第八話 衝動買いは命がけ
「うわ~、すげぇ所だな」
神威を手に入れてから二日ほど歩き、刹那と円は湯山へと到着していた。
街の正面から一番奥まで大通りが続いており、その両端には様々な商店や出店が並んでいる。湯山は大和屈指の温泉街として有名で、その湯は腰痛から内臓器官系の病気まで幅広い効能があり、そんな湯を求めて今日も大通りは湯治客で賑わっている。
刹那の目指す八頭尾山は湯山のすぐ裏手にある山で、湯山のその豊富な温泉は八頭尾山の恵みだと地元の人間は信じている。事実、湯山は休火山であり、その地下には幾つもの温泉脈が走っている。
「湯山はこの辺りで一番デカイ街でもある。相変わらず人だらけだな」
右も左もわからずキョロキョロと周りを見回す刹那とは対照的に、円は落ち着いた様子で人の流れを眺めている。
「着たことあるのか?」
「以前、湯治にな」
「湯治……」
温泉に浸かる円……。頭にタオル置いたり?
「――ブフッ」
「なんだ?」
「い、いや、別に」
何を考えてたか伝えたらこの場で焼き殺すとか言われそうだ。止めておこう。
「これだけ人が多いと、はぐれたら大変だ。いいか刹那、俺のそばから離れるなよ?」
「お、心配してくれんの?」
「違う。お前を見失って心臓が手に入らなくなったら困るから、だ」
「またまた~、照れなくても良いんだぜ?」
先日の一件で多少円との距離が縮まった気がしている刹那はちょっとばかりからかってみたくなった。が――
「燃やすぞ?」
円の瞳が真紅に染まり始める。やば……
「冗談だって、冗談。俺だって子供じゃないんだから、そんなにうろちょろは――お?」
「だと良いがな。ここは本当に人が多く、見失うと再会は困難だ。そこを肝に銘じて……ん?刹那?」
そこにはすでに刹那の姿は無かった。
* * *
「おぉ、これすげぇ!」
円の心配を余所に、刹那は出店の商品に目を奪われていた。彼が今見ているのは、野菜から魚まで全部が切れるという触れ込みの万能包丁だ。
「お兄さん、良いでしょその包丁。それだけじゃないんだよ、ちょっと待ってて」
そう言うと出店の店主は棚から包丁の半分ぐらいの長さの棒のようなものを出すと、それを刹那に見せた。
「包丁を使ってると、そのうち切れ味が悪くなってくるでしょ?」
店主は棚に入れていた包丁で、置いてある野菜を切り始めた。包丁はなかなか野菜に入っていかない。どうやら、ずいぶん切れ味が悪くなっているようだ。
「こんな風になったらもう研ぐしかない。だけど、研ぎ石で研ぐのも面倒だ。そんな時はこれ!この刃物研ぎがあればこうやって軽く擦ってやるだけで……」
彼はそう言って手に持った棒状の刃物研ぎで包丁を二、三擦りした後、再び野菜に包丁を入れる。すると、先ほどまでまったく通らなかった包丁がスイスイと中に入っていくではないか!
「すげぇ!」
「そうでしょ!いつもだったら、その包丁とこの刃物研ぎは別々に売ってるんだけど、今日は特別!なんと、包丁と刃物研ぎで包丁一本の値段でいいよ!」
「――ッ!ホントに?」
包丁一本の値段で刃物研ぎまで付いてくるとは、なんてお得なんだ!それに、これなら神威も研げるかもしれない。
「お客さんには嘘付かないよ。さぁ、どうするお兄さん?」
「いや、でも、無駄遣いするわけには……」
今後のことも考えると余計な出費は避けなければいけない。記憶をなくしてすぐに無計画に食料を食べ尽くし、ひもじい思いをしたことは教訓としてしっかりと刹那の頭の中に残っていた。
「こんな大盤振る舞いするのは今日だけだよ。こんな機会は滅多にないよ?」
「でもなぁ~」
なかなか煮え切らない刹那に、店主はポンと手を叩くと、何かを探し始めた。
「わかった。お兄さん買い物上手だ。だったら、今日はこれも付けちゃう!」
店主がそう言って棚から取り出したのは小さな缶だった。表面には「ガマの油」と書いてある。
「この軟膏は塗るとすぐ傷が治ると評判だ。包丁使ってて間違って指を切ってしまってもこれがあればもう安心!」
店主が畳みかけるように刹那に詰め寄る。それにしても、包丁に軟膏とは、節操のない品揃えである。普通の人ならばここで怪しんでしまう所だが、当の刹那は――
「すげぇ!そんなすごい薬まで付けてくれるのッ?」
「そうとも!それも値段は包丁一本分!」
「よし、買っ――」
「いらん!」
思わず飛びつこうとした刹那を遮って話しに入ってきた声。刹那を探し回っていた円だ。
「お、円、どうしたんだよ?」
「どうしたじゃない!お前、なんで勝手に歩き回った?」
「いや、面白そうなものがいっぱい並んでたからついフラフラ~っと」
円に睨まれ、刹那はバツが悪そうに視線を逸らした。もはや完全に怒る保護者と怒られる子供の構図だ。湯山ならそういった光景はよく目にすることが出来るが、さすがに猫に叱られている人間は珍しいだろう。
「ほら、早く行くぞ!」
「あ、ちょ、円、待てって、これ買って行こうよ。今なら傷がすぐ治る軟膏も付いてくるんだぜ?」
「……にも効くのか?」
「へ?」
円の背中越しに重い声が聞こえてくる。
「それは火傷にも効くのか?」
歩き始めていた円が振り返る。彼の目はその感情を表すかのように炎のような紅さだった。
「おじさん、悪いんだけど、今回は止めとくわ」
刹那はそれだけ言うと、そそくさと円の元へと走って行った。流石の「ガマの油」も死にかけには効かないだろうから。
「猫が……喋った」
客に逃げられたことよりも、猫が喋るということに驚きを隠せない店主は、一人と一匹が離れるのを黙って眺めていたのだった。