもするが」
「ふーん、力だけじゃ駄目ってのは日本と似てるな」
「それより、何時まで外にいさせるつもりなんだ。早く中に入れんか、暑くて死にそうだぞ。それに早くおじい様に挨拶をしなければならんし」
「それもそうだな、まだ聞きたいことはあるけど後にするか。それよりお前、他の服無いのか? さすがにその服はここだとおかしいぞ」
真紅色の胸当て、そして腰に布を巻いただけの姿は明らかに異色を放っていた。
「むう、困ったな。この他には羽織ってきたマントしかないのだ」
「じゃあ取りあえず俺の服貸すからそれで我慢してくれ。そんで明日町に買いに行こう」
「おお、恩に着るぞ。宮司」
「じゃあ俺の部屋行くから付いて来てくれ。鍵はちゃんと閉めろよ」
宮司は玄関を開けると、奥へと消えていった。クヴィネも慌ててマントを拾い、後へ続いた。
「しかし予備の服を持ってないなんて、服も作るつもりだあったのか?」
「何を言っておる、服などわざわざ作るわけ無いだろう。困ったら何処からか拝借してくるつもりだったのだ」
悪びれる様子も無くサラッと言ってのけた。
「拝借って・・・・・・泥棒じゃんか」
「奪ったら私のものだろう?」
「だから、その理屈は現代日本じゃ成り立たないって言っただろ。頼むから窃盗で捕まるのだけは勘弁してくれよ」
そうこうするうちに、二人は宮司の部屋に到着した。
「とりあえず、Tシャツとハーフパンツでいいよな――ほら、サイズ、大きいかもしれないけど・・・・・・」
宮司は箪笥から出したTシャツとハーフパンツを、辺りを物珍しそうに見ているクヴィネに放った。
「ありがとう。助かったよ宮司」
服を受け取ると感謝の言葉を述べた。
「気にすんな、んじゃ外にいるから着替え終わったら言ってくれ」
「ああ、了解した」
宮司は部屋から出て障子を閉めた。
――数分後。
「宮司、着替え終わったぞ」
障子が開いて、身体より幾分大きいTシャを着たクヴィネが出てきた。
「やっぱり大きかったか。昔のがあれば良かったんだけど全部雑巾にしちゃってさ。今日一日、我慢してくれ」
「いや、なかなか動きやすくていいぞ。この服」
クヴィネはその場でクルクルと回った。
「それなら良かった。じゃあ着替え終わった事だし、じいちゃんに挨拶に行くか。今なら居間にいるだろうし」
「うむ、頼む」
宮司はクヴィネについてくるよう促がしてから歩を進めた。
「外国から日本に来たって事でいいな。それと敬語使えるか? そこらへんは煩くてさ、じいちゃん」
「問題ない、魔王たるもの礼儀作法は完璧でないといかんからな」
「それならいいが・・・・・・」
宮司は胡散臭げにクヴィネのほうを見た。
「何だ? その目は疑っておるのか?」
「疑ってるんだよ。本当に出来るのか?」
「はい、ご心配には及びません」
「すごいな・・・・・・本当に一国の王なんだな」
「恐れ入ったか」
クヴィネは胸を大きく反らせた。
そんな事をしていると、縁側に面した部屋が見えてきた。
「んじゃ俺が先に入って言ってくるから呼ぶまでここで待っててくれ」
クヴィネが頷いたのを確認してから、障子を開けて中に入っていった。
「じいちゃん、話があるんだけど」
宮司が声を掛けると、宮司の前に座っていた老人は、読んでいた新聞を畳んで机の上に置くと、宮司に目を合せた。
「何じゃ、宮司」
宮司は言いにくそうに口を開いた。
「あのさ、従姉妹が来たから暫く泊めたいんだけどいいかな?」
「従姉妹? もう来ているのか?」
老人の眼光が鋭さを増す。
「うん」
「そうか、ならその子をここに連れてくるのじゃ」
「分かった。クヴィネ、入って良いぞ」
数秒後、クヴィネはどこで習ったのかは分からないが、行儀作法の本に載っている様な手順で障子を開け、また同じように閉めると、老人の前に正座した。
「先ほどご紹介に与りましたクヴィネと申します。いきなり押しかけて置いて厚かましいとは思いますが、暫くの間ここにおいて頂けませんでしょうか?」
そこまで言ったところでクヴィネは深くお辞儀をした。その端整な顔立ちと優雅な仕草が織り成す調和に、宮司と老人はしばし見とれていた。
「おほん、まあ、置いてやっても良いが一つ条件がある」
咳を一つし、老人は場を仕切りなおした。
「条件、ですか? このクヴィネに出来る事でしたら何なりと申してください」
「うむ条件というのはなここで巫女のバイトをして欲しいのだ、先日バイトが辞めてしまって困っていたところなんじゃ、勿論バイト代も少ないがだすぞ」
「はい、是非やらせて下さい」
「よし、決まりじゃ。部屋は空いてる客間を使いなさい。それと今日から敬語は使わなくていいぞ」
「ありがとうございます」
クヴィネは深くお辞儀した。
「ありがとう、じいちゃん」
「しかし、外国の方みたいだが日本語がうまいんじゃな」
「はい、母が日本人で日本語を教えてくれたので」
「ほう、どうりでうまいわけじゃ」
ぐぅ~
「あっ、すいません」
クヴィネは頬を赤く染め、俯いた。
「ははは、いい、宮司、クヴィネさんに何かご飯を作ってやりなさい。そのあと客間に案内してあげるんじゃぞ。わしは本堂に行くからの」
「本当にありがとうございます」
クヴィネは軽く一礼した。
「今日は疲れただろうゆっくり休みなさい。バイトの事は今日の夜に話そう」
「はい」
「じゃあ、宮司後は頼んだぞ」
「はいはい」
老人は立ち上がり、居間を後にした。
「良かったな、OK貰えて。――昼飯、チャーハンでいいか?」
そう言いながら立ち上がると、居間の奥にある台所まで歩いていった。
「ああ、幻術を使用せずに済んで良かったよ。飯は何でも平気だ。出されたものは何であろうと残さず食べる、それが魔王というものだからな」
「分かった。けどお前、どこで日本の行儀作法習ったんだ? やけに詳しかったけど」
「本で読んだことがあってな、まさか役に立つ日が来るとは思わなかったよ」
「読んだって・・・・・・なんで魔界に日本の作法が載ってる本があるんだよ」
宮司はネギを刻みながらクヴィネに疑問を投げかけた。
「こちらの本は魔界ではかなりポピュラーな娯楽だぞ」
「へー、じゃあ漫画とかも読むのか?」
「いや、漫画は教育上悪いとかで読ませてくれなくてな。まったく、ベレイは厳しすぎるのだ。毎回々、小難しい本や礼儀作法の本ばかり読ませおって・・・・・・」
クヴィネは愚痴をこぼした。
「ははは、そりゃ災難だったな、漫画なら俺の部屋にあるから貸してやるよ」
