第九十七話 見つけた
「本当に見たのか?」
「間違い無いわ。あのおじいちゃんは見間違いようがないもの」
蓉襲撃事件から一夜明けた今日、凛は脱走した刹那を探すため走り回っていた。その時、聯賦らしき人影を目撃し、今、円と共に聯賦が隠れていると思われる宿屋の前に到着したのだ。
「杞憂で済んでくれれば良いと思ってたんだがな」
「今更言っても仕方ないでしょ」
「確かにな。それより、覚悟はできているか?あの年寄りがいるとなるとただでは済まんぞ?」
「あのおじいちゃんには前に勝負を邪魔されたことがあったからね。とっ捕まえて文句の一つでも言ってやるわ」
円の心配を余所に凜はやる気のようだ。元々彼女には無用な心配だったかもしれない。
「刹那の居場所を吐かせるのが先だがな。それにしても、とても営業しているとは思えん不気味さだな」
宿にも関わらず、その建物はひっそりと人の目から隠れるように建っていた。お世辞にも綺麗とは言い難いその外観は、とても客商売をしようと思っている店のものではない。だが、そのような雰囲気を纏っているのはこの建物だけではない。その宿のある通り一帯が同じように不気味で、物寂しい雰囲気を醸し出している。
「ずいぶん寂しい所だな」
「ここら辺は下の階級の人たちが住んでいる所だからね。逮捕を免れた犯罪者が流れ着いてるって噂もあるし、不気味で堅要の人間でもあまり寄りつかない場所よ」
確かに、昼間だというのに人っ子一人見当たらないのは不気味で仕方がない。
「下の階級か。確かここでは戦士が一番偉いんだったか?」
「そう。堅要を守れる強さを持っている者が一番偉い。だから戦士が一番。次は堅要を守る壁を作ることが出来る大工、三番目は堅要の経済を守る商人。最後がそれ以外」
「まったく、変わった身分制度だな」
「そう?強いものが偉いのは当たり前だと思うけど」
こういった所は堅要の人間だと実感させられる。しかし、職業で格差をつけるとは、本当に人間とは変わった生き物だ。
「この感覚は猫には分からないかもね。君たちには上下なんてほとんどないでしょ?」
「あぁ……いや、あるな。それこそ、ここと同じくらいか、それ以上に」
生まれた瞬間に格差が生まれ、必要とあれば徹底的に排除する。それがたとえ家族であろうと容赦なく。
円の脳裏にあまり思い出したくない記憶が蘇ってくる。
「どうしたの?考え事?」
「なんでもない」
「そう。それじゃあ、とりあえず入ってみましょうか?」
「――ッ!待て、誰か出てくるぞ」
円のその声を合図に二人は即座に物陰に身を隠した。その瞬間、中から姿を現したのは聯賦だ。
「だから言ったでしょ、見間違うわけないって」
「あぁ、お手柄だ」
「へへん」
聯賦は少し周りを警戒するそぶりを見せ、そのままどこかへ歩いて行ってしまった。
「行ったわね。入ってみる?」
「あぁ。だが油断するな。中にはおそらくあのΩもいるはずだ。お前も知ってのとおり、奴は一筋縄ではいかん」
「あの不思議な子か。手合せした感じは確かに普通じゃなかったわね」
円達は用心して宿の中へ入って行った。そこは外の外見と変わらず凄まじいものだった。カウンターはボロボロ、端に置かれたソファーには穴が空き、中から綿が飛び出している。革の色はくすんだ朱色で、もはや黒に近い色になっていた。
「いらっしゃい」
凛達が奥に進むのを躊躇していると、カウンターの方から声を掛けられた。骸骨がそのまま店番をしているという表現がピッタリの老婆が、どうやらこの宿の主人のようだ。
「あ、あのすいません。ここにお爺さんと孫くらいの年の男の子が宿泊してませんか?」
「ん?いや、どうだったかねぇ?」
この老婆、絶対に知っている。わざと誤魔化しているんだ。ならばこちらにも考えがある。
「婆さん、俺たちは聯賦に呼ばれてきたんだ」
突然喋った円に老婆が目を丸くする。
「あんた、聯賦さんの作品かい?」
「そんな所だ」
老婆は値踏みするように円と凛を見ると、左手をスッと持ち上げて左手側の階段を指差した。どうやら上の階にいると言いたいらしい。
「二○三」
「ど、どうも」
老婆に頭を下げて二階に上る途中、背後からあの老婆のものであろう笑い声が聞こえてきた。
「不気味な婆さんだな。妖怪か何かか?」
「猫又の君に言われたくはないと思うわよ」
二階に着くと、廊下を歩いて三つ目の部屋、二○三の前で足を止める。ドアに耳を当てて物音を確認すると、誰かの話し声が聞こえた。一人があのΩだとすると、もう一人は?
「だから、君はドクターと一緒にいちゃいけないんだ」
かすかに聞こえるのは聞きなれた声、行方不明のお騒がせ者の声だ。
「刹那だ」
疑惑が確信に変わった円がもっと中の声を聞こうと、耳を更にドアに押し付けた時だった。
ギィ――
もともと古い宿だ。床板が軋んで音が出てもおかしくない。だが、その音は中にいる者たちにまで聞こえてしまったらしい。
ドアが凄まじい音を立てて壊れる。これも古いから、というわけではない。中から伸びてきた手が凛の顔のすぐ横をかすめた。
「――ッ!」




