第四話 自己紹介
「気づいたら原っぱのど真ん中にいたわけよ。で、記憶の手がかりになるものでも探そうってことで適当に旅してるわけ」
刹那が円に同行を勧めた日の夜、焚火を囲みながら刹那は円にこれまでの経緯を語った。円は相槌を打つでもなく、ひたすらに黙っている。聞いているのかいないのかも分からない状態ではあるが、刹那はそんなこともお構いなしに話を続けている。今まで一人だったのが相手が出来たことで喋る楽しみを見出しつつあった。
「おい」
「ん?なんだ?」
それまで黙っていた円が突然口を開いた。刹那はついに円の方から何か話をしてくれるのかと期待に目を輝かせたのだが――
「少し黙っていろ。それ以上喋ると焚火の燃料にするぞ」
それから、刹那は黙って火の番をすることにした。
焚火のパチパチとはじける音だけがその場に広がる。どれくらいの時間が経っただろうか。無言でただ火を見続けるだけの時間はとても苦痛で、刹那には一秒が一時間にも匹敵するように感じられた。
ちらりと円の方を見る。こちらに背を向けた黒猫はピクリとも動かない。
寝ているのだろうか?
そう思った瞬間、刹那の心の中にいたずら心が芽生えた。眠っている相手を無意味に起こしてみたくなるアレである。
刹那は薪をいじるために手にしていた長めの木の枝を振りかぶった。これを当てたら目の前の黒猫はどんな反応をするだろうか。
さぁ、投げて――
「もしそれを俺に投げつけてみろ。次の瞬間、焚火が二つになるぞ」
刹那は静かに腕を下したのだった。
そしてまた、焚火の音だけが響く時間が訪れる。少し火が弱くなっては枝を足し、空気を入れるために薪を動かし、そんなことを十回ほど続けた頃だろうか、燃料にされてはかなわないと黙ってその作業に没頭した刹那だったが、それももう限界である。
「なぁ円」
「そんなに早く死にたいか」
「ちょっと待てって。なぁ、なんで俺の心臓を欲しがるんだ?」
「貴様には関係ない」
「鰹節食う?」
「俺たち猫又の間には言い伝えがある」
見れば、黒猫はいつの間にかこちらに顔を向けていた。
沈黙を守り続けていた黒猫は鰹節に陥落したのである。
何とも現金な奴だと思った刹那だったが、決してそれは口に出さない。もし口を滑らせれば自分の旅はここで終わってしまうかもしれないのだ。
「何だよ、その言い伝えって?」
「そんなことよりまずは……」
「ちぇ、ほれっ」
刹那は袋から鰹節を取り出すとそれを円に向って投げた。円はそれを見事に口で受け取ると、満足そうに口を動かしながら咀嚼する。早く続きを聞きたい刹那だったが、円が食べ終わるのをジッと待った。
「ふぅ。さて、その言い伝えだが、猫又は人の心臓を食べることで今よりももっと強くなることが出来るという。だから、俺はもっと上位の猫又になるために心臓を求めて村を出た」
「それって俺以外の心臓じゃダメなのか?」
人間の心臓というのなら別に他の人のでも構わないだろう。他人には悪いが、そうなってくれた方が刹那としてもありがたい。
「ダメだ」
「なんで?」
「自分に合う心臓というのがその、なんとなく分かるんだ。直感と言えばいいのか」
「なんだよそれ」
迷惑な勘もあったものだ。そんなんで命を狙われていたらたまったもんじゃない。
「ところで、円のいた村ってのは、やっぱり、その、猫の村なのか?」
「そうだ。正確に言うと、猫又の村だがな」
「猫又……今更だけど、お前ホントに猫又なのか?」
「何を疑っている?」
円がちょっとムッとしたようにこちらを睨んでくる。そこで刹那は円を疑う根拠を言ってやった。
「だって、俺の覚えてる範囲だと、猫又って尻尾がいくつかあるんだろ?お前、一つしかないじゃん」
確かに刹那が指摘したとおり、円の尻尾は一つしかなかった。猫又はその複数の尻尾から又が生じることから猫又と呼ばれる。尻尾が一つしかない円はどう見てもただの猫だ。普通と違うのは、流暢に人間の言葉を操ることと、炎を出せることぐらいだろう。