「おお、それはありがたい。一度読んでみたかったのだ」
宮司は、油を敷いたフライパンにご飯、卵、ネギ、ソーセージを入れて炒めながら聞いた。
「そういや、魔界ってどこにあるんだ? 地球とは別の星なのか?」
「ここだ」
クヴィネは床を指差した。
「へ? 地下ってこと?」
「馬鹿いうな、地下になど住めるか。私達の住む魔界もここにあるのだ。建物などの人工物はないがな」
「全然、分からないんだけど」
宮司は首を傾げた。
「まあ、理解できぬのも仕方が無い、こちらからでは認識することが出来ないからな」
「こっちからは見えないって事は魔界からは見えるのか?」
「ああ、ガラスや水面などに写っておるぞ」
「ますます訳が分がわからん」
フライパンからチャーハンを、お皿に装いながら言った。
「ほら、出来たぞ」
「まったく、簡単に言うとだな、――おお、良い匂いだな美味しそうだ」
目の前にチャーハンの乗ったお皿が置かれるとクヴィネは鼻をひくつかせながら呟いた
「これが食べ終わったら宮司にも分かるように説明するから待っていろ」
目をチャーハンに釘付けにしながら言った。
「分かったから冷めない内に食えって」
「そうだな、では頂くとしよう」
クヴィネは、スプーンでチャーハンを一口分掬うと口へと運び、良く味わってから飲み込んだ。
「うむ、なかなか美味ではないか。やるな宮司」
「それは良かった」
これなら量増やすだけで問題なさそうだな。と宮司は思った。
クヴィネは、スプーンで皿と口とを往復させた。
十分ほどでクヴィネは皿を空にした。
「ふう、ご馳走になったな」
クヴィネは満面の笑みを浮かべながら礼を言った。
「喜んでもらえると作った甲斐があるってもんよ」
懐かしい感じのする笑顔だな・・・・・・。前に一度見た事があるような気もするけど・・・・・・気のせい、だよな。
「よし、腹も膨れた事だし魔界について説明するとするか」
クヴィネはホクホク顔を一転して真面目な顔に切り替えた。
「おお、頼む」
クヴィネの真剣な顔を見て、宮司も居住まいを正した。
「君はマジックミラーを知っているか?」
「ああ、表からは自分が写って裏から見ると表を見ている奴が見える鏡だろ?」
「まあ、△といった所かな。大体あっているが、厳密にはマジックミラーには表と裏は無い。アレは一定以上の光を当てると反射するようにガラスに細工をしただけの物だ。片面を明るい方に向けもう片面の方を暗くしてやると、明るい方は光が反射して自分が写り、暗い方は光が反射しないので明るい方にいる者が見えるという訳だ。ここまではいいか?」
「大体・・・・・・」
「では、次にいくぞ。今私達がいる世界がマジックミラーの明るい方だ、そして魔界がマジックミラーの暗い方。明るい方にいる私達は自分の今いる世界しか認識できぬが、魔界にいる者たちは暗い方の世界と明るい方、両方の世界を認識できる。という訳だ」
「ふうん、大体分かったけど、こっちからはどうやっても魔界に手出しできないのか? 一方的に攻撃されそうだけど・・・・・・」
「明るい方からはどうやっても暗い方を認識できぬのだから手の出しようが無い。しかしそれは例外を除けば暗い方も同じだ。認識が出来ても所詮ガラスや水面に写っているだけだ。幾らガラスを割ろうがこちらに影響を及ぼす事は出来ぬ」
「だが今から二千年程前に一人の魔人が魔界からこちらの世界に行く事の出来る魔鏡を作り出してな、それからは自由に行き来出来るようになったのだ」
「最初の頃は魔人が魔獣を連れてこちらの世界に来て好き勝手やっていたらしいが、今は魔王になるか魔界総括本部の許可を貰わねば使えぬようになっておるから安心してよいぞ」
「それだと魔王が独断で攻めてこれないか?」
「その辺も心配はいらん、無闇に軍を動かせば周りの国に付け入る隙を与えてしまうし、なによりこちらの軍事力が高いからな、好き好んで侵攻する奴などおらん」
「それは良かった。しかし、それだけ前から来てるなら神話の元になった魔人や魔獣もいそうだな」
宮司は、期待に胸を膨らませた様子で言った。
「そうかもしれないな、私が知っている限りでは、日本の鬼や妖怪といった類のほとんどは魔獣だぞ」
「へ~、じゃあUMAが本当にいる可能性もあるのか、夢が広がるな」
人間と魔王が話に花を咲かせている一方、魔界にあるクオーリ王国ではとうとう魔王逃亡が従者に見つかってしまった。
魔王の住む王宮は丁度、宮司の家を中心にしてかなりの範囲に広がっている。
頭に猫耳を生やした女の子が昼食の載ったワゴンを重そうに押している、この娘の名をバレットと言い、魔王の侍女をしている。
今日も何時もと同じように昼食を届けるために執務室へ向かっていた。
執務室へ着くとバレットは、深呼吸してからドアをノックした。
「魔王様、昼食をお持ちしました」
――返答が無い、普段なら直に応答が返ってくるだけに、バレットの頭に嫌な予感がよぎる。もう一度ノックしてからドアを勢い良く開けた。そこには書類と格闘している魔王の姿は無く、代わりに顔に封筒の付いた泥人形と赤い液体の入った小瓶が置かれていた。
バレットの予感は的中した。
昼食の載ったワゴンを隅に置いてから、足早に泥人形に近づくと封筒を顔から引っぺがし、封を切ると中身を取り出した。そして二、三回読み返してから、脱兎のごとく何処かへ駆け出していった。
執務室からそう遠く離れていない部屋で、先ほどとは対照的に背の高い、凛とした顔に眼鏡をかけた長い黒髪の女性が、窓際に置かれた椅子に腰掛けて読書に興じていた。名をベレイと言い、魔王のお目付け役である。
しばらくするとドアを叩く音が辺りの静寂を破いた。ベレイは溜息を一つ、ついて読んでいた本を閉じると、顔を引き締めてドアへと向かうと鍵を開けた。
するとすぐさま勢い良くドアが開けられた。
「お姉さま! 大変です! また魔王さまが逃げ出しました!」
先ほどのバレットが慌てた様子で入ってくるなり叫んだ。
「ってあれ? お姉さま? どこですか?」
「ここよ・・・・・・」
ドアと壁の間からくぐもった声が聞こえた。バレットは慌ててドアを閉めた。
「もう、何度言ったら分かるのかしら? ドアは静かに開けるよう言っているでしょう? まったく・・・・・・それで魔王様が逃げ出したというのは本当ですか?」
おでこをさすりながらもう一度聞きなおした。
「ごめんなさい、お姉さま。その、これが執務室においてあって」
