第七十一話 決戦の朝
次の日、空は雲ひとつない晴天だった。祭り日和と言えばその通りだが、工房の命運がかかっている頑徹達にはとても楽しむ余裕はない。
約束の場所へと向かう頑徹夫妻と錬は一言もしゃべらず、刹那と円もその雰囲気に一言も声を出すことはなかった。
あの鍛冶屋の店の前に到着すると、そこには今日の勝負を見届けようとする見物客が何人も集まっていた。そして、その輪の中心に、いた。あの鍛冶屋だ。
「やあどうも、。今日はとてもいい天気ですね。絶好の祭り日和だ」
好意的な笑顔が逆に白々しい。
「おや?その腕、どうかされたんですか?」
今気付いたと言わんばかりに頑徹の骨折した右腕を見る鍛冶屋。
「お前がやったくせに。ぶん殴ってやろうか」
「落ち着け刹那」
敵意むき出しの刹那を円が小さな声で窘める。当の頑徹は冷静なもので涼しい顔で事情を説明しだした。
「いや~、昨日辺なのに絡まれちまってな。そこで腕折っちまったんだ」
「おや、それは大変だ。しかし、勝負は勝負。たとえ相手が万全の状態でなかろうと、私は全力でお相手するまでですよ」
「そのことなんだがよ、今回は中止ってわけにはいかねぇかい?」
「ダメですね」
先ほどまでの好意的な笑顔はどこへ消えたのか、その両目は猛禽類のそれだった。
「そちらさんの商売の邪魔しちまったのは本当に悪いと思ってる。この通りだ。勘弁してもらえねぇか」
頑徹が深々と頭を下げるが相手はそれを冷ややかに見下ろしながらこう返した。
「どんなに頭を下げられてもダメなものはダメです。というか、勝負を前にして怪我をするなんて不注意が過ぎるんじゃないですか?それも、よりによって職人の命とも言える腕を怪我するとは、職人としての意識が低いのでは?」
「なッ――」
「黙ってろチビ。確かにそちらさんの言うとおりだ。申し開きの言葉もねぇ」
思わず食って掛かろうとする錬を頑徹が制止する。
「もしかして、今日の勝負に勝てないと踏んでわざと怪我をしたんじゃないでしょうね?」
頭を下げたままの頑徹の手が震えている。何を言われようと、ここは耐えなければいけない。刹那もそれを感じ取り、殴りかかりたい気持ちを精一杯に抑えた。
「上がこれなら下がああなのも納得ですな。人の商売の邪魔をするような輩だ、中身と一緒で、どうせ腕もその程度なんでしょう」
この言葉には我慢していた刹那も黙っていられなかった。しかし、刹那以上に我慢できなかったのは頑徹だったようだ。先ほどまで下げていた頭を上げ、相手の胸倉に掴み掛かってしまった。
「頑徹さん!」
「確かにコイツは礼儀がなっていないかもしれないが、俺の自慢の一番弟子だ。口を慎んでもらおう」
鬼のような形相で相手に掴み掛っている頑徹は放っておけば相手を殴り倒してしまいそうな勢いだった。それを見て、錬はどうして良いかわからず動揺し、刹那は慌てて頑徹を取り押さえた。
刹那に止められ、頑徹は掴んでいた手を離した。もし刹那が止めなかったら今頃殴ってしまっていたかもしれない。
「ふ、ふんっ!まったく、下が下なら上も上だな!まるでチンピラじゃないか」
頑徹に掴まれていた首元を正しながら鍛冶屋の男は頑徹を睨み付けた。しかし、睨み返されるとすぐに視線を逸らしてしまう。
「まあいいでしょう。やってみればわかることです。いずれにせよ私が勝ったら工房は頂きますよ?」
「わかってる。それで、聞いた話によると、一人選んでその人の注文通りのものを作るってことだったが、どうやってその一人を選ぶんだ?」
「そちらが自由に選んでいただいて結構です。ただし、知り合いを選ぶような真似はしないでくださいよ?八百長相手では私には勝ち目がありませんから」
昨日頑徹さんを襲わせておいてよく言う。だが、向こうが選ぶと言い出さなくてよかった。これであの鍛冶屋と内通している者が選ばれる可能性は消えた。
「そうか……そこの人、頼んでも良いかい?」
頑徹が人ごみの中から選んだ人は小さな男の子を連れた中年女性だった。どうやら人が集まっているのを見て見物していたようで事情が呑み込めないのか、周りをきょろきょろと見回している。
「どうぞこちらへ」
鍛冶屋の男に促され、女性が彼と頑徹の間に立つ。
「事情を説明させていただきます。実は――」
鍛冶屋の男は頑徹との勝負方法を簡潔に説明した。女性は始めの方はただうんうんとうなずいていただけだったが、最後にはきちんと理解したようでハッキリと「わかりました」と答えていた。
「では、どのような商品をご所望ですか?」
「ん~、そうねぇ。あ、ちょうどもう一本、普段使いの包丁が欲しいと思っていたの。それをお願いしようかしら?」
勝負のお題は包丁。工房を賭けた絶対に負けられない勝負の戦いの火蓋が切って落とされた。