「尻尾の有る無しなど問題ではない。俺はそんな小さな問題など気にはしない」
「いや、かなり大きい問題だろ」
だって尻尾の又があるから猫又って言うくらいだし。
「小さいことを気にするな、器の小さい奴だ」
「なんだとッ?」
「少し常識から外れたくらいでそれを否定するのは愚かなことだ。覚えておけ小僧」
「なっ、小僧?お前……」
刹那は言い返そうとしたところで、猫又のもう一つの特徴を思い出した。猫又とは何年も生きた猫がなるものだったはずだ。つまり、人間換算にすると、円は自分よりも年上の可能性が高い。
「ぐ……で、円はどれくらい自分に合う心臓を探して旅してるんだよ?」
流石に自分の心臓とは言い辛い。
「かれこれ二年ほどだ」
「二年か。じゃあ、いろんなところ回ったのか?」
「あぁ、この大陸はほぼ全て回った」
「へぇ、じゃあ、ちょっと教えてくれよ。俺、記憶喪失のせいか全くそこら辺のこと思い出せないんだ」
「猫又は分かるのにか?」
「うん。もしかしたら……俺って良いところの生まれ?それで、小さい頃からずっと家の中に居て、知識は本の中だけで、世間一般のことはほとんど知らないとか?それが不慮の事故で記憶喪失に――」
「それはない」
円が即答する。
「お前が良家の生まれなら、俺はこの世の神だ」
「なんだよそれ?結構本気だったんだぞ?」
冗談に聞こえるが、当の刹那は本気でそう考えているのである。
「仮にそうだったとしても、お前の場合は手に負えないから親が手放したとかだろう。おおかた、暴れられると厄介だから殴って気絶させたら記憶がなくなったとかじゃないのか?」
酷い言われようである。だが、もしそうだとしたらあまりに悲しすぎる。出来れば真実がそうでないことを祈るばかりだ。
「もういいから!ほら!教えてくれって!」
「情報にはそれ相応の対価が必要だ、つまり――」
「ほれっ!早く!」
刹那が再び鰹節を放り投げる。どれだけがめついんだこの猫は!
「いいだろう、親切な俺が教えてやる。感謝しろ」
「いいから早くしてくれ」
親切なら対価など求めずに最初から説明しろ、と刹那は心底思うのであった。
「ふん、まず今俺たちがいるこの場所だが……」
円は刹那にこの大陸のことを語った。刹那たちのいるこの大陸、大和は四方を海に囲まれた大陸だ。他にも大陸はいくつかあるらしく、それらは海で区切られ、一大陸の中にいくつかの国があり、その中に人の集まりである街や村が点在しているらしい。しかし、大和の場合は少し事情が違う。大和は大陸の中に複数の国があるわけではなく、大和という一つの国で成り立っている。大小さまざまな町や村があるものの、それらに境界は無く、ゆえに人々もどこどこの国の人間というよりもどこどこの町や村の人間、という認識でいる。
一昔前には大きな街同士で争っていた時代もあったようだが、その争いによって多くの犠牲が出た結果、街同士が争うのを止め、現在は交流も行われている。
大和は土地によって気候に違いがあり、刹那たちが今いるのは元古と呼ばれる場所で、大和の南側に位置し、比較的温暖な気候で一年中過ごし易いということだ。
現在、彼らがいる場所から一番近い町は湯山と呼ばれる所で、刹那はまずそこを目指すことにした。
「湯山は湧き出る温泉が有名で大和中の人間が湯治に訪れる。お前のことを知っている人間がいるかもしれないな」
「そいつはいいや。よし、まずは湯山を目指すか」
「湯山ならここからそれほど遠くない。後二日ほど歩けば着くだろう」
「へぇ~。とりあえず、それまでは鰹節も持つだろうし、まあなんとかなるか」
「ふん、出来ればさっさと心臓を抉り出したいんだがな」
目下の目的地が決まり、それからしばらくして刹那たちは眠りに着いた。