バレットは封筒を差し出した。ベレイは受け取ると中から紙を出して読み始めた。紙にはこう書いてあった。
バレット、ベレイ両名へ
私は少しの間、慰安旅行に行って来る。
公の場は、私の血を置いていくからそれで、ゴーレムを作って誤魔化してくれ。
細かい事は別途机の引き出しに入ってるからよろしくたのむぞ。
追記 お土産を買って帰るから楽しみにしとくが良い。
クヴィネ・ヴォルフガング・ディ・クオーリ
ベレイは、溜息をつくと頭を振った。
「バレット、今すぐ将軍に捜索隊を出すように伝えなさい。ただしあまり大袈裟にならないようにしなさい」
「はい!」
元気良く返事をすると、あっという間にバレットは部屋を飛び出し、すぐに見えなくなった。
「ふぅ、まったく魔王様の放浪癖には困ったものです」
目じりを押さえながら椅子に腰を下ろした。
ふと、ベレイが窓の外に目をやると、一羽の小鳥が大空へと飛び立っていった・・・・・・。
――所変わってまた日本。
「そう言えば、宮司のご両親には挨拶しなくても良いのか?」
「ああ、居ないからいいよ」
クヴィネは、はっとした顔をすると謝った。
「すまない・・・・・・野暮な事を聞いてしまったな」
宮司は、首をかしげながら言った。
「ん? 言い方が悪かったな。今は結婚二十周年の記念に旅行に行ってんだ。だからここには居ないんだ」
「誤解するような言い方をするな。まったく・・・・・・」
「悪い悪い。――さてと、一息ついたところで部屋まで案内するか。ついでに大まかに部屋の案内もしちゃうか」
宮司が立ち上がり居間を出るとクヴィネもそれに続いた。
「ここがトイレだ、水洗トイレの使い方分かるか?」
クヴィネは首をかしげた。
「スイセン? 分かるぬから説明してくれ」
「用を足したらこのレバーを押してくれ、そうすると水が流れるから」
宮司は実際に、レバーを押して流して見せた。
「ほお、便利だな。是非、私の王宮にも置きたいものだ」
クヴィネは感嘆した様子で言った。
「本とか読めるんだからこういうの作れないのか?」
「私達には魔力が有るから、機械文明が発達しなくてな。本が読めてもノウハウや技術が無いからどうにもならんのだ」
「あーそっか、最初から便利な力が有るのも考え物だな」
「うむ、その点、君達は凄いな。個々では私達に圧倒的に劣るが、機械の力でそれを補っているのだから」
感心しながらクヴィネは言った。
「ははは、んでこの隣が風呂場な。石鹸の種類は分かるか?」
風呂場のドアを開けて、シャンプーとボディソープを手に取りながら言った。
「む、馬鹿にするでない。植物由来か、動物由来か、だろう? それぐらい知っておる」
「いや、そういう種類じゃなくて、体洗う用とか、髪用とかの方なんだけど・・・・・・」
「こちらはそんなに種類があるのか。面倒くさいのう、一種類でいいではないか」
クヴィネは顔をしかめた。
「しょうがないだろ、分かれてるんだから。郷に入れば郷に従え、諦めるんだな」
「確かに宮司の言う通りだな・・・・・・。仕様が無い。諦めるとしよう」
不服そうな様子で、渋々頷いた。
「歯ブラシは新しいのがあるから良いとして・・・・・・、垢すりは、今日だけタオルで我慢してくれ」
宮司は、戸棚から新しい歯ブラシを出すと、クヴィネに見せてから洗面所に置いた。
「色々と迷惑掛けるな」
「自覚してるならいいさ。明日生活必需品も一緒に買おう」
「今更で悪いが一銭も持っておらんのだ」
クヴィネが申し訳なさそうに言う。
「最初からお前の財布は当てにしてないよ。心配すんな俺のバイト代から出すから」
「すまないな、礼を言う。ありがとう宮司。そうだな、礼といっては何だが、この指輪をやろう。肌身離さず持っていれば必ず役に立つはずだ」
指から、小さい紫色の宝石が嵌った指輪を外すと、宮司へ差し出した。
「いや、さすがにそんな高そうなのは悪いからいいって。どうせ使い道のない金だし」
「この私の魔王の礼を断るとは、不躾にも程があるぞ。普通の者なら皆泣いて喜ぶというのに」
クヴィネはお礼を断られたのが癇に障ったのか、むっとした顔で抗議の声を上げた。
「あー、悪かったよ。有り難く貰うよ。クヴィネありがとな」
「うむ、それで良い」
ご満悦の様子で、指輪を宮司に差し出した。宮司は指輪を受け取ると指に嵌めようとしたが、小さいらしくどの指にも入らなかった。
「んー、やっぱ入らないか」
「ふむ・・・・・・」
暫く考え込むとクヴィネは、何かいい案を思いついたのか、宮司に少し待っているよう言うと、縁側まで戻って庭から小さめの石を取ってきた。そしてクヴィネが一言二言呟くと、石が光に包まれた。光が消えると手の平にネックレスのチェーンが出来ていた。
「ほれ、これに指輪を通して首に掛けとくといい」
クヴィネはチェーンを宮司に放った。
「凄いなこんな事も出来るのか」
指輪を通したチェーンを、首につけながら感心した様子で言った。
「ああ、材料があってよほど複雑じゃなければ、大体作れるぞ」
クヴィネが得意げに言う。
「へー、本当に魔力って便利だな」
「ふふふ、もっと褒めてもいいぞ?」
クヴィネが胸を張りながら言った。
「おー、凄い凄い」
「む、何だその返しは、馬鹿にされている気がするぞ」
「んなことないって、ほら、部屋の説明に戻るぞ」
そう言って宮司は歩き出した。
縁側に戻ると少し離れた所にある建物を指差した。
「あの建物が剣道の練習場。筋トレ用具やエアロバイクも有るから自由に使っていいぞ。あ、家宝の刀が置いてあるから、それには触らないようにな」
「ああ、肝に銘じておこう。しかし、敷地内に道場を有するなんて、中々凄いではないか」
「うちの神社、かなり昔からここに建ってるからそのせいじゃないかな。その影響か、俺も小さい頃から剣道やってるんだ」
「ほう、剣術か。私もやっていたぞ。どの位の腕前なんだ?」
宮司は照れた様子で「去年の全国大会で準優勝したんだ」と頭を掻きながら言った。
「それは凄いではないか。――よし、食後の腹ごなしに私と一手、手合わせしないか?」
どうせ今日は道場が休みでイメトレしかやること無いし丁度いいか。別の世界の剣術も気になるし、いい経験にもなりそうだ。
「おう、いいぜ。けど魔力は使うなよ」
「言われなくても分かっておる。それに剣術は万が一魔力が使えなくなったときに、白兵戦をするための物だからな。元から魔力を使わないで良いように考えられておる。言っておくが私は何度も実戦を経験しておるからな。女だからと言って手加減すると、痛い目を見るぞ」
