第八十話 刹那救出作戦
皆連れ去られる刹那の背中をしばらく黙って見つめていたが、そのうち誰ともなく噂話に花を咲かせ始めた。
やれ王族暗殺を狙った賊が捕まっただの、アレは陽動で本隊は他にいるだの、皆好き放題なことを言っている。
「厄介なことになったな」
刹那が連れ去られた時、円は人ごみの中にいた。すぐにでも飛び出して刹那を助け出したい気持ちもあったが、あの状況でそれをすればただでは済まなかっただろう。最悪刹那と一緒に投獄もあり得た。そうなれば刀探しなどではない。
さて、どうしたものか――
考えを巡らせ始めた円の目にある人物の姿が映る。アレは刹那を追いかけまわしていた凛とか言う女か。
「おい」
「へ?うわッ!」
円が足元に近づいて声を掛けると、その存在に気付いていなかったのか凛が飛び上がるように驚いた。全く隙だらけで、これで武芸者というから笑わせる。まあいい、今はそんなことを気にしている場合ではないのだ。
「おい女。こうなったのもお前のせいだ。刹那を助けるのを手伝え」
「は?私に言ってんの?」
「お前しかいないだろうが」
「いや、私には関係ないし……」
「お前が追いかけてきたからこんなことになったんだろうが」
「なによそれッ?あっちが走って逃げたんでしょ。大人しく私と戦ってればこんなことにならなかったのよ」
「なんだと貴様ッ」
勝手に追いかけてきてこの言い草、この女、ここで燃やしてしまおうか。
一瞬瞳が赤くなりかけた円だったが、瞬時に頭を冷やした。ここで怒ってしまっては刹那を救い出すことは出来ない。我慢だ。
「――まあいい、それよりも、良いのか、刹那を放っておいて?」
「だから、さっきも言ったように、私には関係ない」
「先ほどの話だと、刹那は牢に入れられるらしいな。どうやら、アイツはあの王子の殺害未遂の疑いを掛けられたらしい。この都がどういった法律を制定しているか詳しくは知らんが、王族の暗殺未遂、最悪死刑ということもありうるな。そうなったらお前の負けのまま決着がつく形になる。それでもいいのか?」
「う……」
凛の表情が曇った。よし、かかった。
凛は黙り込むとその場で考え始めた。おそらく、円の言葉の意味を吟味しているのだろう。そして、小さくため息をつくと円の方へと視線を向けた。
「わかったわよ!アイツを牢から出すのを手伝うわ」
「ふん、それでいい……やれやれ、この女が刹那と同じくらい単純で助かった」
「ん?何か言った?」
「何でもない。早く行くぞ」
そうと決まれば善は急げだ。
円は刹那が連れ去られて行った方へ行き先を定めて歩き出した。そのまま当てもなく円は歩き続けた。
「ちょっと、どこ行こうとしてるの?」
「分からん。とりあえず刹那が連れ去られた方だ」
「何それ?無計画すぎるでしょ?」
まさにいつも自分が刹那に言っている言葉を凛に言われてしまい。円はその場に立ち止った。
「ではどうすればいい?お前に刹那の居場所が分かるのか?」
円の声に苛立ちが混ざる。こうしている間にも刹那の寿命は着々と縮まっているかもしれないのだ。そう考えると、なぜだか分からないが冷静でいられなかった。
「おそらく、あそこにいるはずよ」
「あそこ?」
「そう、闘技場」
そう言って満足そうに頷く凛の顔はこれまでに見たことの無いようなしたり顔だった。
「闘技場?なんでそんなところに?」
「行けば分かるわ」
言うが早いか、凛はさっさと歩いて行ってしまう。円はただその後ろについていくことしかできない。
「おい、行くと言っても、刹那に会えるのか?アイツは今、罪人として捕まっているんだぞ?」
「それも行けば分かるわ」
この女の言っている意味はよく分らないが、とにかく今は何か行動しなければ始まらない。大人しく付いて行くことにしよう。
「ここか」
円達の眼前には巨大なドーム状の建物が広がっていた。その大きさは周りに建っている家の優に二十倍はあるだろうか。今は中で何も行われていないのか、辺りは闘技場らしからぬ静寂に包まれている。
「こっち」
凛に促され、円は正面の大きな入り口から少し横に逸れた小さい扉――関係者用の入口だろうか――から中へと入った。中に入ると、すぐに下へと続く階段になっている。どうやら地下へと向かうらしい。
階段はそこまで長くは続いておらず、ものの二、三分で終わりになった。そこから先は長い廊下になっており、左右にいくつかの扉がある。凛は迷う素振りも見せず歩いて行くと、五番目の扉の前で足を止めた。
「ここね」
扉を開けて中に入ると兵士の男が二人、テーブルに座って談笑していた。その先には鉄格子で仕切られた通路が続いている。その向こうには暗くてよく見えないが、いくつかの牢屋が見える。どうやら、この先に罪人を入れる牢があるらしい。
「ん?なんだお譲ちゃん?ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ?」
兵士が凛の方へと視線を向けて数秒後、彼の顔色はみるみるうちに青くなっていった。
「あ、あなた様は――」
「静かに。今はそんなことどうでも良いわ。ちょっと中に入りたいんだけど、いいかしら?」
「は、はい!――おい!」
見張りの兵士はもう一人の兵士に声をかけると、彼が持ってきた鍵で鉄格子の鍵を開け、ご丁寧に扉まで開けてくれた。
「どうぞお通りください。ん?あの、そちらの猫は?」
興味本位といった視線が円の方へと向けられる。ここでは普通の猫でいた方が良いだろうと、円は素知らぬ顔で歩いていく。
「気にしないで。一緒に入るから」
凛はさも当然とばかりに兵士に指示を出す。その姿は妙に様になっている。
「わ、わかりました!」
「それと、私が来たことは他言無用だから」
「はっ!」
兵士は恭しく敬礼したまま凛達が鉄格子をくぐるまで動かなかった。彼女を一目見ただけでこの態度、いったい何なんだ?
