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記憶と心臓を求めて  作者: hideki
本編
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第九話 ごくらくごくらく

「いいか、刹那。さっき聞いていなかったようだからもう一回言っておくぞ?勝手にうろちょろするな。この人ごみの中ではぐれたら探すのが大変なんだ」

「お、温泉まんじゅうだってよ。ちょっと買ってこようかな」

「どうやら、まだ懲りていないようだな……」


 円の毛が逆立つ。今なら湯山の店という店をまとめて燃やしてしまえそうな雰囲気だ。


「じょ、冗談だって。そんな怖い顔するなよ」

「分かればいい」

「ちっちゃい円がはぐれない様に、俺がしっかり付いててあげればいいんだよな?」

「よほど早死にしたいらしいな?」


 円の瞳が見る見るうちに黒から赤へと変わっていく。ここまで喧嘩を売り続けられる刹那の胆力はある意味称賛に値するだろう。


「すいませんでした。落ち着きのない俺が迷子にならないように、今後は勝手にどこかに行ったりしません」


 睨みを利かされた刹那は黙って円の後ろについて行くことにした。

 円はどこか目的地があるようで、しっかりとした足取りで大通りを歩いて行く。何所に行くのか全く分からない刹那はただ黙って着いて行くしかない。


「円、どこ行くんだよ?」

「着いてからのお楽しみだ」


 その一言で余計に行き先の気になった刹那だったが、人の流れがそちらに向かっていることから大体どこに行くのか予想が出来てきた。


「着いたぞ」


 円がそう言って立ち止まった場所は大きな看板に「湯屋」と書かれた建物だった。


「でかいなぁ」


 思わず刹那が感嘆の声を上げる。それもそのはずで、その湯屋は瓦屋根の大きな建物で、入口と同じ長さの看板は大通りと同じ長さがある。そして、看板の両端から大きな朱塗りの柱が二本、それぞれ左右から下に伸びており、その柱の間の入口を多くの人が出入りしている。屋根から伸びた煙突からはモクモクと湯気が上がっていた。


「ここが湯山名物の大温泉だ。せっかく来たんだ、一風呂浴びていこう」

「おう。でも、円はどうやって入るんだ?猫も入れるのか?」

「俺は別の入り口から入る。お前は気にせずここから入れ」


 円はそう言うと、スタスタとどこかへ消えてしまった。


「あ、円……まあいいか。じゃ、俺も入るとしよう」


 刹那が湯屋の入口を入ってすぐ右手に番頭台があった。そこに座っている老婆に入湯料を払い、刹那は男湯の暖簾をくぐった。更衣室で服を脱ぎ、浴室の扉を開ける。


「うわ~、でけぇ!」


 扉を開けた瞬間、湯気で視界が遮られたが、視界が開けたその先にあったのは大浴場だった。そこでは湯につかる人、体を洗いながら隣と世間話をする人など皆思い思いの過ごし方をしている。


「よ~し、俺も入るか……と、その前に……」


 刹那は入口に積まれた桶と椅子を一つ取ると、並んだ洗面台の所に椅子を置いて腰掛けた。


「まずは体を洗ってから入らないとねぇ~。これ、お風呂の常識」


 記憶は失っても浴場の入り方は覚えていたようだ。

 桶で汲んだ湯を頭からかぶり、目の前の「ご自由に」と書かれた石鹸で体を洗う。旅の汚れごと洗い流すように再び湯を浴びて、いよいよ待ちに待った大浴場へと向かった。だが、途中、外につながる扉を見つけて立ち止まる。その扉にはデカデカとある文字が書かれていた。


「ん?露天風呂?」


 その言葉にただならぬ魅力を感じた刹那は気付けばその扉を開いていた。そして、熱気の立ち込める室内から屋外へと踏み出す。


「お、おぉぉぉ!」


 刹那の眼前に広がる露天風呂はまさに見事の一言だった。岩を並べて作られたであろう浴槽には乳白色の湯が満たされており、目の前には巨大な山がそびえ立っている。まさに絶景だ。


「これはたまらねぇなぁ」


 その景色をしばし堪能した刹那は、ここに来た目的を果たすべく湯へと足を踏み入れた。


「おぉおぉぉうぅぅふぅぅ」


 呻き声のような声を出して肩まで湯に浸かる。湯は少し熱めなのだが、露天ということもあって空気の冷たさと湯の温かさの差が心地よい。ここまでの旅の疲れが全て湯に溶けていくようだ。


「そういや円はどこに行ったのかなぁ?」


 円とは入口で別れたきりだ。別の入口があるとは言っていたが、どこにもそんなものは見当たらなかったのだが?


「ここにいるぞ」

「うぉ!」


 突然背後から声を掛けられた刹那が慌てて振り返ると、そこには頭にタオルを乗せた――刹那が想像していた――いかにも入浴スタイルの円が湯に浸かっていたのだった。


「ま、円、どこから入ったんだよ?」

「この温泉には猫用という料金設定がないからな。裏から入らせてもらった」


 そう言った円は目を閉じてとても気持ちよさそうに湯に浸かっている。体洗ったのか?


「お前、そのタオルどうしたんだよ?」

「細かいことは気にするな」

「てか、風呂に入る猫なんて初めて見たぞ?」

「記憶喪失の人間が何を言っている。誇り高き猫又はその趣向も高貴なんだ。それに、折角の良い湯なんだ、無粋なことを言うな」

「へいへい」


 まあ確かにその通りだ。現に目の前に湯に浸かる猫がいるのだから、そういうものなんだと割り切ろう。


「それにしても、刹那、お前オヤジくさいぞ。なんだ、さっきの呻き声は?」

「折角の良い湯なんだから、無粋なことを言うんじゃねぇよ」

「……ふむ、それもそうだな」


 多少のことは水……いや、お湯に流し、二人は湯に浸かりながらここまでの旅の疲れを癒したのだった。

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