クヴィネは、うっすらと笑みを浮かべた。
「当たり前だ。何時如何なる時も全力で。が俺んちの家訓だからな」
宮司は、クヴィネを見据えた。
「いい目をするじゃないか。これは楽しみだ。じゃあ道場に案内してくれ」
「よし、ついて来てくれ」
道場に行くために玄関へ向った。
道場は玄関から二、三分歩いた所にある。
道場に着くと、剣道装備一式をクヴィネに渡して宮司は入り口で着替え始めた。着替え終わると中に居るクヴィネに声を掛けた。
「着替え終わったか?」
返事の代りに引き戸が開けられた。
そこには剣道着を着たクヴィネが立っていた。引き締まった体をしているので剣道着が良く似合っていた。
「ん? クヴィネは防具つけないのか?」
「ああ、重いからな。何、魔人は竹刀で殴られたくらいじゃ、怪我せんから遠慮は無用だ」
「んなこと言ったってなぁ・・・・・・頼むからつけてくれよ。さすがに生身の女の子と試合するのは気が引けるし・・・・・・」
宮司は困ったように言った。
「そこまで言うのなら仕方ないのう・・・・・・」
クヴィネはしぶしぶ、防具を身に着けた。
「分かってくれて、ありがとな、クヴィネ」
「ふむ、慣れるために、ちょっと動いていいか?」
屈伸しつつクヴィネは聞いた。
「ああ、いいぞ」
宮司は、壁の傍に立て掛けてあった竹刀を一本手に取ると、クヴィネに手渡した。
クヴィネは竹刀を受け取ると、具合を確かめるように片手で何回か振った後に、中段の構えをすると、そこに見えない敵が居るかのように竹刀を操り始めた。
実戦を何度も経験しているだけあって、その動きには微塵の無駄も無く、見ている者を飽きさせないその動きは、踊りを踊っているようであった。
その華麗な身のこなしに、宮司はうっとりと見入った。
五分程度身体を動かすと、面を外した。面を外すときに散った汗が、太陽の光を反射して、煌びやかに輝いた――。
その姿が余りに美しく、宮司は思わず息を呑んだ。
「ふう、防具にもなれた事だし、そろそろ始めようじゃないか」
「そうだな」
手加減するつもりだったけど、これは本気で行かないとやばそうだな。さすが魔王って所だな。気を引き締めていくか。
「この時計の音が鳴ったら開始な。ルールはどうする?」
「剣道のルールでかまわん。ルールも知っているしな」
「分かった」
二人は、白線の上に立った。
「では、よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
両者は互いに一礼し、双方とも竹刀を中段に構えて、静かに耳を澄ませながら時計が鳴るのを今か今かと待ちわびた。
――無限に感じるような時間がたった後、時計の音が鳴り渡った。
始まると、互いに間合いを取りながら、相手の出方を伺っていが、宮司が痺れを切らし一歩踏み入れると、小手! という掛け声と共に強かに小手を打たれた。
「先ずは、一本リードだな」
クヴィネは笑みを浮かべた。
「ぐっ・・・・・・次、次いくぞ!」
悔しさに顔を歪めながら、所定の位置に戻り竹刀を構えなおした。
クヴィネも相対し「来い」と言って竹刀を構えた。
一分程向かい合っていると、時計が二回戦目の始まりを告げた。
魔人とはいえ、女性に一本取られて冷静さを欠いていた宮司は、開始と同時に、クヴィネの竹刀が少し下がったのを認めると、すぐさま面を打ちに間合いを詰め竹刀を上げた。瞬間、クヴィネの姿が消え、胴! の叫び声と共に強烈な衝撃が胴に走り真後ろに吹っ飛んだ。
クヴィネは、倒れたまま起き上がらない宮司を冷ややかな目で見つめながら竹刀を突きつけた。
「さっさとたたぬか、まだ一本残っておるぞ。それとも諦めるのか?」
そうだ・・・・・・。まだ一本残ってるんだ。自信喪失してる場合じゃない・・・・・・。
「悪いが俺の辞書に諦めの文字は無いんでね・・・・・・。それに、勝負はまだまだこれからだ!」
叫んで気合を入れると、宮司は一気に起き上がろうとした。が、クヴィネが突きつけていた竹刀に、勢い良く喉をぶつけてしまい、潰れたカエルのような声を上げた後再び倒れてしまった。
「お、おい。大丈夫か?」
予期せぬ出来事に戸惑いながらクヴィネは言った。
「な、何とか・・・・・」
宮司は、うめき声に近い声を発した。
「それなら良いが・・・・・・。しかし君も竹刀に突っ込んで来るなんて間抜けだな」
呆れ顔で言った。
「いててて・・・・・・。今改めて、自分の間抜けさを自覚したよ」
「まあ、竹刀を向けたままにしていた私も悪かったよ。立てるか?」
そう言ってクヴィネは、手を差し出した。宮司は手を取り、ありがとう。と言って立ち上がった。
「このまま続けるか? それとも・・・・・・」
クヴィネが言い終わる前に宮司が、線に戻り竹刀を構えた。
「心配してくれるのは嬉しいが、これ位大丈夫だ。三回戦目行くぞ」
宮司は鋭い眼光でクヴィネを見据えながら言った。
「なかなか男らしいじゃないか。気に入ったぞ」
「魔王に気に入られるなんて光栄だな」
宮司は笑いながら言った。
先ほどまでは無限に感じていた時間が直ぐに過ぎ、時計の音が静寂を破った。
開始早々、クヴィネが小手を打ちに来たが、宮司はそれを間一髪竹刀で受け止めた。
鍔迫り合いを少しすると宮司が素早く後ろに下がりクヴィネから距離をとった。
クヴィネは一気に間合いを詰めると、連続で竹刀を振るった。
宮司は必死に竹刀で受け流しつつ、よけていたが、次第に捌ききれなくなり、遂に面を打たれてしまった。
「うう、結局一本も取れないまま負けてしまった・・・・・・」
宮司は膝を突きながら言った。
「そう落ち込むでない。人間にしては良くやったほうだと思うぞ」
宮司は気を取り直したようにスクッと立ち上がると、クヴィネに向き合った。
「クヴィネ!」
「ん? なんだ? 行き成り大声出して」
すこし驚いたように、クヴィネは聞いた。
「俺に稽古をつけてくれ! もっと強くなりたいんだ!」
そう叫ぶと宮司は、土下座をした。
クヴィネは一瞬、意表を突かれたように目をまあるく見開いたが、直ぐに、にやりと笑って、宮司に立つように促がした。
「言っておくが、私の稽古は厳しいぞ? 君はついて来られるか?」
「どんな稽古でも遣り遂げてやる!」
宮司はクヴィネの目を、真っ直ぐに見た。
