第六十二話 そういう種類
頑徹夫妻が客人の思わぬ食べっぷりに目を丸くしていると、部屋のドアが独りでに動いた。いや、外から押し開けられたのだ。
「ん?おぉ、兄ちゃんの猫か」
そこには大人しそうにちょこんと座る黒猫の姿、もちろん円である。
円の奴、部屋で待ってろって言ったのに……。
嫌な予感がし、刹那がスプーンを止めた。円の動きに注意を払う。
「あらあら、お腹が空いちゃったのかい?ちょっと待ってな、今何か作ってあげるよ」
おかみさんのその言葉に円は「ニャー」と答えて大人しくそこに座っている。彼の本性を知らない者にはさぞや賢い猫に見えただろう。しかし、刹那はその猫の被りっぷりにただただ感心するばかりだった。
「きちんと座って待ってら。頭のいい猫だな兄ちゃん?」
「は、はぁ、まあそうっすね」
頭が良いというか、ずる賢いというか。
刹那は円が自分にし河原から内容に笑ったのを見ていた。どうやら、円はわざと出て来たらしい。
「ん~、お父ちゃん、猫って何あげればいいんだろうね?」
「朝の残りの飯があっただろ。それに鰹節を乗せてやればいいんじゃねぇか?」
「――ッ!」
その言葉に刹那が反応する。そして、注意する間もなく奴が飛びついた!
「鰹節ッ?」
聞き覚えのない声にその場にいた全員の視線がそちらに向く。
そして次の瞬間、みんなの動きが止まるのだ。しかし、その中で刹那だけはその声の主が誰なのか知っている。その上で彼の食事の手が止まったのは、これからどうやってこの事態を説明しようか頭を悩ませてしまったからだ。
「あ――」
自分の失態に気付いたのか、円が小さな声を漏らす。普段は冷静な円だが、鰹節が絡むと我を忘れるのは彼の悪い癖だろう。
皆の視線を集めてしまった円が、誤魔化すように「ニャー」と鳴いた。
「いや、もう手遅れだよ、円……」
刹那はもう無理だと諦めて頭を抱えながらそうつぶやいた。
「猫が……喋った」
まず口を開いたのは錬だった。その場で一番若い彼は、おそらく一番先に状況を整理出来たのだろう。それに続いておかみさん、頑徹が同じ言葉を吐く。
「バレてしまっては仕方がない。実は俺は喋れるのだ。詳しくは……刹那、任せた」
「なッ?」
円のその言葉を聞いて三人の視線が一斉に刹那に向く。
コイツ全部俺にぶん投げやがった!勘弁してくれよ。俺に振るんじゃねぇよ!
刹那は誰とも視線を合わせないように静かに視線をシチューに落とした。こうやっている間に皆の関心が他のことに向いてくれないだろうか。
そんな期待を込めて視線を上げた刹那だったが、状況は全く変わっていなかった。
「刹那さん、あの猫、なんで喋るんですか?」
「あ~、それは……あれだよ。そういう種類なんだ」
もう自棄だ。どうにでもなれ。考えるのが得意ではない刹那は、とりあえずその場しのぎの言葉で一旦この場を乗り切ることにした。そもそもこうなったのは円が悪い。何かまずいことがあれば円が何とかすれば良いのだ。
だが、その言葉は刹那の予想以上の効果を発揮することになる。
「なんだ、そういう種類なのか」
「へ?」
「世の中には喋る猫もいるんだね、あたしゃ知らなかったよ父ちゃん」
「俺も初めて聞いたな。不思議な猫もいるもんだ」
それでいいのか?いくらそういう種類って言われても、それをそのまま信じるのか?
自分で言っておきながら、刹那の方が困惑してしまう。
「あの、それで良いんすか?いくらそういう種類ったって、猫が喋ってるんですよ?」
「確かに信じられねぇが、目の前にいるんだから信じるしかねぇだろ。なに、別に俺らだって喋ってんだ。あんまり細かいことは気にするな。な、猫の坊主?」
「猫の坊主ではない。俺には円という名前がある」
「お、そいつは悪かったな」
ガッハッハと笑う頑徹の横では鰹節のたっぷり乗った猫まんまを持ってきたおかみさんが「円ちゃん、シチューは食べるかい?」などと聞いている。この人たちは全く動じないのか?
「喋る猫……」
錬がまだ口をパクパクさせている。よかった、とりあえず普通の反応をしてくれる人がまだ残っていた。
「とりあえず、確認しておくことがあるっす」
おぉ、良いぞ。種類だけじゃ説明できないでしょ!とか突っ込んでくれ。そうすれば自分も切り出しやすい。
「やっぱり、猫相手にも敬語使った方が良いんすかね?」
あぁくそっ!
「ふむ、お前、今何歳だ?」
「今年で十六っす」
「そうか、それならば敬語を使っておけ。俺は人間換算だとお前よりも年上になるはずだからな」
「そうなんすか。分かりました、円さん」
本当にそれで良いのだろうか。刹那は腑に落ちなかったが、本人がそれでいいと言っているのならそれで良いのかもしれない。
「どうした刹那?何か言いたげな顔だな」
円が一人取り残されている刹那の顔を見て一言。
「いや、もういいや。なんか、難しく考えすぎてたわ、俺」
刹那は今、世の中の不思議と人間の適応能力の高さを実感し声も出ないのだった。
「そうか。まあお前はあまり頭が良くないんだ。考えるのは止めておけ」
殴りてぇ、一発殴りてぇ――
震える拳をしっかりと握りしめ、刹那は耐えた。ここで手を出せば余計にめんどくさいことになるのは明白だ。ならば自分が大人にならなければ。そうだ、今度円の飯にからしをたっぷりと入れてやろう。
「うむ、美味い」
そんな刹那の心の葛藤などち~とも知らず、円は猫まんまを食べる合間に、おかみさんによそってもらったシチューを冷ましながら一口ずつ食べていく。喉に詰まらせたりしないだろうか。
「やっぱり猫用の餌とか買った方が良いんじゃねぇか母ちゃん?」
「でもここ等にそういうの売ってるところはないよ父ちゃん。魚とか買ってくればいいかね?」
「そうだなぁ」
頑徹夫妻が揃って頭をひねる。真面目に円のことを考えてくれているのだろう。見ず知らずの猫のことをここまで気にかけてくれるとは、本当にこの夫妻は良い人たちだ。
「俺は皆と同じものを出してもらえれば問題ない。気を遣わないでくれ」
「そうっすよ。いきなり押しかけてきた俺らに寝床どころか飯まで食わせてもらっちゃって、これで文句言ったら罰があたります」
冗談抜きでまさにその通りだろう。文句の一つでも言おうものなら、この先の刹那たちの旅はかなり厳しいものになるに違いない。
「悪いねぇ。こんなものしか出せないけど、好きなだけ食べとくれ」
刹那と円は言葉に甘えて、たらふくシチューをごちそうになったのだった。




