第三十八話 教師はつらいよ
夜、刹那たちは宿の一階に下りて夕食にありついていた。
「円、今日は飲み過ぎるなよ」
「分かっている。同じ過ちは繰り返さん」
珍しく刹那に注意されながら、円はテーブルの下で魚をつまんでいた。
いつもなら刹那と同じ目線で食事をする所だが、ここではペットという触れ込みになっている。
流石に椅子に乗るわけにもいかないだろう。
「お、円先生と兄ちゃんじゃねぇか」
その声に振り返ってみると、そこにいたのは昨日円と酒を酌み交わしていた大工の男たちだった。
「昨日はども」
「おう兄ちゃん。その様子じゃ、もう大丈夫そうだな。昨日はいきなり倒れちまったからビックリしたぜ」
「ご心配をおかけしました」
刹那は素直に頭を下げておいた。
従業員の女の子に聞いたのだが、刹那が倒れた後は、しばらくこの人たちが自分を見ていてくれたらしい。
「良いってことよ。はっはっは」
豪快に笑うその姿は、確かに全く気に留めていないようだ。
「お前ら、今日も飲みに来たのか?」
魚をくわえながら円が尋ねる。
「あぁ、今日も良く働いたし、一杯ひっかけようと思ってな。どうだい今日も一杯?」
大工が円にグラスを持つような仕草をする。昨日浴びるように飲んでまた今日も飲むとは、本当に酒が好きなのだろう。
「いや、遠慮しておこう」
円は今朝のことを思い出したのか、少し苦い顔をするとやんわりと断った。
「それにしても、こう毎日飲んでいてはまた奥さんに叱られるぞ?」
「母ちゃんが怖くて大工はやってられねぇや。なぁ?」
その言葉に他の大工たちも口々に「そうだそうだ!」と返し盛り上がっている。その活気はすでに酔っているのではないかと錯覚させるほどだ。
そして、大工の男たちは豪快に笑いながら「それじゃあ」と言って席に移って行った。
「まったく。騒がしい連中だ」
「面白いおっちゃんたちだよな。にしても円、先生ってのはなんだ?」
「ん?俺が博識なことに驚いてあいつ等がそう呼び始めただけだ」
円はふっと鼻で笑う。どうやら満更でもないようだ。
「先生ねぇ。でも、その先生でも二日酔いには勝てないわけだ」
昼間の円の姿を思い出し、思わずにやけてしまう。今まであんなに弱った円の姿は見たことがなかった。しばらくはあれを思い出して笑えそうだ。
「余計な御世話だ」
円としては早く忘れてしまいたいことなのだろう、苦虫を噛み潰したような顔になっている。
「こいつは失礼しました。せ・ん・せ・い」
「お前、馬鹿にしてるだろ?」
円はへそを曲げてしまったのか、それからしばらく不機嫌そうだった。
彼の機嫌が直ったのは、食事が終ってゆっくりしていた時である。
「お待たせしました~。食後の紅茶で~す」
快活な足取りで従業員の女の子が刹那たちのテーブルに紅茶を運んできてくれた。
しかし、紅茶?はて?
「あれ?紅茶なんて頼んだっけ?」
「俺だ」
見ると、円はカップに入った紅茶をふぅふぅと冷ましていた。
そして、ある程度温度が下がったのか、口を着けてコクコクと飲み始める。
「うむ、相変わらず美味い紅茶だ」
目を閉じてゆっくりと紅茶を味わっているように見える。よほこの紅茶が気に入ったのか、目じりを下げ、ご満悦の表情だ。
こう見ると、本当に人間臭い。
「円さんはすっかりこの紅茶の虜だね」
女の子が空いた皿を片づけながら笑っている。
それを見ながら刹那も紅茶に口をつける。
「お、確かに美味い」
なんというのだろうか、舌触りがよくあまり味がキツくない。
それに加えて、口の中に広がる匂いは、温かいせいもあるのか、とても心地よい。
「そうだろ。いくつか紅茶を飲んだことがあるが、ここのは別格だ」
円がまるで自分のことのように誇らしげにしている。
だが、紅茶を飲み歩いている円の姿はあまり想像できない。
「そんなに違うのか?」
「あぁ、俺が言うんだから間違いない。俺は違いの分かる猫又だからな」
違いの分かる男みたいな意味なのだろうか?
まあ突っ込んでも仕方がないだろう。
「で、なんでこんなにここの紅茶は美味いんだ、先生?」
「それはだな、水が違うんだ。龍降湖から流れてくる水のおかげだな。あそこの水は紅茶ととても相性が良い」
円は得意げに生徒である刹那に講釈し始めた。やはり、満更ではなかったのだ。
「ほぉ~、流石ですな円先生」
優秀な生徒である刹那は、適度に頷き、褒めることも忘れない。
「まあな」
「ぷっ」
胸を張る円を見て、片づけ途中だった女の子が噴き出してしまった。
「円さん、それ、私が昼間教えてあげたことじゃない」
「なんだよ、円、お前も知らなかったのかよ」
「こ、細かいことは気にするな刹那。あと、君、さっさと仕事に戻りなさい」
「は~い。ではごゆっくり、せ・ん・せ」
女の子が奥へと引っ込むと、思わぬ所で威厳を失ってしまった先生は、罰が悪そうに咳払いをして何事もなかったかのように落ち着きを払いテーブルの下で寝転んでしまったのだった。




