第八十九話 仕方なく、だ
「まったく、脱走なんて何考えてるのかしら?」
蓉襲撃事件の後、凛達はそれぞれ自分の部屋に戻っていた。何者かの襲撃のせいで蓉と話をすることが出来なかったたどころか、肝心の刹那までいなくなってしまった。
「円、どう思う?」
そう意見を求めてきた凛の方へ円が視線を向ける。彼女は今、ベッドに寝転がりながらこちらに顔を向けていた。
「生憎と俺にも見当がつかん」
「見当もつかんって、相棒でしょ?」
「相棒?」
円が不思議そうな顔をすると。凛は少し驚いたような様子を見せた。はて、何か変なことを言っただろうか。
「だって一緒に旅してるじゃない。相棒じゃなかったら友達とか?」
「馬鹿を言うな。俺は訳あってアイツに同行しているだけだ。相棒でも友達でもない」
そうだ。自分は刹那の心臓を狙っているだけで、それ以外の目的は無い。見返りがあるから今はまだ殺していないが、いずれは手にかける……。
「そう言う割には仲良さそうだよね?」
「仲が良い?どこがだ?」
「だって、落ち着かないじゃん。さっきから部屋の中を行ったり来たりしてさ」
凛の言うとおり、部屋に戻ってから円は今まで全く立ち止まらずに部屋の中をウロウロしていたのだ。およそいつもの円からは想像もできない光景である。現に、蓉の部屋に行く前までは今の凛と円の行動は全く逆だった。それが、刹那が脱走したと聞いてから、円は明らかに落ち着きを無くしている。
「ふん、馬鹿らしい。これはただ、動きまわっていないと体が鈍るからだ」
「それならいいけどねぇ」
凛は何か含みを持たせた言い方をすると、枕を抱きかかえるようにしてそこに顔を置いた。
「円はさ、理由があって同行してるって言うけど、刹那の方はどう思ってるんだろうね?やっぱり円と同じ感じなのかな?」
「知ったことではないし、興味もないな」
そう、刹那と自分はただ仕方なく一緒にいるだけだ。それ以外に関係など何もないし、作るつもりもない。
「それで、見当はつかないって言っても、何か引っかかる所があるんじゃないの?」
「なぜそう思う?」
「さっき蓉が不審者の話をしてる時に、一瞬だけ顔が強張ったでしょ?」
「そこまで見ていたか」
あの状態でそこまで周りに気を配っていたとは、この娘も武道家の端くれか。
「男の子というのが気になってな。もしかしたら知ってる奴かもしれないと思っただけだ」
「あのΩって子?」
「あぁ。あの小僧ならお前の弟が後れを取ったというのも頷ける。だが……」
蓉を襲う理由が分からん。何より、あの部屋の散らかり様、あれは襲われた人間のものではない。おそらく、蓉が自分で荒らしたものだ。いったいどういうつもりなのか。
「Ωって子がいるなら、あの変なおじいちゃんもいるのよね?」
「あぁ、間違いないだろう」
「それだったら、蓉じゃなくて刹那の方を襲うと思うんだけど……。あ、もしかして、刹那はあのおじいちゃんに誘拐されたとか?」
「その可能性は無いとは言えんな」
相手はあの聯賦だ。何をするか分らない。どうやら刹那の体を欲しがっているようだし、どこからか明日の決闘のことを聞き、それを阻止するために刹那を連れ出した可能性は大いにある。だとすれば、刹那を探し出すのは骨が折れるかもしれない。
「とりあえず、刹那だけではなくあの年寄りも探してみるか」
「そうだね。でも早くしないと。お父様達が先に見つけたら、そのまま決闘なんてことにもなりかねないよ」
確かに、あの興奮ぶりでは文字通り草の根を分けてでも探し出すだろうな。そんな状態で刹那を先に見つけられたら、刹那の命はない。
いや、自分は心臓さえ手に入ればそれでいいのだが。
「それは厄介だな。すぐに見つけねばなるまい」
円は窓から星空を眺めた。まったく、いったいアイツはどこへ行ったのか。




