第五十九話 ご厄介になります
「鍛冶屋……」
なるほど、それならあの青年の格好も納得がいく。あれは作業着と言うわけだ。
「それでこれからどうする?このままと言うわけにもいくまい?」
円の言うとおりだ。あの青年はああ言ってくれたが、いつまでもこうしているわけにもいかない。タオルを取りに行ってくれているようだが、それを待っていると出づらくなってしまうだろう。礼を言って、今晩の宿を探しに行こう。
「よし、行くか」
立ち上がると、まだ本調子ではないのか少しフラフラする。だが幾分か熱は下がったようで、立っていられないほどでもない。これなら、宿屋まで十分に歩いて行けるだろう。
部屋を出てみると、正面の窓に面して長い廊下が広がっていた。刹那のいた部屋から左右にいくつかの扉があり、その長さはおよそ二十メートルほどだろうか。ずいぶんと広い家だ。右手に下に続く階段があるのを見ると、どうやらここは何階建てかの家らしい。
「さてと、とりあえず下に行けばいいかな」
階段に向かって刹那が歩き出してから数歩もしないうちに、扉の一つが空いて中から女性が現れた。恰幅が良く、刹那を見るなり笑顔を見せて、その笑顔がまたよく似合う。青年が言っていたおかみさんとは恐らくこの人の事だろう。
「あら?もう歩いても大丈夫?」
「おかげ様でずいぶん楽になりました。そろそろお暇します」
「いいのよぉ気にしないで。それより、まだ動かない方がいいんじゃない?どこかに宿は取ってるの?」
「いえ、まだなんです」
だからこそ早く行って宿を取らなければならない。
「それなら尚更今日は泊まっていきなさいよ」
「そうですか?それじゃ――っ」
見れば円が自分の足を噛んでいる。わかったよ、わかりましたよ。
「あの、これ以上ご迷惑をおかけするわけにいかないんで、お暇します」
「そう?別に迷惑ってほどじゃないわよ。でも、そこまで言うんじゃね」
女性はすんなりと道を開けて刹那を階下まで見送ってくれた。どうやらこの家は一階が作業場になっているようで、下に降りるとそこは倉庫のようになっており、そこ彼処に見慣れない道具類が置かれ、奥から何やら固いものを打ち付けるようなカーン、カーンという音が響き渡っていた。
「あ、こんな所にいた!駄目っすよまだ動いちゃ!」
その声に振り返ると、そこにはタオルを持ったあの青年の姿があった。ちょっと帰りづらくなってしまったな。
「もう出ていくんだって。遠慮しなくていいって言ったんだけどねぇ」
「ほら、おかみさんもこう言ってくれてるし、休んだ方がいいっすよ!」
二人の善意は非常にありがたい。だが、足元の円の視線がそれを許してくれなさそうだ。ここはなんとか断らなければ――
「おう兄ちゃん、目ぇ覚めたか?」
今度は奥の方から声をかけられた。そちらに視線を向けると、ガッシリとした体形の鬚の濃い男性が歩いてきた所だった。身長は刹那よりも少し低いぐらいだが、肩幅は広く、腕は丸太の様に太い。青年と同じような長袖を着ているが、青年と違い首元からは健康そうに日焼けした肌がのぞいていた。
「師匠!」
「おうチビ、それに母ちゃんも。どうしたみんな揃ってよ?」
チビと呼ばれた青年は師匠の元へと駆け寄るとあらましを説明しだした。その説明を師匠は腕を組んで黙って聞いている。なにやらどんどん雲行きが怪しくなってきている。
「そうか。だいたい話は分かった。確かに、さっきの兄ちゃんの様子だとまだ外を歩かせるのは心配だな」
「ですよね師匠」
「だがなチビ、男には行かなきゃならねぇ時があるんだ。分からねぇか?」
その言葉に青年がハッとする。そして、一度刹那の方へ視線を向けると、また師匠の方へと視線を戻した。
「それが今なんだよ。だろ?兄ちゃん?」
「え?あぁ、まあ……」
申し訳ないが、全くわからん。だが、多分そういうことにしておいた方が話は早そうだ。
「でもお父ちゃん、このお兄さん、宿取ってないらしいよ?」
「何?そいつはいけねぇな」
「え?」
見れば師匠と呼ばれた男性の顔の眉間に皺が寄り始めている。宿をとっていないのがそんなにまずいことなのだろうか?
「もう夕方も近いしな。たぶん、宿取れないぜ?」
その言葉は寝耳に水だった。刹那としても部屋の選り好みは出来ないと覚悟はしていたが、取れないというのは考えていなかった。自分のような旅人が同じ日にそう何人もこの町に訪れると思っていなかったからだ。
「何かあるんですか?」
「ん?兄ちゃん、そのために来たんじゃないのか?この町ではな明日と明後日に断石祭っていう祭りがあるのさ」
「断石祭?」
全く聞き覚えのない名前だ。名前から察するに石を割るのか?
「昔、この町に水を引き入れてる水路にデカイ石が詰まって水が引けずに困ってた時があったんだ。そこに通りすがりの旅人が来てその石を真っ二つにして助けてくれたのさ。それから、毎年この時期になるとその旅人への感謝と豊水を祈ってやる祭りが断石祭ってわけだ」
「へぇ~」
「昔は町の人間でやってる小さな祭りだったんだが、最近じゃ結構有名になってな。町の外からも人が集まるおかげで、祭りの前後は人がごった返すんだよ」
話を聞いていると、どうやら刹那はかなりタイミングが悪かったらしい。普段はあまり人の訪れない町だから宿も一軒しかなく、前日の今にはすでに満室だろうということだった。
「う~ん」
食料だけを買って出発してしまうことも考えたが、今度こそ円に怒られてしまうだろう。さりげなく円の方へ視線を向けてみると、その意図が通じたのか、黙って頷きを返してきた。先ほどあれだけ断ったが、やっぱり泊めてもらおう。
「兄ちゃん、泊まってくか?」
刹那の喉まで出かかっていた言葉を師匠が先回りして言ってくれた。一応、断りを入れようと試みるが、それに対しても、
「細けぇこたぁ気にするな、困った時はお互い様って言うだろ」
そう言って師匠はガッハッハと笑う。この豪快な笑いを見る限り、本当に細かいことは気にしない性格らしい。
「よし、決まりだな。おっと、そう言えば、まだ自己紹介をしてなかったな、俺は頑徹、この町で鍛冶屋をやってる。で、そこにいるのが俺のかみさん。そんでもってこっちが……」
「錬っす。師匠の一番弟子っす。そのうち師匠を超える日も近いっ――いてっ」
「何が俺を超えるだ。十年早ぇ!」
頑徹に小突かれた錬はてへへと笑うと舌を出した。その顔はお調子者だがどこか憎めない魅力がある。
「俺は刹那って言います。で、こっちの猫は円です」
そう言って円に指を指すが彼は猫らしく「ニャー」と鳴くでもなく、普通に自己紹介をするでもなく、ただその場に座り込んでいるだけだった。




