第七十二話 実力と謀略
頑徹の工房では今、鍛冶屋の男がハンマーで鋼を叩いている。彼は商いでこちらに来ているため、頑徹の工房の道具などを貸しているのだ。その代わり、どこから持ってきたのか、燃やす木炭は鍛冶屋の男が用意していた。
鋼を叩く音だけが静かに工房にこだまする。炉に入れた鋼を叩いては炉に入れ、そしてまた叩く。その作業の繰り返しを頑徹は黙って見続け、時たま「ほぅ」とか「やるな」などと感心しているが、素人の刹那には何がどうスゴイのか全くわからない。何やら、二つの鉄で一つの鋼を挟み込んでいるようだが、あれは何か意味があるのだろうか。
「さて」
ある程度刃物の形を模し始めた鉄の塊に男が何やら土をつけ始め、それを再び熱して、水で急速に冷やしていく。それを砥石で研いでいき、最後に柄をつけて相手の作品が完成した。
「だいたいこんなものですね」
鍛冶屋の男の作った包丁には揺蕩う海辺のような美しい刃文が刻まれており、その鋭い刃先なら何でも切れてしまいそうだ。素人の刹那が見ても、それを作った相手の技量の高さが分かる。
「次はそちらの番ですよ」
「チビ、準備はいいか?」
「は、はいっす!」
頑徹が緊張を解そうと錬の肩に手を置くが、錬はかなり気負っているのか全く緊張が解ける様子はない。利き腕が使えない頑徹は、左腕でなんとかハンマーを持ち、その補助として、錬が付くことになったのだ。
刹那としては錬に堂々と頑徹の代わりを務めて欲しかったのだが、こればかりは本人の問題だ。周りがとやかく言うことではない。
「それじゃあ始めるか」
頑徹が一本の鋼の棒を持った。素人の刹那にはよく分からないが、おかみさん曰く、複数の鉄をくっ付けているものらしい。これを火にかけて熱した後、ハンマーで叩いて形を整えるのだ。
頑徹が炉に近づく。何よりも大事なのはまず、火だ。中の温度を鋼を十分に加熱できるものまで上げなければならない。
「ん?」
木炭を持った頑徹の顔が一瞬戸惑う。だが、彼はすぐにその木炭を炉の中に放り込んだ。中はすでに先ほどまで鍛冶屋の男が使っていたことで熱せられている。今放り込んだ木炭もすぐに燃えるだろう。
だが、炉の温度が足りないのか、頑徹は次々に木炭を放り込んでいく。
「なんだ?」
何やら様子がおかしい。頑徹は左手で顎をさすりながら眉間にしわを寄せて、炉の方をじっと見つめている。見れば、錬も同じように心配そうな視線を炉に向けていた。
「何かあったんですか?」
邪魔をしないように遠くから見ていた刹那が声を張り上げて尋ねる。
「炉の火が足りねぇんだ。どうも木炭が湿ってたらしい」
木炭が湿っている?なぜそんなことが?あの木炭は確か……
まさかッ――
刹那が鍛冶屋の男の方を見ると、あの鍛冶屋は下卑た笑いを浮かべていた。奴が何かしたのは間違いなさそうだ。
「おい、アンタ、何したんだよッ?」
刹那が詰め寄ると、鍛冶屋の男は飄々とした様子で笑っていた。
「何、と言いますと?」
「しらばっくれんな!アンタがあの木炭を濡らしたんだろッ?」
「言いがかりは止めていただけますか?私はちゃんとした木炭を用意したつもりですよ。まあ、何かの手違いで濡れてしまったということもあるかもしれませんがね?」
その手違いを故意に起こしたであろうことはここにいる誰もが気付いている。
もっと疑ってかかるべきだった。人を雇って頑徹を襲う様な奴だ。これくらいのことしてきても不思議じゃない。
そもそも道具も何も持ってきていないというやつが突然木炭を用意できたことがおかしい。昨日腰を落ち着けたいとか言ってたが、おおかた、何かしら言いがかりをつけてこうやって勝負に持ち込むつもりだったんだろう。
「仕事の前に道具の状態を確かめておくのは常識じゃないですか?」
ぬけぬけとそんなことを抜かす相手に、刹那はついに我慢の限界が訪れた。
「ッ――このっ!」
刹那の足が何かに引っ張られる。見れば、そこには彼のズボンを咥えて留めようとする円の姿があった。
落ち着け刹那――
その眼は無言でそう訴えていた。しかし、振り上げた拳は簡単には下げれそうにはない。刹那が円を振り切り相手に殴りかかろうとした時、円の視線が彼から逸らされ、その先に頑徹たちを捉えた。刹那もそれに釣られてそちらを向く。
「――ッ」
そこでは、頑徹が左手で次々に木炭を放り込んでいる姿があった。錬もひたすらに木炭を炉に放り込んでいる。彼らはまだ勝負をあきらめていないのだ。ならば、刹那がその覚悟を邪魔するわけにはいかない。
だが、火がなくては話にならない。一体どうすればいい?
刹那が何か策はないかと思案した時、不敵に笑う黒猫を見た。
そうだ、円は猫又。その得意技と言えば、もう何度も体で味わっているではないか。




