第六十九話 何があったのか
男性に促されるままに刹那たちは祭りの活気に沸く町を走り抜けた。飲み屋などの店は今が書き入れ時の様で、もう夜も遅いというのに、どの店にも大勢の客がおり、皆大声で笑いあったり、肩を組んで歌を歌っている。もしやどこかで倒れているのではとも思ったが、一向に頑徹の姿は見えてこない。
そして、程なくして刹那たちがたどり着いたのは町で唯一の病院だった。
「なんでこんな所に?」
刹那たちの脳裏に悪い想像ばかりが浮かぶ。病院へ入ると、薄い水色の服を着た女性が廊下をウロウロしていた。どうやらこの病院の看護師のようだ。
女性はこちらに気がつくと急いで駆け寄ってきた。
「源さん!」
「愛ちゃん。連れてきたよ」
「愛ちゃん、うちの旦那がどうかしたの?」
「とにかく来て下さい!」
ここでも事情を説明されず、刹那たちは女性に促されるままに廊下の奥へと進んだ。そこには「診察室」と書かれた札の取り付けられた扉があった。どうやら、頑徹はその中にいるようだ。二人がここまで慌てているということはまさか……
「アンタ!」
診察室のドアを乱暴に開け放ち中へと入る。そこにいたのは白衣を着た中年男性と頭と腕に包帯を巻いた頑徹の姿だった。
「なんだ母ちゃん?それにチビ達も。そんなに慌ててどうしたんだ?」
「それはこっちのセリフだよ。源さんが慌てて家に着てアンタが大変だって言うから飛んできたんじゃないか」
思いのほかしっかりとした口調の頑徹に、おかみさんも安心したのかいつも通りの調子に戻っている。
「あ?俺が大変?なんだってそんな大げさなことになってんだよ?」
頑徹が男性の方を見る。男性は困ったように頑徹と女性看護師の方を交互に見た。
「いや、あの、愛ちゃんが頑てっつぁんが大変だって言うから……」
今度は女性看護師の方へみんなの視線が向く。彼女はモジモジしながら下を俯くと、小さな声で呟いた。
「だって、頑徹さん、腕が折れてて……。痛そうだったから、私慌てちゃって……」
「は?腕が折れてる?」
言われてみれば、頑徹は右腕に包帯を巻かれ、首から包帯を下げて、何やら固定されている。
「アンタ、いったい何やらかしたんだい?」
「俺は何もやってねぇよ。向こうが絡んできやがったんだ」
「は?向こう?」
「あ~、奥さん、俺の方から説明するよ」
源さんと呼ばれた男性が言うには、頑徹とその男性が飲み屋でばったり出くわし、しばらく一緒に飲んでいたらしい。祭りの活気もあってドンドン酒が進んだ二人だったが、頑徹がそろそろ帰ると言いだし、男性も一緒に帰ることになった。
二人で夜道を歩いていると、前から歩いてきた三人組に絡まれたという。相手は金品などを要求するでもなく、いきなり暴力に訴えて来たと言う。
そして、執拗に頑徹を襲い、頑徹も応戦したが酔っていたということもあり、相手に怪我を負わされてしまったということだ。
「それで休もうとしていた私が叩き起こされたというわけだよ」
白衣の男性はそう言ってメガネの縁を指で持ち上げた。呆れかえったという感じの口調だが、心底嫌がっているというわけではないようだ。人がよさそうな顔で同じ白衣を着ても聯賦とは全く印象が違う。
「いや~、先生が熟睡しちまう前で助かったぜ」
「まったく、祭りだから用心していつでも起きられるようにしていたが、本当に急患が来るとはね。迷惑極まりないな」
「まあそう言いなさんな。今度一杯おごるからさ」
「期待しないで待ってるよ」
白衣の男性が笑っているのを見ると、どうやら白衣の男性と頑徹は懇意にしているようだ。もしかしたら、飲み友達なのかもしれない。
「命に別状がなくてよかったよ。ホントにこの人は心配ばかりかけるんだから」
おかみさんも呆れ顔で笑っている。それを見て錬と刹那も顔を綻ばせた。本当に命に別状がある状態じゃなくてよかった。腕が折れてしまっているようだが、それもしばらくすれば治るだろう。それまでしばしの辛抱……ん?
「なあ、ちょい待ち。腕折れちまったってことは、頑徹さんは仕事できないんだよな?」
「そりゃそうっすよ刹那さん。槌だって握れないに決まって……あ」
その事実に気付いた錬の顔が見る見るうちに青ざめていく。
「仕事出来ないってことは、誰が明日アイツと勝負するんすかッ?」
そうなのだ。明日の勝負は頑徹が出る予定だった。それが腕を折ってしまったことで状況が変わってしまった。頑徹なき今、明日の勝負は成り立たない。このままではこちらの不戦敗になってしまう。
「そうだったな」
頑徹の顔も段々と曇ってきた。この勝負に負ければ自分たちの家と仕事場がなくなってしまうのだから当然だろう。
沈黙が診察室を包み込む。不意に付きつけられた現実に皆何と言って良いのか分らないのだ。
「あの、師匠……」
沈黙を破ったのは錬だった。
「明日の勝負、俺にやらせてもらえないっすか?」
「チビちゃん、本気かい?」
おかみさんに見つめられても錬は動じることなく静かにうなずいた。決意は固いようだ。
実際、錬のその申し出を刹那は良い考えだと思った。頑徹ほどではないにしろ、錬も頑徹の元で修業はしてきているだろう。代役としてならば一番ふさわしい。
「チビ、お前、勝てるのか?」
「正直、自信はないです。でも――」
「じゃあダメだ」
錬の言葉を頑徹が遮る。先ほど錬の言い訳を遮った時と同じ目だ。この目をされると、錬は何も言えない。
「曾爺さんから続いた工房を賭けてるんだ、今のお前にゃ任せられねぇよ。明日、俺が頭を下げる。それでもダメなら、町を出ていくしかねぇな」
頑徹はそう言って立ち上がると、白衣の男性に礼を言って、彼の危機を伝えに来た友人を伴ってさっさと出て行ってしまった。助けを求めるようにおかみさんへ視線を送った錬だが、おかみさんは何も言わずに首を横に振って白衣の男性に礼を言うと、頑徹と同じようにその場を去ってしまう。
残されたのは下を俯いたままの錬と、どうして良いか分らない刹那の二人。だが、ここでこうしていても何も状況は変わらない。刹那は錬を連れて病院を後にした。




