第八十一話 変わり者
刹那と別れ円達が外に出た時には夕日がのぼり辺りは暗くなり始めていた。
「さて、私はどこかに宿を取って休むとするわ。猫ちゃん、君はどうする?」
「猫ちゃんじゃない、円だ」
凛の方を見ようともせず、円がそっけなく答える。
「そう。それじゃあ私のことは女じゃなくて凛って呼んでくれる?それで円、どうする?」
「俺は見張り役だからな。ついて行く」
円としてもあまり知らない土地を一人でうろつくのは得策ではないと考えたのだろう。半歩遅れながら、凛の後を大人しく付いてきていた。
「それじゃあ、今日はここに泊まりましょう」
凛が足を止めたのはどこにでもあるような宿屋だった。立札には「空室あり」と書かれている。
入口のドアにくくり付けられた鐘が鳴り、来客を知らせる音が響く。
「いらっしゃい」
愛想の良い主人が笑顔で迎えてくれた。鼻の下にたくわえた口ひげがよく似合っている。
「部屋を一つ頼みたいの。あ、あと、ここはペット同伴可能かしら?」
「ペットは……そこの猫ちゃん?えぇ、大丈夫ですよ。それじゃあ、ここにお名前を――あ、あなた様はッ!」
名前を書き入れようとした凛を改めて見た主人は、先ほどの兵士たちのように声を上げ、驚きを隠せないようだった。
「気にしないで。今はただの旅人だから。それじゃあ、部屋借りるわね」
「は、はい!ごゆっくり!」
主人は両手で凛に部屋の鍵を渡すと恭しく頭を下げた。
「先ほどの兵士といい、ここの主人といい、お前この都では相当な有名人らしいな?」
未だに頭を下げている主人を振り返り、二階の部屋に向かう階段をのぼりながら、円が凛に尋ねる。
「さっきも言ったけど、細かいことは気にしないで」
凛のまとった雰囲気が「それ以上何も聞くな」と言っている。円はそれを感じ取り、それ以上は何も聞かないことにした。
部屋は一人分の簡素な造りだったが、ベッドのわきに飾られた花瓶や、綺麗に整えられたベッドのシーツなど、心配りの行き届いた部屋だった。
「ふぅ~、疲れた」
凛は部屋に入るなりベッドにドカッと寝転がった。円はそれをあきれた様子で見ている。
「おい凛、もう少し女らしくしたらどうだ?」
「もう、お父様みたいなこと言わないでよ。私は女らしくなんてまっぴらごめんだわ」
そう言いながら彼女はベッドの上でしばらくくつろいでいたが、急に起き上がり荷物をいじり始める。一体何をしようと言うのだろうか?
「どうした?」
「シャワー浴びるの。覗かないでよ?」
「頼まれても覗かん」
「それなら安心ね。じゃ」
凛は荷物から着替えを出すと、そのまま浴室へ行ってしまった。まったく口の減らない女だ。
「ふぅ」
一人きりになった部屋で円は一息ついて今日のことを思い返す。
本当に今日は忙しい一日だった。まさか刹那が捕まってしまうとは……。
それにしても、凛、あの女はいったい何者なんだ?兵士や宿の主人にまで顔が知れ渡っているようだし、兵士にいたっては一言言っただけで牢の中にも入ることが出来た。相当な権力者なのか?それとも、それに連なる者の関係者?分からん。
円が思考を巡らせていると、そんなことはお構いなしに凛が脱衣所から戻ってきた。
「あ~、さっぱりした」
凛の姿は上気した体にバスタオル一枚というとても無防備な姿だ。世の男性なら喜びの声を上げただろうが、そこは円である。
彼は思考を止めて声を張り上げた。
「おい!何だそのはしたない恰好はッ?」
「へ?別にいいでしょ、誰かいるわけでもあるまいし」
「俺がいるだろうが!」
「猫相手に恥ずかしがったって仕方ないでしょうが」
もっともな意見なのだが、そんな一般常識は円には通用しない。
「まったく。少しは恥じらいを持て。それに、少し出るのが早過ぎるんじゃないか?女というのはもう少し長いと思っていたが」
「別に頭と体を洗うのにそこまで時間はかからないわよ。私から言わせれば、なんであそこまで時間がかかるのか逆に聞きたいくらいね」
「そんなものか……」
どうやらこの女に女らしさを期待するだけ無駄なようだ――
凛への対応を学んだ円は「ふぅ~」とため息をついて、ドアと反対方向にある窓の方へと歩いて行った。
「どこ行くの?」
「散歩だ」
窓の縁にヒョイと飛び乗り、器用に窓の鍵を開ける。
「そう。じゃあ、もう寝るけど、窓は開けておくわね」
「そうしてくれると助かる。あ、だが、防犯には注意しろ。変質者が入るかもしれん」
「分かったわ」
「それと早く着替えろ。風邪をひくぞ?」
円はそう言い残して、颯爽と夜の闇の中へと消えていった。




