第九十九話 脱出
宿に入ると、そこには誰も見当たらなかった。どうやら、中へ入った兵士たちは全員刹那たちがいた部屋へと向かったようだ。だが、逆に考えれば、中にいる全ての兵士があの部屋にいるということになる。丸腰の今、Ωを連れ出すことが出来るのだろうか。
「あんた、何しに来たんだい?」
「へ?うお!妖怪!」
振り向くと、そこには皺だらけの老婆が立っていた。兵士と言うわけではないだろうし、この宿の客……というのは考えづらい。
「誰が妖怪だ。あんた、聯賦さんが連れてきた子だね?どうして戻ってきたい?」
「Ωを助けに」
「あの坊やか。あの子なら別に助けなくてもいいだろうに。放っておいても、あんな兵隊どもに負けやしないよ」
「それは分かってる。だけど、置いてくわけにはいかないんだ」
老婆は刹那の顔をしばらく見ると、やれやれとため息をついてカウンターの方へとまわった。どうやら、宿の主人だったみたいだ。
「ほれ、これを上ると良い」
そう言って老婆が壁の板を外すと、そこは空洞になっており、見た目に頼りない梯子が垂れていた。
「上まで行けばアンタがいた部屋の床下に出る。あの子を引っ張り込むなりなんなりして、今度はこれを降りて行きな。そうすりゃここから少し離れた所に出る」
「ばあちゃん……」
「その代り、アンタがここを通ったことは聯賦さんにも報告する。あの人にはアタシも世話になってるからね」
「それでもいいよ!ありがとう!」
刹那は礼を言ってすぐにその梯子を上って行った。梯子は見た目よりずっとしっかりしていて、刹那が体重をかけても一向に切れたりする様子はない。
ものの数秒で上まで辿りついた刹那の耳に兵士の怒声と鉄がぶつかり合う様な音が届く。どうやら、まだΩは戦っているようだ。
「凜様、危険です!お下がりください!」
「冗談。敵に背中を見せるわけにはいかないわよ」
この声は、凛?
状況を確認するため、刹那はそっと床板を持ち上げて上の様子を伺った。右往左往する兵隊の足に交じって、子供の足と、細い女の子の足が見える。
刹那の潜む床板の数歩先にΩ、そのもっと先に凛たちという位置取り。これではΩを助けようにも手が届かない。
「ば、化け物!」
「ビビってんじゃないの!それでも堅要の兵士なのッ?」
「侵入者は殺す。殺さない。ころ……」
Ω一人に対して凛を含めた兵士が五人。流石のΩも旗色が悪いようだ。床に何人かの兵士が転がっているが、見た所まだ息はある。よかった、Ωは殺さないでいてくれているらしい。だが、楽観もしていられない。この状況が続けば彼は自分を抑えられなくなるかもしれないし、なにより彼自身が危険だ。なんとか機を図らなければ。
「みんなで一気にかかるわよ!」
どうやら刹那には考える時間も与えられないらしい。凛たちは数の利を利用して一気に押し切るつもりだ。あまり上手くいく気はしないが、もう時間がない!一か八かだ!
刹那は床板に手をかけると、それを激しく上下させた。そして、その動きに合わせ、出来るだけ低い声で叫ぶ。
「出ていけぇ!出ていけぇ!」
何やってるんだろう、俺。なんでこんな子供だましを……。
虚しさがこみ上げるのを無視し、刹那は一心不乱に床板を上下させた。こんなもので騙されてくれるとはとても思えないが、一瞬でも怯んでくれればその隙にΩを助けられる。
が、その効果は刹那が考えていた以上に成果を上げた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
「や、やっぱり、ここは化け物屋敷だったんだぁ!」
兵士たちが悲鳴を上げあたふたと慌てふためく。元々雰囲気があまり良いとは言えない建物に予想外の相手と、兵士たちの心には隙があったのかもしれない。その状態の彼らには刹那の子供だましの作戦も効果的だったようだ。
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい!」
凛の制止も今の彼らには届かない。恐怖のあまり一人が逃げ出すと、それが呼び水となったのか次々と兵士たちが部屋の外へと飛び出した。
「Ω!こっち!」
兵士たちが正気を取り戻す前に彼を救い出そうと、刹那がΩに声をかける。それに気付いたΩが床を見下ろすと、刹那はそのままΩの体を掴んで床下に引り込んだ。
「――ッ!」
何かを言おうとするΩを制し、刹那はズンズンと梯子を駆け下りた。先ほど自分が入ってきた辺りを通り過ぎ、そのまま下へ下へと進む。
そしてついに、一番下までたどり着いた。
「すげぇな」
暗くてよくは見えないが、下は大人一人が優に通れるような横穴になっていた。先ほどの老婆の言葉を信じるならここを進めば外に出られるはずだ。
「行くか」
Ωが降りてきたのを確認すると、刹那は彼に一言声をかけて横穴を進んでいった。その間、Ωは一言も喋らず刹那の後を付いてくる。もしかすると、監視をしているつもりなのかもしれない。
しばらく歩くと、梯子が垂れている壁に突き当たった。今度はこれを上るのだろうか。
「迷ってても仕方ねぇよな」
刹那とΩは黙って梯子を上る。だが、今度の梯子はそこまで長さがなかったようで、すぐに上に着いてしまった。
刹那が天井に手を押し当てる。カタッという音とともに少し浮き上がった。先ほどの床板と同じようになっているようだ。
少しだけ上げて様子を伺う。暗いが、ここよりもいくぶんか明るく広い空間が広がっている。外だ!
「よし」
窮屈な空間に我慢できなくなっていた刹那は思い切って天井を押し上げる。満点の星空が彼の目に飛び込んできた。