「ふっ、いいだろう。明日からみっちり扱いてやるから覚悟するがいい」
「クヴィネ、ありが・・・・・・」
宮司が感謝の言葉を述べようとすると、クヴィネは手で制した。
「礼なら、私を打ち負かした時にしてくれ」
「それはお礼を言えるのが、かなり先になりそうだな・・・・・・」
途方にくれた様子で宮司は呟いた。
「なに、宮司なら直ぐに私を負かす事が出来るさ。私の身体能力はこちらの成人男性より少し高い位だからな」
「そうなのか。それでも大変そうだけどな・・・・・・」
「そう卑屈になるな。私の稽古をすべて遣り遂げる事が出来れば、必ず強くなれる。私を信じろ」
・・・・・・そうだよな、魔王が必ず強くなれるって言っていて、しかも直々に稽古つけてくれるってのに俺が弱気でどうするんだ。
「よしっ! 三週間でクヴィネに勝つぞ!」
宮司は、両頬を叩き、気合を入れた。
「うむ、その意気だ。しかし三週間とは随分思い切ったな」
「さすがに短すぎたか?」
「いや、これ位の方が私も教え概があるというものだ」
「じゃあ、早速今日から頼む」
「今日からか? 私は別に構わないが休んだ方が良くないか?」
「いや、俺は大丈夫だから今日から教えてくれ。一分一秒が惜しい」
宮司は顔を引き締めていった。
「いい意気込みだ。よし、では今日からやろう」
「おう、頼む」
「先に言っておくが、私との稽古のときは剣道のルールをすべて忘れるのだ」
「全部?」
「ああ、全部だ。防具も外すのだぞ」
「もはや、剣道じゃないじゃん・・・・・・」
顔をしかめながら呟いた。
「愚か者め、私が剣道でも強いのは、実戦を経験しいるからだ。その実戦で得た膨大な経験に、優れた直感力があるからだ」
「それと、これとがどう関係してるんだ?」
「防具を外し、相手に生身をさらす事により極限まで、緊張感を高め、集中力を鍛える。同時に、相手がどう動き、どう攻撃してくるかを、身体に痛みで覚えさせる。強くなるにはこれが一番だ」
「防具を外す理由は分かったけど、剣道のルールを忘れるのはどうしてなんだ?」
「剣道は、足や、肩を打っても有効打にならないだろう? それでは意味が無いからな。実戦形式で全身どこを打っても良くなれば、今以上に集中力が必要になるだろう? それがいいのだ。そして、実戦形式でやる事により、今までと違った戦い方のお陰で新鮮味もでるし、直感力も鍛える事が出来る」
「確かに、何時もと違うと緊張感も増すし、マンネリ感も拭えていいな。――しかし、凄いなクヴィネ、短時間でそこまで考えられるなんて」
「そうほめるでない。今話したことは殆ど、師匠の受け売りだ」
「受け売りかい、感動しちゃったじゃないか」
「男なら細かい事を気にするな。そろそろ稽古を始めるか」
「よし! 最初は何だ? 打ち合いか?」
「いや、まずは反復横とびをやってもらう」
思い浮かべていた稽古とはかけ離れていて、宮司は拍子抜けした。
「なんで反復横とびなんだ? 確かに瞬発力は必要だろうけどさ・・・・・・」
「稽古をするにあたって、君の基礎体力を知っておきたいからな。あと、二十メートルシャトルランと、腕立て、腹筋もやってもらうからな」
「キツイな・・・・・・」
「やめるか?」
クヴィネは分かりきった事をわざわざ聞いた。
宮司は、鼻で笑った。
「まさか、ストップウォッチ取ってくるから先にあそこのテープ張ってある所に行っててくれ」
端を指差してから、近くにある棚に向っていった。
「ああ、分かった」
クヴィネは指差された方向に歩いた。
しばらくすると、宮司がストップウォッチをもって戻ってきた。
「ほい、ストップウォッチ」
宮司は、ストップウォッチをクヴィネに向って放り投げた。
クヴィネは受け取ると、二十秒でいいか? と聞いた。
「ああ、いいぞ」
宮司は、屈伸をしながら答えた。
「よし、準備は良いか?」
「いつでも良いぜ」
宮司は三本線の真ん中に立った。
「では・・・・・・始め!」
開始の合図と共に、宮司は直ぐに始めた――。
「そこまで」
クヴィネが終わりを告げると、宮司はその場で大の字になってねっころがった。
「疲れた・・・・・・。クヴィネ、何回だった?」
「お疲れ様。七十五回、なかなかいいじゃないか」
「お、前より上がったな」
「それは良かったな」
クヴィネは、そういって微笑みを浮かべた。
宮司は勢い良く立ち上がった。
「しゃっ! 充電完了! 次は腕立ていくか」
「うむ、腕立ては顎と胸を床につけるまで下げて、どれだけ出来るかでいいな」
「いいぞ」
宮司は腕立ての体制をとり、いくぞ。と言って始めた。
「一、二、三、四・・・・・・」
最初は順調に数を伸ばしていたが、三十回を超えた所で宮司に疲れが出てきた。
「四十四、ほれもう一回頑張れ」
「ふんぐ!」
「四十五」
「ぐっはぁ!」
そう叫ぶと、宮司は床に倒れこんだ。
「お疲れ様。さあ、次は腹筋だ。三十秒でどれだけ出来るか測るからな」
「あと二十秒でいいから休ませてくれ・・・・・・」
「だらしないぞ。根性で何とかせぬか」
「無茶言うな・・・・・・」
「ほら、二十秒経ったぞ」
そう言ってクヴィネは、宮司にストップウォッチを見せた。
「しっ! やるか! クヴィネ足、押さえてくれ」
宮司は、腹筋の体勢を取ると、クヴィネに頼んだ。
「ああ、良いぞ」
クヴィネは、足を押さえると、始め。と言ってストップウォッチを押した。
宮司は、フッ、フッ、フッ、という呼吸とともに、腹筋を始めた――。
「終了」
「だっはぁー。腹いてー」
「お疲れ様。五十回だったぞ」
「あとは、シャトルランか・・・・・・疲れるからあんま好きじゃないんだよな・・・・・・」
「これで最後なんだ、頑張れ。メジャーはあるか?」
「いや、テープで印付いてるから大丈夫だ。それにラジカセテープもある」
宮司は棚に置いてあったラジカセを取ってきて、使い方を教えた。
「ほう、便利だな。ではいくぞ?」
クヴィネは受け取ると押す準備をした。
「ああ」
宮司は、線の端にいくと、走る準備をした。
「よーい、どん」
クヴィネの合図が聞こえると直ぐに宮司は走り出した。
時間が経つごとにラジカセから流れる電子音の間隔が短くなっていった。
宮司は九十五回目で遂についていけなくなって、その場に倒れこんだ。
「はっ、はっ、はっ・・・・・・」
暑い・・・・・・。ヤバイ・・・・・・。気持ち悪い・・・・・・。
クヴィネが駆け寄ってきた。
「大丈夫か?」
