第八十二話 嘘をつくんじゃない!
「本当にここに入るのか?」
「だからさっきからそう言ってるでしょ」
次の日、凛に案内されて円はある場所へと向かった。そこは堅要を統べる者が住む場所。つまり王がいる城だ。その城は闘技場よりももっと奥、まるで玉座に鎮座する支配者のように堂々と建っており、その大きさは闘技場に引けを取らないほど巨大なものだった。堅要に着いてすぐに大きさは見ていたつもりだったが、こうして目の前に来るとますますその大きさを実感する。周りを濠に囲まれ、唯一城と繋がった巨大な橋には両端に番兵が立ち、目を光らせていた。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫よ、私に任せておきなさい。……それより、これから見ることは他言無用だからね?」
「なぜだ?」
「いいから。約束して」
「分かった」
凛は円に念を押した後、番兵たちの所へ向かうと何かを話し始めた。番兵達は凛を見るとただでさえ伸ばしていた背筋をさらに伸ばし、二、三、言葉を交わした後、一人が城の方へと走って行った。そして、凛が円の方へと「来い」とジェスチャーする。
「入るわよ」
「あ、ああ」
番兵の開けた門をくぐり中に入ると、そこはまるで花畑のようだった。門から本丸まで一本の道が延び、その両側を花壇が取り囲む形になっている。花壇には色とりどりの花が植えられており、まるでここだけ別世界のような雰囲気だ。
「まったく、これはお母様の趣味ね」
凛が小さな声で呟いたのを円は聞き逃さなかった。お母様だと?つまり、ここは……
「さて、どこにいるのやら」
凛が辺りを見回すと、そこに侍女らしき女性が通りかかった。
「あ、ちょっと」
「はい?――ッ!凛お嬢様ッ!」
凛に声を掛けられて振り返った侍女は、これまでで会った人たちがそうだったようにひどく驚いた様子だった。
この様子にお嬢様とくれば、もう間違いないだろう。
「いつお戻りになられたんですか?」
「昨日よ。お父様に会いたいんだけど、いつもの所?」
「は、はい」
「ありがとう」
それだけ言うと、凛はさっさと城の中へと入ってしまった。円も置いて行かれないようにそれに続く。
城の内装は円が想像していたものをはるかに超えていた。廊下は広く、大の大人四人が横に並んでも余るくらい、天井は優に五メートルはあるだろうか。そして、壁には等間隔でいくつもドアがある。このドアの先一つ一つが部屋になっているのだろう。外から見た時からかなり大きいとは思っていたが、ここまでとは……。これだけ広いと、迷子になってしまうのではないだろうか?
「円、こっちよ」
これだけ広い建物の中でも凛は迷うことなく突き進んでいく。いったい何処に行こうというのだろう。二つのドアを通り、三回角を曲がった所で、凛は外へと出た。黙ってついてきていた円の目に一つの小屋が映る。小屋と言っても、とても大きく、外の民家の倍くらいの大きさがあり、そこから何やら人の掛け声みたいなものが聞こえてくる。
「やってるみたいね」
凛がその小屋の入口の扉を開けると、中ではたくさんの若者たちが掛け声に合わせて素振りをしていた。その手に持っているのは、凛が手にしていた多節棍と同じくらいの大きさの木の棒だった。どうやら、ここは道場らしい。師範らしき袴姿の男性が若者たちの前に立って多節棍を振りながら掛け声を掛けている。
男性は髪を短く刈り上げ、肌は程よく日に焼けている。髪は肌と同じぐらい茶色で、腕は丸太位の太さがあり、太腿もそれと同じくらい太い。その見た目だけでもかなり武に秀でた印象を受けるが、それを確かなものにしたのはあの多節棍を軽々と振るっている姿だ。以前、凛が多節棍を使いこなす姿を見たが、あの時は多節棍自体の重さを受け流すように流れるようにふるっていた。だが、この男性は自分の力で無理やりに動かしているという印象だ。その証拠に、多節棍が空を切る音がとても荒々しく、まるで嵐のような音を出している。
「一ッ、二ッ、三ッ、四ッ」
「ちょっと!」
凛が声をかけるが男性は全く気付く様子はない。
「五ッ、六ッ」
「ねぇ!」
「どうしたぁ!声が出てないぞ!」
「「「ハイッ!」」」
男性は凛の声を無視して素振りを続け、周りの若者たちもそれに続く。
「くぉらぁ!クソオヤジぃ!」
いい加減無視し続けられることにイラついたのか、凛は大声を張り上げた。ん?オヤジ?
「七ッ、八ッ、ん?」
やっと気付いたのか、その男性は凛の方へと振り返った。瞳は肌と同じように茶色で顔には右頬に大きな傷がある。明かに凶器で傷つけられた痕だ。鍛えられた体と言い、ただ者ではないだろう。
「おぉ、凛!帰って来たのか!」
男性は凛に声をかけるが、決して素振りの手を止めようとしない。
「そうよ。ちょっと話があるんだけど」
「あぁ?なんだ?聞こえんぞッ?」
「だから、ちょっと話が……」
「なんだってッ?腹から声を出せ!」
「オラァ!」
「ぐふぉ!」
凛の膝蹴りが見事に男性の脇腹を捉えた。
「ち、違うぞ、凛。腹に蹴りを入れろではなく、腹から声を出せ、だ。しかし、しばらく会わない間に、良い蹴りを出すようになったな」
男性は苦悶の表情を浮かべ、腰を折る。だがその顔はどこか嬉しそうだ。
「いいから。ちょっと話があるんだけど?」
「わ、わかった」
男性は姿勢を正し、心配する若者たちの方へと向きを変えた。その表情は先ほどの苦悶の表情とは打って変わり、とても真剣な表情だ。
「皆すまない、今日の稽古はこれで終了にしよう。今日はゆっくりと体を休めてくれ」
男性がそう言って声をかけると、若者たちは道具を片づけ、男性に一礼して道場を出ていった。
「さて、こんな所で話すのもなんだ。場所を変えよう」
多節棍を片づけ凛達を促して道場の外へと出ると、男性は「自分は着替えてくるから先に部屋に行っていてくれ」とだけ言ってどこかへ行ってしまった。
「また中を歩きまわるのか」
広い城の中をずっと歩き回らさせられた円は思わず口から文句が出ていた。先ほど目が回りそうなほど歩きまわったのにもう戻ることになるとは。今度こそ本当に目が回ってしまうかもしれない。
「ところで、あれは誰なんだ?」
「あの人?私の父親。それで、この都の王様よ」
「ほう、父親か……ん?王?ということは、お前は……」
「王女」
「なんだとッ?」
円の声は廊下中に響き渡るような大声だった。まさか、あんな物騒なものを振り回していたこの娘が王女とは……世の中は分からないものだ。
「ちょっと、驚きすぎじゃないの?」
「分かっているのか?王女と言えば、王族の人間だぞ?」
「当たり前じゃない」
「王族ということは、権威のある立場で、つまり、ある程度の品位を持ち合わせているものなんだぞ?」
「持ち合わせてるわよ」
「嘘をつくんじゃない!」
「どういう意味よッ?」
「お前には品位の欠片など微塵も感じられん」
何の遠慮もなしにそう言ってのける円にムッとした凛だったが
「似合ってないのは本人が一番分かってるんだけどね」
と自分でもあまり王女と呼ばれる柄では無いことを肯定した。どうやら、ある程度の自覚はあるようだ。




