第九十話 理由
「――ん」
なんだ?すごく明るい。
「おい円、カーテン閉めてくれよ」
返事はない。
「おい、円聞いてんのか?」
体を起こして見てみると、そこに自分の見知った黒猫の姿はなかった。その代わり、金髪の少年の顔がすぐ近くにある。
「うわっ」
「……」
いきなりで驚いた刹那とは対照的に、Ωは全く動じる様子もなく、眉ひとつ動かさなかった。
「お目覚めかね?」
その声の方へ顔を向けると、そこには白衣をまとった不気味な年寄り、聯賦が立っていた。なぜ聯賦がいる?
「ここはどこだ?」
聯賦の姿を見て寝起きの頭を一瞬で切り換えた刹那が注意深く尋ねる。自分はベッドに寝かされていたようだ。さりげなく周りを見回したが、周りにはいくつかの家具とポットの置かれたテーブルが一つ。生憎と武器になるようなものはない。加えて、刹那のすぐ隣にはあのΩが付いている。聯賦の命令一つでこの少年は自分に襲い掛かってくるだろう。
「わしが懇意にしておる宿じゃよ。心配はいらん。ここなら安全じゃ」
「アンタがいる時点で安全とは程遠い。それより、今はいったい何時だ?」
部屋には時計らしきものはない。窓の外から差し込む光から判断するに、昼間であることは確かなようだが。
「十時頃じゃ。昨日脱走してからそう時間は経っておらんよ」
脱走……そうだ!自分は聯賦に奇妙な薬を振りかけられ意識を失ったのだ。くそっ、今頃外では脱走犯扱いされているに違いない。
「よくも変な薬吹きかけてくれたな。おかげで、俺は脱走犯になっちまった!」
力の限り聯賦を睨み付ける。もし睨むだけで人が殺せるなら、今の刹那は確実に聯賦の息の根を止めていただろう。
「まあそう悲観するものでもない。あんな狭い牢の中にいるよりもここの方が数倍良いじゃろう?まあ、外は衛兵たちが血眼になってお前さんを探しておるから、外に出られないのは変わらんのじゃが」
これでは円たちと連絡を取ることが出来ない。なによりこの老人は油断ならない。隙を見せれば何をされるか分かったものじゃない。
刹那の目が鋭くなり、少しでも状況を把握しようと部屋の中へと視線を向けた。外へと続く経路は自分が今寝かされているベッドの反対側に位置する扉と、すぐ右手にある窓だけだ。手っ取り早く外に出るなら窓からだが、ここは何階なのか分からない。見た所二階以上なのは確かだが、果たして飛び降りて逃げられるか。
「まあそう警戒するな。腹は減っておらんか?」
「いらない。俺はまだ死にたくないんでね」
また薬でも盛られたらたまったもんじゃない。
「ほっほっほ、随分と嫌われたもんじゃな」
聯賦は笑いながら部屋を出て行く。その場に残されたのは刹那とΩの二人。
逃げられるだろうか?
「ッ!」
さりげなく右手を窓にかけようとすると、Ωが逃がさないとばかりに刹那の反対側の腕を掴んできた。そこまで力強くは無いが、これ以上動けばどうなるか分かった物じゃない。
刹那はゆっくりと窓から手を放し元の姿勢に戻った。それに合わせるようにΩも手を放す。
それからしばらく、どちらも一言も発しない時間が続いた。その沈黙に耐えられなくなって、刹那は話しかけてみることにした。
「なんでずっと俺を見てるの?」
「ドクターに見張っているように言われたから」
何の武器も持たない今の刹那にはΩにはどうあっても勝てそうにない。適切な人選だろう。
「他には何か言われてる?」
「逃げるようなら止めろ、もし止まらなければ攻撃しても良いと言われてる」
やれやれ、どうやら脱出は不可能に近いらしい。にしても、いきなり攻撃して良いと言われなていなくて良かった。
「……」
「……」
気まずい。こちらが何か言えば答えてはくれるが、向こうから話しかけてくるようなことはしないし、なにより、じっと見つめられ続けるのは辛い。
「あのさ、そんなにずっと見られてると、ちょっと落ち着かないんだけど……」
「ドクターに絶対に目を離すなと言われてる」
「あ、そう……」
Ωにとっては聯賦の言うことは絶対だ。目を離すなと言われれば三日でも一週間でも相手を見張り続けるだろう。
それにしても、なぜそこまで聯賦に陶酔するのだろうか?脅されているという風でもないし、絶大なカリスマがあるようにも見えない。騙されているのか、はたまた体をいじられた時に頭も一緒にいじられているのだろうか?
一度考え始めると凄く気になってしまう。いっそのこと、本人に直接聞いてみようか?幸いなことに聯賦は今ここにいない。先ほどから自分の質問にも素直に答えてくれているし、聞いてみない手はないだろう。
「聞いても良い?」
お互い沈黙していたので、刹那はワンクッション置いてから話題を切り出すことにした。
「聞いて良い」
刹那の言葉をオウム返しするΩだが、それはおそらく肯定の証なのだろう。ならばと刹那は単刀直入に聞いてみることにした。
「なんであの爺さん……あ~、ドクターの言うことを聞くの?」
「ドクターの言うことを聞いていれば良い子になれるから」
「良い子ってなに?」
「良い子は悪い子じゃない子。僕は悪い子だから良い子にならなくちゃいけない。ドクターの言うことを聞いていれば良い子になれる」
悪い子、初めて会った時にも聞いた言葉だ。良い子になるために聯賦の言うことを聞いているのか?だが、聯賦のやっていることはとてもじゃないが良いこととは言えない。この子には物事の善し悪しの判断がついていないのだろうか?それとも、それも含めて聯賦に騙されているのか?
「なんで良い子にならなくちゃいけないのさ?」
「悪い子だから」
……ダメだ。質問を変えよう。
「君はなんで悪い子なの?」
「お姉ちゃんを殺しちゃったから」
「お姉ちゃんを……殺した?」
彼の家族だろうか。だが、殺したとは穏やかではない。Ωの今までの発言から推測するに隠喩や言葉の綾ということはないだろう。だとすれば、彼は本当に人を殺していることになる。
お姉さんを殺したから悪い子になって、良い子になるためにあの爺さんの言うことを聞いている……。
いったいこの子に何があったんだ?
「よかったら、ドクターに出会う前の話を聞いても良いかな?その……お姉さんの話とか」
「わかった」
Ωは一度頷くと、淡々と話し始めた。
「僕はドクターに会う前は病院に住んでた――」