クヴィネは心配そうに上から覗き込んだ。
「大丈夫・・・・・じゃないかも・・・・・・」
「うーむ、困ったな。何か飲み物でも持って来るか?」
「そこに・・・・・・冷蔵庫あるから・・・・・・取ってきてくれ・・・・・・」
息も絶え絶えに、宮司は呟いた。
「よしきた。少し待っていろ」
クヴィネは冷蔵庫まで走っていった。
冷蔵庫の前まで来ると、扉を開け、スポーツドリンクを一本手にとって、再び宮司の元へ戻っていった。
「ほれ、飲み物だ」
「サンキュ・・・・・・」
宮司は受け取って一口飲むと、また寝転んだ。
「ふむ・・・・・・」
クヴィネは宮司の傍に座ると、宮司の頭を自分の太ももにのせた。
「なっ!?」
突然の出来事に宮司は狼狽した。
「動くな。気持ち悪いときはこれに限る。それに魔王の膝枕など滅多に体験できるものじゃないぞ。今のうちに堪能しとくがよい」
そう言ってクヴィネは微笑んだ。
「ありがと・・・・・・」
何だこれ・・・・・・。物凄く落ち着かないぞ。魔界では普通のことなのか・・・・・・? うん、そうだ。そうに違いない。
「礼などいらぬ。私も君に助けてもらったからな。そのお返しみたいなものだ。気にするでない」
「そ、そうか・・・・・・」
お礼、お礼か。でも膝枕っていいな。太ももがかすかに冷たくて気持ちいい・・・・・・それに頭に上ってた血が降りてきて、だんだんと頭が冴えてきた・・・・・・。
――しばらくして。
「ふう、ありがとうクヴィネ。だいぶ良くなった」
宮司は太ももから頭を上げ、座った。
「そうか、それは良かった。しかし今日はもうやめておいた方がいいな」
「悔しいけどそうするか。それに時間も時間だしな」
時計に目をやると十六時を回っていた。
「君の体力も分かったし、明日からビシビシ扱いてやるからな。覚悟しておくがいい」
「明日は買い物に行かなくちゃならないから時間無いと思うぞ? 巫女のバイトもあるし」
「む、そうだったな。では明後日からだな」
「だな。バイトは多分午前だけだろうし。明日の午後買い物に行くか」
「うむ、了解した」
「じゃあ、着替えて客間に行くか」
「うむ、頼む」
「じゃあ、着替え終わったら剣道着とタオルもって玄関にきてくれ」
宮司は近くの小さい箪笥からタオルを二枚出すと、一枚をクヴィネに放った。
クヴィネは頷いて服の場所に戻ると、袴の紐を解き始めた。
宮司は慌てて着替えを引っ掴むと、玄関まで走っていった。
「ふう・・・・・・」
まったく、魔人には羞恥心は無いのか・・・・・・、これから一緒に暮らすってのに先が思いやられるな・・・・・・。
「おい、宮司着替え終わったか?」
「おわっ! 着替えるの早いな、悪いけどもうちょい待っててくれ」
「君が遅いのだ。脱いで拭いて着るだけではないか」
「男には色々あるんだよ」
「その台詞は普通、女子が言うものではないか?」
「男にもあるんだよ。――よし、着替え終わったぞ」
引き戸が開けられクヴィネが現れた。
二人は道場を出ると、他愛の無い話をしながら母屋に戻り、洗濯籠に洗濯物を入れて客間へと向った。
クヴィネが案内された客間は広さ六畳の和室であった。
内装は箪笥にちゃぶ台、それと窓に、押入れだけのさっぱりした部屋だ。それに毎日掃除しているのか塵一つ無かった。
「押入れに布団が入ってるからな」
「ああ、承知した」
「どうする? ここに居るか? 居間ならテレビがあるけど」
「おぉ、テレビがあるのか。アレは一度見てみたいと思っておったのだ」
「そうか、俺はトイレ行って来るから先に行っててくれ」
「うむ」
二人は部屋を出ると途中で別れ、クヴィネは居間に向かった。
クヴィネは居間に着くと、さっそくテレビに近づき電源を入れようとした。
しかし電源の入れ方が分からず、あれこれ弄っているうちにビデオのまま音量を大きくしてしまった。
音量が大きくなっている事に気づかぬまま、弄っているとチャンネルが変わり、辺りに爆音が鳴り響く。
クヴィネは驚きのあまり飛び上がった。
クヴィネがなすすべも無く、耳を押さえオロオロしていると、宮司がトイレから戻ってきた。
クヴィネはすぐさま宮司に駆け寄った。
「おい、宮司! 大変だ、テレビがおかしくなってしまったぞ!」
慌てたように手を振りながら叫んだ
「音量が大きくなってるだけだって。リモコンどこやったかな・・・・・・」
机の上からリモコンを取ると音量を下げた。そのままリモコンをクヴィネに見せながら使い方を教えた。
「使い方、ちゃんと教えとけばよかったな。はいリモコン」
「ふう、壊れてはいなかったのか・・・・・・」
クヴィネはほっと胸をなでおろすと、リモコンを受け取ると期待に胸膨らませながらチャンネルを変えた。
「おお、本当にこの小さな機械で操作できてしまうのだな」
クヴィネが楽しそうにチャンネルを変えると、通販番組が映った。
「ほお、テレビで買い物も出来るのか。氷も無しに冷やせる冷蔵庫もあるし、こちらは本当に凄いな」
感心したように言うとまたチャンネルを変えた。
「確かに何時も当たり前のように使ってたけど、これって結構凄い事だよな。ご先祖様に感謝しないとな」
「そうだぞ。感謝せねば」
テレビを食い入るように見ながら相槌をうった。
「お茶、飲むか?」
「ああ、すまないが頼む」
「気にすんな」
魔王だなんだ言ってたってこういうところは子供みたいだな。
「どっこいしょ」
立ち上がると居間の奥にある台所まで行き、冷蔵庫から良く冷えた麦茶のボトルを取り出しお盆に載せた。
戸棚から、コップ二個と煎餅一袋を出してお盆に載せ、居間に戻ると、クヴィネの前に麦茶を置き、せんべいの袋を開けた。
「お茶と煎餅だぞ」
「ん? おお、ありがとう」
煎餅を一枚取り口へと運ぶと、パキッと音を鳴らして食べた。
「うむ、こちらは何を食べてもうまいな」
残りの煎餅を口に放り込み、麦茶を一口飲むとクヴィネは眉間にしわを寄せ、目を瞑った。
「冷たかったか?」
「少し、な。魔界では余り冷たいものを食したりしないからな。馴れておらんのだ」
「そうなのか。暖かいお茶いれるか?」
「いや、大丈夫だ」
クヴィネは頭を振りつつ言った。
「そうか」
冷やした麦茶でこれならカキ氷だとどうなるんだろうな。今度食べさしてみよう・・・・・・。
そんな事を考えながら宮司は煎餅を齧った。
二人で、くだらないバラエティ番組をぼんやり眺めていると、六時を告げるチャイムが辺りに響いた。
