第八十八話 望まぬ来訪者
「脱走しただとッ?」
刹那脱走の報を受けた王は寝耳に水のその知らせに驚き兵士に詰め寄った。その剣幕に兵士も後ずさりしている。まあ、あの顔に迫られたら、引く気持ちも分からなくない。
「こ、交代の衛兵が牢に向かったところ見張りの者が倒れており、中を確認するとあの罪人の姿が無かったとのことです!」
「ええい!すぐに兵を集めろ!堅要中を探すのだ!」
顔を真っ赤にした王は兵にそう指示を出すと、自分もすぐに部屋を飛び出して行った。それを確認すると、すぐに凛が困惑した表情を円に向け小声で訊ねる。
「どうなってるの?」
「俺に聞かんでくれ」
やれやれ、何ということだ。嫌な予感が的中してしまった――
刹那に何があったのか。時間は凛達に刹那脱走の報が届く数時間前まで遡る。
* * *
「大丈夫だよな」
刹那は牢で一人考えていた。結局、その日の午後も円たちは現れなかったのだ。
最後に会った日からもう二日。円達からの連絡はない。一体どうなっているんだ?任せておけと言っていたが、上手くいっているのか?
あの爺さん夜に来るって言ってたけどいったい何時くるんだ?
牢が地下にあるために正確な時間までは分からないが、先ほど夕食が運ばれてきたことを考えると、そう早い時間でもないだろう。
このまま来なきゃ良いんだけどな――
もちろん円たちを信じているが、この辛気臭いところから助けてくれると言われれば、ちょっと心が動いてしまう。いくら相手があの怪しい老人だとしてもだ。
「ん?」
誰かが近づいてくる足音が聞こえてくる。まさか……本当に来たのだろうか?
足音は一歩、また一歩と確実にこちらに近づいてくる。
刹那に緊張が走った。
コツコツコツコッ――
近づいてきた足音が止まる。音の主は刹那の牢屋の前に立っていた。
「なんだ……」
そちらに目を向けると、そこに立っていたのは看守だった。見周りに来ただけか。それにしてもご苦労様だな。眠そうに白目を剥いて――ッ!白目ッ?
「あうああああう」
白目を剥いたままの看守は、口をだらしなく開けて何やら言葉にならない声を出している。どう見ても普通じゃない。
「おい、大丈夫か?」
明かに様子がおかしい。いったい何が?
「やあ刹那君、大人しくしていたかね?」
看守の後ろに立っていたのは刹那が会いたくなかった人物、聯賦だった。
「アンタがやったのか?」
この看守の様子もこの老人の仕業なら納得がいく。
「なに、鍵を渡してくれるように頼んだんじゃが、断られてしまっての。少し従順になるように薬を使わせてもらったんじゃよ」
「大丈夫なんだろうな?」
「あぁ、わしには怪我一つないよ」
「アンタじゃない。看守の方だ」
この老人は殺しても死なないだろう。それより、この老人の薬を使われた彼の方が心配だ。
「心配いらんよ。薬が切れればいつも通りの生活じゃ。ただ、薬を使う前後のことは忘れてしまうがね」
「そうか」
それを聞いて安心した。記憶がなくなるのは、そこまで気になることじゃない。うん、記憶喪失の俺が言うんだから間違いない。
「それではそろそろ行くとしようかの?」
そうだ、この老人は自分を迎えに来たんだった。だが、とてもじゃないが一緒に行く気にはならない。
「せっかく来てもらって悪いけど、俺はここに残る」
聯賦はその言葉を予想していたかのように「ふっ」とだけ笑った。
「そうかね。だが良いのかな?」
「何が?」
「今、円君の所にはΩが向かっているんだが?」
「なにッ?」
聯賦が勝利を確信したかのようにニヤつく。しまった、食いついてしまった。
「君も知っての通り、Ωは私の言葉に従順だ。今回は遊んで来いと言っておいたが、アイツは力加減を知らないからな。もしかしたら――」
「おい!円には手を出すな!」
聯賦の言葉に煽られ刹那が鉄格子に詰め寄った瞬間、聯賦によって彼の顔に何かが吹きかけられた。
「――ッ!何を……」
全て言いきる前に刹那はその場に倒れてしまう。体が全く言うことを聞かず、意識もどんどん遠のいて行く。
「よし、連れて行け」
聯賦が何者かに指示を出している。どうやら、何人か――もしくは何匹か――を連れて来ているらしい。
「て、めぇ……」
「あまり無理に動かない方が良い。今のはわし特製の――」
刹那の意識はそこで途切れてしまった。




