第七十九話 それでも俺はやってない
大通りを走り抜け、適当な所で右に曲がる。入ったのは小さい路地で、道に木箱やモップなどが置いてあり走りにくいが、それはあちらも同じはずだ。
「先に行くぞ」
足元を気にしながら走る刹那を尻目に円はスイスイと先に進んでしまう。こんな時ばかりは、猫になりたいと思ってしまう。
「おい、円、置いてかないでくれよ!」
「待ちなさいよ!」
もう凛はすぐ後ろに迫っていた。刹那だって決して足が遅い方ではないはずだ。あんな大きな荷物を肩に下げてどうしてあんなにスピードが出せるんだ?
「大人しく勝負しなさい!」
「嫌だ!」
刹那は全力で狭い路地を駆け抜けた。すると、目の前がふっと明るくなる。ついに路地の出口に着いたらしい。
「よっしゃ――って、うわっ!」
目の前の大通りには人、人、人。とてもじゃないが走れる状態ではない。
「円!どこだッ?」
人ごみの中に声を掛けてみるが反応は返ってこない。こんな所ではぐれてしまっては再会するのはかなり難しいだろう。ましてや、円は猫だ。人間よりも視線の低い彼を探すのは至難の業だ。
「逃げるなぁ!」
「しつっこいなぁ!」
とりあえず、今は凛から逃げるのが先だ。円は彼女を撒いてから探すとしよう。
刹那は一旦頭を切り替え、凛から逃げることを優先した。
「すいません、ちょっと通ります」
人ごみをかき分けて逃げて行く。無理やり進もうとする刹那にいい顔をしない者もいるが今はそんなことを気にしている暇はない。それにしても、なんでこんなに人がいるんだ。
「見ろ!いらっしゃったぞ!」
人ごみの中から誰かが声を上げた途端、人々の注目が一気にそちらの方へと向いた。いったい何があったんだ?
「なんだ?」
刹那の関心もそちらの方へと向いた。その瞬間――
「捕まえた!」
「あっ!」
追いついた凛に左腕を掴まれてしまった。まずい、ついに捕まってしまった。どうにかして逃げる方法はッ?
「さぁ、観念しなさい!」
「あ!空飛ぶ黒猫だ!」
「え?」
左手の空を指差し、刹那が叫ぶ。凛の関心が一瞬そちらに向いた。今だ!
「――って、そんなのいるわけないでしょ!」
すぐに視線を刹那の方へと向けた凛だったが、もう遅い。刹那を掴んだ腕の力が緩んだ隙に、刹那は一気に力を込めて腕を振りほどく。そして、全力で凛から距離を取った。
「よっしゃっ……へ?うわッ!」
刹那が飛び出した方向の人の群れは彼が予想していたよりも薄いものだった。目の前の人ごみにぶつかったと思えば、すぐにその人混みが引き、彼は大通りの真ん中へと放り出されてしまう。
「いつつつ――ッ!やべ!」
勢い余って転んでしまった刹那は、すぐに体勢を立て直すと立ち上がって体を軽く確認する。幸い怪我をしたような箇所は無い。
それだけ確認し終わると、すぐに走る姿勢に入った。一刻も早くあの娘から遠ざからなければいけないのだ。
が、刹那の動きはそこで止まる。人々の視線が自分に集まっているのだ。一体どうしたというのか?転んだのがそんなに珍しかったか?
「無礼者!」
「え?」
その声の方へと振り返ると、刹那の首には鋭利な槍の切っ先が二つ押しつけられていた。
「あれ?これは?なに?」
状況が呑み込めない刹那は槍の先へと目を向ける。そこには、頭と腕、足までをきっちりと鉄で覆う形の甲冑に身を包んだ兵士が二人。そして、その先には馬に乗った青年がいた。年は刹那より少し若い位だろう。何やら高貴な身分らしく、見た目に高価そうな服飾を身につけている。だが、最も刹那の関心を集めたのはその目だった。青年の瞳は、右はハッキリとした茶色、左は吸い込まれそうな漆黒という左右非対称のもので、今その瞳は驚きで見開かれている。
「貴様、蓉王子の市中見回りの前に飛び出すとは、無礼にもほどがあるぞ!」
槍を押しつけたまま兵士が刹那に怒鳴る。蓉王子?見回り?
「いや、あの、俺は別に邪魔をしようとかそういうわけでは……」
その場を収めるため刹那が事情を説明しようとした瞬間、槍を押しつけていた兵士の眼の色が変わった。
「その腰に下げているのは何だッ?」
「あ、これは俺の愛刀でして……」
「愛刀?――ッ!さては貴様、王子殺害をもくろむ謀反者だなッ?」
「え?謀反?」
状況が呑み込めないままの刹那を兵士たちが取り囲む。蓉王子と呼ばれた青年の後ろからさらに二人、計四人の槍が彼を包囲するように向けられ、一歩も身動きが取れなくなってしまう。
「この犯罪者を投獄しろ!」
「ちょっと!待って!俺何もしてない!」
抗議の声も虚しく、兵士の一人の声を合図に、刹那は両腕を担がれるように掴まれ、そのまま連行されてしまう。
「本当だって!俺何もしてない!俺は無実だァァァ!」
刹那の声が堅要に虚しくこだましたのだった。