「もう六時か。そろそろ晩飯の買い物に行かないとな」
「宮司が作っているのか?」
「ああ、両親は旅行中だしな。なんかリクエストあるか?」
「うーむ・・・・・・。そうだな、こちらを代表する様なものを食べたいな」
「難しいな・・・・・・。あんまり期待せずに待っててくれ・・・・・・」
「そう固くなるな。こちらの物ならなんでもかまわんぞ」
「んー、そう言われるとあっと言わせたくなるんだよな。まあ、行って来る」
「ああ、気を付けるのだぞ」
宮司が買い物に出かけて、しばらくすると老人が入ってきた。
「宮司はどうしたんじゃ?」
「あ、買い物に行きました」
「そーか、そーか」
そこで会話が途切れ、静寂が訪れる。
テレビのけたたましい笑い声がむなしく反響した。
沈黙に耐えかねたクヴィネは、口を開いた。
「あの、刀拝見しましたがが手入れが良くされていて、とても綺麗ですね」
「信じてもらえんかもしれんが、実はあの刀、一度も手入れした事はないんじゃ」
「いえ、信じますよ。いつ頃からあるんですか?」
「あれは天叢雲剣と言って、今から千三百年位前にヤマタノオロチっちゅう妖怪の腹から出てきたんじゃ。この神社で祀るようになったのは五百年ほど前かのう。あの剣道場は天叢雲剣を祀るために建てられたんじゃよ」
「へえ、随分と凄い刀なんですね」
「そうなんじゃよ。昔は妖怪退治に使われてたらしいんじゃ」
老人は笑いながら、突拍子もない事を言った。
「そうじゃ、あれほど日本作法に詳しいなら将棋もさせたりするのかい?」
「はい、よく父親の相手をしてたので出来ますよ」
「ではわしと一局願えないかの?」
「是非、お願いします。私も久々にやりたいので」
「それは楽しみじゃの。どれ道具を持ってくるから少し待っていておくれ」
そう言って老人は居間を後にした――。
宮司は悩んでいた、大見栄切った手前、クヴィネを落胆させる様な料理をだす訳にはいかないからだ。
「うーん・・・・・・」
こっちらしい食べ物って何があるかな、刺身・・・・・・は生魚駄目かもしれないし、鍋は熱いしな。
考えを巡らせていると何処からかカレーの匂いが漂ってきた。
カレーか・・・・・・、今までカレー苦手な奴なんて見たことないな。それに、こっちの食べ物って感じだし、カレーにするか!
豚肉はあるから、野菜とルーを買って帰るか。
「にゃー」
声のする方を見ると、一匹の猫が宮司を見上げている。
「ん? 猫か・・・・・・ほれ、チッチッチッ」
座り込み、舌を鳴らしながら手を伸ばした。
すると猫は「にゃあ」と鳴いて手に頭を擦り付けた。
「おっ、お前人懐っこいな。飼い猫か? ほれほれ」
あごを撫でると、猫は喉をゴロゴロ鳴らした。
「とっ、そろそろ買い物に戻らないと。じゃーなー」
名残惜しそうに立ち上がるとその場を後にした。
猫は去っていく宮司の後姿を眺めながら短く鳴くとその場に座り込んだ。
――魔界。
ベレイが自室でクヴィネが遣り残した書類を片付けていると、バレットが勢い良く扉を開け駆け込んできた。
「どうしたのですか?」
書類から顔を上げると、前髪を耳にかけた。
「魔王さまの行き先が分かりました!」
「それは真ですか?」
顔付きが鋭くなる。
「はい! 行き先はあちらの日本という国です、大魔王さまに頼んで使い魔を送ったので居場所ももうすぐ分かりそうです!」
「そうですか。ではバレットこちらに来なさい」
「どうしたの? お姉さま」
首をかしげながら、とことこベレイの元に向かった。
「良くやりましたね。お手柄ですよバレット」
そう言って微笑むと、ベレイはバレットの頭を優しく撫でてやった。
バレットは撫でられると、気持ち良さそうに目を細めながら「えへへ」と嬉しそうに笑った。
「では、私は大魔王様に会って来るので引き続きお願いしますよ」
「はい! 任せてください、お姉さま!」
そういい残してベレイは自室を後にした。
買い物を終えた宮司は帰路に就いた。
途中、先ほどと同じ猫が居るのを認めると、その場にしゃがんでしばらく猫を撫でていたが、意を決したように立ち上がると、猫に手を振り猫と分かれた。しかし猫は意に介した風もなく、足に擦り寄ってきた。猫を抱き上げ、目線をそろえると飼い主のもとに戻るよう諭し、地面に離した。が、猫は説得に応じずまた擦り寄ってきた。宮司は溜息を一つすると、猫を抱え上げ再び帰路に就いた。宮司は家に着くと、猫を抱いたまま居間に向かった。
「ただいまー」
「無事に戻ったか宮司」
「おかえり宮司、ん? 何じゃその猫は?」
「帰る途中に拾ってさ飼っていいかな?」
「わしは構わんが、クヴィネさん、猫は平気かい?」
「はい、平気ですよ」
「よし、じゃあお前は今日からトラだ」
「茶トラだからトラか? 安直な名のつけ方だな」
クヴィネはトラを指でつついた。
「宮司は昔からそうなんじゃよ」
「いいんだよ。特徴と結びついてた方が覚えやすいし」
「宮司がいいなら別にいいが・・・・・・、しかし何処かで見た顔だな・・・・・・」
「気のせいじゃないか? 茶トラなんて何処にもいるし・・・・・・ってお前の国にも猫居るのか?」
「当たり前だ。それはもうわらわらといるぞ」
「外国にも猫はいるじゃろう」
「まあ、そうだろうけど・・・・・・。じいちゃん達は将棋やってたのか」
「クヴィネさんが強くてのう、久々の接線じゃよ」
「俺は弱いからな・・・・・・んじゃ、飯作るから、それまでには一区切り付けといてくれよ」
宮司はトラを降ろして台所に向かった。
「ほれ、来い来い」
クヴィネはトラを抱き上げ膝に乗せると将棋を再開した。
二十分ほど立つとクヴィネが王手をかけた。
「うーむ・・・・・・参った、クヴィネさん強いのう」
「いえ、私も危なかったです。次ぎも勝てるかどうか分かりません・・・・・・」
「はっはっは、そう謙遜するでない。どうじゃ? 老人の挑戦を受けてくれないかのう?」
「もちろん、断る理由などありません」
「お手柔らかに頼みますぞ」
「冗談、手加減して勝てる相手ではないです」
「そう言って貰えると嬉しいのう」
振り駒をすると先ほどと、打って変わって、老人が先行になった。
「ではいきますぞ」
「望む所です」
二時間程指していると、香辛料のいい香りが漂ってきた。
「カレー出来たけど、もうご飯にしていいか?」
「そうじゃのう、将棋は一区切りにして、ご飯を食べようかの。クヴィネさん」
「そうですね。――しかしいい匂いだな」
