第五十五話 抗体
まず刹那が切りかかる。神威が風を切りΩに振り下ろされる。Ωはそれを右手の鎌で受け止め左手を振り上げた。
瞬間、刹那の顔に笑みがこぼれた。
攻撃を防がれた刹那は瞬時に距離を取る。その隙を逃すまいとΩが動いたが、それより早く今度は間髪入れずに凛の棍が襲う。鈍い音が響き、Ωの脇腹に凛の棍が直撃した。
いつもなら一撃が終わってしまえば後は距離を置くしかないが、今は自分と凛、前衛で戦えるものが二人いる。その違いは大きい。
本来なら突然の共闘でバラバラになるはずの動きも、流石武の心得がある凛と言ったところか、上手く刹那の動きに合わせていた。
「どう?――えっ?」
手ごたえを感じていた凛だったが、彼女の想像とは裏腹にΩは涼しい顔をしている。そして、振り上げられた左拳が凛を襲った。
「グッ」
その攻撃を棍で受け止めた凛だったが、その拳の重さに二、三歩後ずさる。
「なかなか良い拳持ってるじゃない」
どこかで聞いたようなセリフだ。
「刹那、女、下がっていろ」
その声を合図に刹那と凛がΩから距離を取る。次の瞬間、Ωの全身が炎で包まれる。
「容赦ないわね」
これで終わりだ。これだけの炎に包まれれば一溜りもない。
その場の誰もが結末を予感した中、聯賦だけは顔に笑みを残し、そして呟いた。
「Ω、そろそろいいじゃろう」
その言葉が刹那たちの耳に届いた時、すでにΩは動き出していた。火だるまのまま、Ωの左腕が円まで伸びる。
「――ッ?」
予想外の事態に刹那と凛の反応が遅れ、火を操るために集中していた円も挙動が遅れた。Ωの拳が円の顔面を捉える。その勢いに円が後ろに吹き飛ぶ。
「ちっ」
「円!」
多少ふら付いているが、円はしっかりと両足を地面につけて立っていた。どうやら心配はいらないらしい。
殴られた時に集中力が切れたのか、Ωを包んでいた炎は消え、その下からは相変わらず無表情のΩの姿があった。服は焼け焦げているが、その下の肌にはまったく傷がない。いったいどういうことだ?
「ふむ、どうやらうまく馴染んでいるようじゃな」
聯賦が何かを確かめるようにΩを見回し、満足がいったのかゆっくりと頷いた。
「一体どうなってんだ?円の炎が効かないなんて」
目の前の光景の真実を確かめようと刹那の視線が聯賦とΩの間を行き来する。しかし、その姿に特に変わった様子はない。
「やせ我慢ってわけじゃなさそうよね」
先ほど巨大ムカデが炎に包まれたのを見ていた凛はその考えを瞬時に否定した。
「爺さん、一体何したんだよ?」
「毒を以て毒を制す、というやつかの」
その言葉に円は合点がいったのかハッと息をのむ。だが、刹那と凛には全く分からず、さらに思考の迷宮の奥深くへと迷い込んでしまったのか、二人の眉間には深いしわが寄っていた。
「それでは少しだけヒントをやろう。生き物の中には毒を持っている生き物がいる。そいつらは共通して必ず持っているものがある。それが何かわかるかね?」
聯賦のその問いに答えを出せずにいる刹那の代わりに凛が口を開く。
「自分の毒に対する対抗策ね?」
「その通り」
凛の答えに満足がいったのか、聯賦が笑みを浮かべる。何度見ても、不気味で好感の持てない笑顔だ。
「自分の毒にやられないように、彼らはその毒への対抗策、抗体を持っておる。もし君たちがその毒に侵された場合、その毒の持ち主から抗体を入手できれば助かるというわけじゃよ」
「それがどうしたってんだよ?」
未だに刹那には聯賦の言わんとしていることがわからない。
「別にその毒を出した張本人から抗体を入手する必要はないんじゃ、同じ種類なら同じ抗体が取れる」
「あっ――」
聯賦のその言葉に、刹那は一つの答えを導き出した。
毒の抗体、持ち主……。まさか――
「炎を使えるような生物というのは限られておる。そうすると――」
嘘だ。きっと自分の勘違いに違いない。いや、勘違いであってほしい。でなければ、円が……。
刹那の目がその想像に見開かれる。自分の予想が正しければ、この老人はとんでもないことをしでかしていることになる。
「いや~、探すのに苦労したんじゃよ?何せかなり珍しい存在じゃからね」
その言葉には今度は凛が反応した。彼女も刹那と同じ考えに至ったのだろう。
「ふふふ、そろそろ種明かしといこうかの」
もう待ちきれないとばかりに聯賦は笑みを浮かべると、一呼吸の間を置いて口を開いた。いや、開こうとした。
「もういいッ!」
聯賦の言葉を遮るように円が口を挟む。その眼は炎を操っていないにも関わらず、真っ赤に染まっていた。
「貴様、猫又を使ったな?」




