第六十八話 師匠の反応は?
「馬鹿野郎!」
外にまで聞こえそうな大声で頑徹が錬を怒鳴りつけた。錬にことの経緯を聞き、自分の工房が賭けの対象になったのを知ったためだ。
「チビ、お前には昔言ったが、この工房は俺の曾爺さんの代から受け継いできたものだ。俺の爺さんも親父もこの工房で修業して一人前になった。もちろん俺もだ」
錬は下を俯いたまま動かない。恐ろしくて頑徹の顔を見ることが出来ないのだろう。
「その伝統ある工房を賭けに出すたぁ。自分が何したか分ってんのかッ?」
「すいません。でも……」
「でもじゃねぇ!」
錬の言葉はすぐに頑徹に遮られてしまう。弁明の余地も与えられなかった錬は今にも泣きそうな顔だ。
「まあまあアンタ。そんなに怒らなくてもさ、チビちゃんだってアンタが工房を大事にしているのは良く分かってるさ。なんか理由があったんだろうよ。そうだろう、チビちゃん?」
奥さんの言葉に助けられ、錬が一度だけ首を縦に振る。それだけでも今の彼にとっては精一杯の意思表示なのだ。
「言ってみろ」
「あ、あの……」
「声が小せぇ!」
今にも消え入りそうな錬の声が完全にかき消される。錬はビクビクと震え小さくなって、本当に消えてしまいそうだ。
「アンタ、怒鳴ったらチビちゃんも喋れなくなっちまうよ。チビちゃん、ゆっくりで良いから話してごらん」
「あの……相手が師匠のことを馬鹿にしたから……」
錬は下を俯いたまま声を絞り出した。
「それで?」
頑徹が続きを促す。まだ声の怒気は消えていない。
「アイツ、師匠のことを中途半端な腕だって。、俺はどうしてもそれが許せなくて!勝手に工房を賭けちゃったのはすいません。でも、師匠は絶対にあんな奴に負けないと思ってます。だから……」
「……もういい」
頑徹に遮られ、再び黙る錬。だが、今度の頑徹の声は落ち着きを払っていた。と、頑徹は何も言わずに部屋の出口へと向かって歩いて行く。
「アンタ、どこ行くの?」
「折角の祭りだ。ちょっと外で飲んでくる。誰かしら知り合いがいるだろ」
頑徹はそのままふらりと外へ出て行ってしまった。
「おかみさん、申し訳ないっす」
頑徹が出ていくと、錬は今度はおかみさんへ頭を下げた。助け舟を出してもらったことと、迷惑をかけてしまったこと、両方に対して頭を下げているのだろう。
「過ぎたことをガタガタ言っても仕方ないよ。ただ、アタシらに一言相談してほしかったね」
「すいません、俺も一緒だったのに」
今まで黙っていた刹那が割り込んで頭を下げる。先ほどまでの空気ではとても部外者の刹那が口を出せる雰囲気ではなかったのだ。
「まったくだ。なぜお前が止めてやらなかったんだ」
円が厳しい意見を述べるが、それも致し方ない。あの場にいたなら、刹那には無理やりにでも錬を一度止めて、冷静にさせるという役割があったはずだ。
「お客さんに文句言うわけにはいかないよ。それに、聞いた話じゃこの子のことチンピラから守ってくれたんだって?お礼しなきゃいけないくらいさ」
「でも……」
大事な工房が賭けの対象になるのを止められなかったのだ。とても、チンピラから守ったぐらいで帳消しにできるものではない。
「それにね、あの人、口ではあんなこと言ってたけど、ちゃんと明日は頑張ってくれるわよ」
「本当ですか?でも、怒って外に飲みに行ったんじゃ?」
「違うわよ。アレは照れ隠し。チビちゃんが自分のことで本気で怒ってくれたのがうれしかったのよ。今頃ニヤニヤしながら飲んでるんじゃない?」
刹那の目にはとてもそうは見えなかったが、長年連れ添っているからこそ分かることもあるのだろう。
「だから、チビちゃんたちは何も心配しなくて良いのよ」
それを聞いて刹那たちはホッと胸をなでおろした。あの怒り方ではとても明日の勝負には出てくれないだろうと思っていたし、なにより、怒らせてしまったままというのは気分が悪かった。
それから数時間後、眼前の問題が解決し刹那たちがリビングでくつろいでいると、玄関のドアが開く音がした。おそらく頑徹が戻ってきたのだろう。改めて明日のことを頼まなければ。
「奥さんはいるかッ?」
だが、階段を上がり刹那たちがいたリビングに入ってきたのは、彼らの知らぬ男性だった。男性は酷く慌てていて、その髭面にびっしりと汗をかいて肩で息をしていた。
「源さんじゃないか。いったいどうしたんだい?」
奥で洗い物をしていた奥さんがエプロンで手を拭きながら出てくる。どうやら知り合いのようだ。
「お、奥さん!」
息を切らせながら男性がなんとか口を開く。
「落ち着いて。何があったんだい?」
深呼吸させて、ゆっくりとしゃべるように促すおかみさん。だが、彼の口から出た次の言葉に、おかみさんも落ち着いていられなくなってしまう。
「が、頑てっつぁんが大変なんだ!」