クヴィネはお腹をさすりながら席に着くと、老人もそれに続いて席に着いた。
すでに机には、コップにトマトとレタスのサラダ、福神漬けが置かれており、あとは主役のカレーライスを待つばかりであった。
遅ればせながら本日の主役のカレーライスが到着し、皆の前に置かれた。
具沢山のカレーライスは、湯気を真上に漂わせ顔をなぜた。
スパイシーな香りが胃を刺激し、早く食べてくれと言わんばかりに食欲を増進させる
「うまそうだな、宮司これはなんと言う料理なのだ?」
「カレーライスって言って日本の家庭料理だ。最高にうまいぞ」
宮司は笑顔で親指を突き出した。
「ほう、それは楽しみだな」
「では、手を合わせるんじゃ」
老人が手を合わせると宮司とクヴィネも手を合わせえた。
「頂きます」
「「頂きます!」」
クヴィネは、カレーとライスの境目をスプーンですくって口に入れると、良く味わってから飲み込んだ。
「ッ! 美味い、美味いぞ」
感嘆の声を漏らすと、夢中になってカレーライスをせっせっと口へと運んだ。
「喜んで貰えて何よりだ。福神漬けを一緒に食うともっと美味くなるぞ」
「ほう、それは本当か?」
福神漬けを置いてあるスプーンで取ると、カレーライスに載せ、口に運んだ。
「――。おお、福神漬けの甘さが良いアクセントになっておるな」
「遠慮せんで沢山食べるんじゃぞ」
「はい、ありがとうございます」
クヴィネは一皿目をぺろりと平らげた・・・・・・。
「ふう、ご馳走様でした」
クヴィネは結局、二皿平らげた。
「お粗末さま。悪いけど食器、台所に持っていって水につけといてくれるか?」
「それ位お安い御用だ」
居間に戻ると、老人が将棋盤の前でスタンバイしていた。
「クヴィネさん、将棋の続きをせんかね?」
「勿論です」
――一時間後。
「王手じゃ」
「くっ・・・・・・、参りました」
「何とか一勝返せたのう」
「次は負けないです」
テレビを眺めていた宮司が、終わったのに気が付いて声を掛けてきた。
「終わったなら風呂入っちゃってくれ」
「おお、そうじゃな。クヴィネさん、先に入りなさい」
「いえ、置いてもらっているのに一番風呂は悪いです」
「気にすんな。レディーファーストは男の家訓みたいなもんだからな」
「そうじゃ、気にせんで入りなさい」
「すいません。お言葉に甘えて、先に頂きます」
「使い方分かるか?」
「いや分からぬ」
「んじゃ、浴室で説明するな」
二人は脱衣所に向かった。脱衣所に着くと浴室の扉を開ける。すると檜の香りが漂ってきた。
中に入ると、一面総檜作りのお風呂が広がっていた。
「おお、これは凄いな」
「じいちゃんが檜風呂好きでさ。俺は手入れが面倒だから改築の時に、普通の風呂にするよう頼んだんだけどな」
「いやいや、それはおじい様が正しいぞ。こんな良い風呂を手放すのはもったいない」
「それは確かにそうだけどさ・・・・・・、まあいいや説明するぞ」
宮司は、蛇口や温度の調節の仕方を説明し始める。
「とっまあこんなもんだな、服は洗濯籠に入れといてくれ」
「うむ、分かった」
「じゃあ、ゆっくりな」
そういい残して宮司は脱衣所を後にした。
「ふう・・・・・・」
Tシャツとハーフパンツを脱いで洗濯籠に入れると、タオルを首にかけ浴室に入った。
深呼吸をして胸一杯に檜の匂いを吸い込んだ。
「良い香りだ・・・・・・」
シャワーまで近づくと、蛇口をひねると、熱せられ続けていた熱湯が飛び出て、肌に噛み付いた。
「熱ッ!」
すぐさま、シャワーから飛びのいた。
「くぅ、このような罠が仕掛けられていようとは・・・・・・こちらの風呂は恐ろしいな・・・・・・」
用心しつつ手で温度を確かめると、頭から浴びた。
濡れて顔に張り付いた髪を、手で煩わしそうに払う。
シャンプーを手に出し、シャンプーが目に入らないように固くまぶたを閉じると髪を洗い始めた。
二分ほど両の手で洗うと、泡を流しプルプルと顔を振って水を飛ばした。
タオルを濡らすとボディーソープを垂らして良くあわ立て身体を洗い始める。
まずは右手の先から洗い始め、肩、脇、胸ときて左脇、肩、左手の先まで洗う。
右手が終わると首を洗い、腰のくびれに沿ってわき腹をすると、薄く割れた腹筋を経由してもう片方のわき腹を擦った。
次に背中を洗い、腰掛から立ち上がると、すらりと伸びた健康的な脚に取り掛かった。
一分足らずで下半身を洗い終わると泡を良く流してから、湯船に脚をつける。
「くぅ~・・・・・・」
そこから一気に肩まで浸かるとビブラートの効いた声を出した。
「あぁ~良い湯だ・・・・・・、熱い湯が身体に染み渡り一日の疲れを癒してくれる・・・・・・。やはり一日の締めは熱い湯に限るな・・・・・・」
檜風呂はクヴィネが足を伸ばしても十分余裕があるほど広い。
十分ほど浸かると、湯船から上がり、脱衣所で身体を拭くと、新しいTシャツとハーフパンツを着て居間に戻った。
「お風呂、ご馳走様でした。とても良いお湯でした」
「ほっほっほ、そうかい、それは良かった」
「本当にすばらしいお風呂でした。――すいませんが、先に休ませてもらいます」
「よく休むんじゃぞ」
「お休み、クヴィネ」
「はい、お休みなさい」
クヴィネが居間を出ると、トラが後からついてきた。
「君も一緒に寝るか?」
トラを抱き上げて客間へ向かった。
客間に着くと、布団を敷いて、中に潜り込む。
五分ほどで、規則正しい寝息が聞こえてきた。
猫は、その安らかな寝顔をしばらく見つめていたが、満足したかのようにその場に丸くなると寝始めた・・・・・・。
――魔界。
自室で就寝の準備をしていると、ネグリジェに身を包んだバレットが扉をノックして入ってきた。
「どうしたのですか? 今日も一緒に寝たいのですか?」
「違わなくないけど、違うんです!」
「意味が分からないのですが?」
「えと、ですね。魔王さまの居場所が分かったんです!」
「日本でしょう? 先ほど聞きましたよ」
「もっと細かい場所が分かったの、今は神社に厄介になってるんです!」
「それは良くやりました。では明朝、大魔王様に頼んでそこに送って貰う事にしましょう」
「はい!」
「それでは今日はもう休みましょう? おいで、バレット」
バレットは呼ばれると、ベレイの隣に飛び込んだ。羽毛の布団がバレットを包み込む。
「お休みなさい。お姉さま・・・・・・」
「お休み、バレット」
ベレイが頭を撫でてやると、バレットは直ぐに寝息を立て始めた・・・・・・。