「お前何者だ?なぜ顔が利く?」
「細かいことは気にしないで。ちょっと伝手があるのよ」
言葉通り、凛は気にする風もなく幾つかの牢の中を覗いて回っていく。ここでこれ以上追及しても無駄と判断し、円も黙ってその後ろに付いていくことにした。
「姉ちゃん可愛いね~こっち向いて~」
「こっちにも来てくれよ~」
罪人たちの無遠慮な視線と声を歯牙にもかけず、凛は次々に牢屋を通り過ぎていく。そして、ある牢屋の前で足を止めた。
「元気そうじゃない?」
「君は……どうしてここに?」
両手に手錠をかけられ、座った状態の刹那が凛を見上げている。その顔は予想外の来訪者に驚きを隠せないでいた。
「無事だったか刹那」
「円ッ!」
円の姿を認め、刹那が立ち上がりこちらに向かってくる。
「なんで円と君が一緒にいるんだ?」
刹那の疑問ももっともである。凛は刹那と勝負するために彼等を追い続けてきた、言わば敵。その上、円と凛はどう見てもあまり相性が良いようには見えない。そんな二人が一緒にいれば疑問の一つも浮かぶだろう。
「お前を助けるためにちょっと協力を頼んだら快く引き受けてくれたんだ」
「快くって……私はただ、こんな形で決着をつけたくなかったのよ。ここから出たら、ちゃんと勝負しなさいよ?」
「え?あ~、考えとくよ」
口ではそうは言ってはいるものの、刹那の目は泳ぎ、明らかにめんどくさいといった雰囲気が出ている。これはまた逃げ出すことを考えているな?
「それで、どうやって刹那を外に出すんだ?」
「ちょっと耳を貸しなさい」
円と刹那は言われるままに凛に耳を貸した。もっとも、円の高さに合わせる形になったので、刹那と凛が腰を落とすことになったのだが。
「いい?堅要では罪人への罪の執行を行うかどうかは戦って決めるの。罪人はこの上の闘技場で一対一で戦って、もし勝つことが出来れば罪が帳消しになって釈放されるのよ」
「ホントにッ?ずいぶん滅茶苦茶な法律だな」
「さすがは武芸者の都、堅要と言ったところか」
驚いている二人を見て、凛は得意そうにふふんと鼻を鳴らすと、自信ありげにこう続けた。
「もう分かっただろうけど、ようは、その対戦相手に君が勝てばいいのよ」
「簡単に言ってくれるけど、その相手ってどんな奴なのさ?」
刹那のその質問に、凛は少し間を置いてもったいつけるようにこう答えた。
「堅要で一番偉い人間、つまり堅要の王よ。まあ、ここで王様やってるくらいだから、相当の強者だけどね」
「ちょっと!かなり強いんじゃないか!」
対戦相手が王とは。それに堅要の王、相当腕が立つのは想像に難くない。刹那もそれなりに腕は立つ方だが、それでも簡単に、というわけにはいかないだろう。
「慌てないの。上手くやって私が対戦相手になってあげるから。そこでワザと負ければ君は釈放されるわ」
刹那のその反応を待っていたとばかりに凛が嬉しそうに答える。
「君が?でも、対戦相手って王様がやるんでしょ?」
「伝手があるから任せておきなさい」
凛は自信満々に自分の胸をドンと叩く。
その姿に、円の中の疑問がどんどん大きくなっていく。
先ほどのことといい、この凛という女は一体何者なのだろうか。
「たぶん君の判決を決める勝負は三日後になるわ」
「なぜわかる?」
「三日後が堅要が信仰してる戦の神様の誕生した日と同じ曜日だからよ。罪人の判決を決める勝負は毎週その曜日って決まってるの。他にも何人か罪人がいるみたいだけど、王子に喧嘩売っちゃったんだし、最優先で判決を下すでしょ。それまでに私が勝負するように仕向けるから、君は大人しくしてること。いいわね?」
「それなら任せとけ!俺は普段からかなり大人しい方だからな!」
信じられん――
どうやらその思いは凛も同じだったようだ。これでもかと言うくらいのジト目が刹那に注がれている。
「ん?なにその眼は?疑ってんの?」
「――まあいいわ。今日の所は帰るから」
それだけ言って凛は踵を返した。ハッキリ言わないのも優しさというものだろう。
「この女が裏切らないように俺は見張りにつく」
「余計なお世話よ」
それから、円たちはお互いに文句を言いあいながら牢屋を後にしたのだった。




