第三十七話 暗躍の影
「はぁはぁ、くそ、アイツの邪魔さえ入らなければ……」
厳磨は暗い部屋の中でたった一人うずくまりながら写真立てを握っていた。
そこには満面の笑顔の息子と、はにかみながら笑っている厳磨の姿があった。
まだ息子が生きていた頃、幸せだった頃の写真だ。
「待ってろよ、和磨。父さんが必ず仇を取ってやるからな」
その部屋は亡き息子の部屋だった。息子が死んでから何一つ動かしていない、あの時のまま、この部屋の時間は止まっている。そして、厳磨の心の中の時間も止まったままだ。
目を瞑っているとあの止まった時間の中に戻れる気がした。
「――ッ!」
だが、そんな厳磨を現実に引き戻す音がする。
玄関のドアをノックする音。息子が死んでからこの家に訪れる人間はめっきり少なくなった。
一体誰だ?
「おい、いないのか?」
扉の向こうから聞こえてくる声には聞き覚えがあった。
息子との時間を邪魔されるのはあまり心地よいものではないが、相手が相手だけに無視するわけにもいかない。
「おい、おい!」
「いるよ。そんなに叩くな」
玄関から顔を出した厳磨の目の前にいたのは、広場で厳磨を離すように言ったスキンヘッドの男だった。
「いたのか。返事がないからまだ湖に行ってたのかと思ったぜ」
「本当ならそのつもりだったがな。邪魔が入った」
スキンヘッドの男に入るように促すと、厳磨はキッチンの方へと向かってお茶の用意をし始めた。
このティーポットは息子が紅茶が好きな自分のためにと誕生日に贈ってくれたものだ。
「紅茶で良いか?」
「あぁ、悪いな」
厳磨は紅茶をカップに注ぐと、スキンヘッドの男がいる方へ歩いて行った。
スキンヘッドは手持無沙汰なのか腕を組み、椅子に座らずに立っていた。
「座れよ」
「あぁ」
テーブルの上にカップを置いてスキンヘッドに椅子を勧める。
「それで、邪魔が入ったって、何があったんだ?」
紅茶を口にしながらスキンヘッドが尋ねる。
「よそ者がしゃしゃり出てきた」
「よそ者?」
スキンヘッドの目が細まる。
「あぁ、黒髪のガキだ。変な猫を連れてる」
厳磨はそう言いながら紅茶に口をつけた。
アイツの邪魔が入らなければ……まったく、余計なことをしてくれたものだ。
「よそ者か、そいつは厄介だな」
スキンヘッドは何か思案しているようだが、厳磨にはさして興味はない。
興味があるのは、どうやってあの化け物を、息子の敵を討つかだけだ。
「まあいい。そのうち出ていくだろう。それで、あれは役に立ったか?」
「素晴らしい出来だった。あの化け物を追い詰められたんだ」
そう、あと一歩の所までいっていた。
あと一発、あの化け物の胸に打ち込むことができれば、和磨の敵を討つことができた。
「だが、今話したよそ者のせいで壊れてしまった」
カップを握る厳磨の手に力がこもる。
あのガキ、邪魔しやがって――
「そうか。新しいのを仕入れなきゃいけないな」
「いつもすまないな」
「気にするなよ。息子を亡くして辛いのはよくわかってるつもりだ。それじゃあ、俺はそろそろお暇するぜ」
頭を下げる厳磨を制して、スキンヘッドは残った紅茶を一気に飲み干すと、立ち上がった。
「それじゃあ、さっそく準備に取り掛かるとしよう」
「頼む」
スキンヘッドを玄関まで見送った後、厳磨はテーブルに戻って紅茶の残ったカップを見つめた。
「まってろ、和磨。もうちょっとだ。もうちょっとで……」
強く拳を握り締め、そのせいで握ったカップの中の紅茶が揺れる。
* * *
「で、どうするんで?」
「そうだな、まずそのよそ者ってのを何とかしよう。邪魔されると厄介だからな」
スキンヘッドの男は厳磨の家から出ると、人気のない通りに入りそこで一人の男と落ち合った。
その男はスキンヘッドの半分くらいの身長しかなく、猫背で、目が釣り上った猫の様な顔の男だった。
「じゃあ、潰すんですかい?」
猫背の男が嬉しそうに笑う。目を細め、犬歯を覗かせたその表情は、あまり好感の持てるものではない。
「いや、軽く脅すだけで良い。あまり派手にやるとこっちのことがバレる可能性もあるからな」
「わかりやした」
猫男は頷くとそのまま音もなく道の奥へと消えてしまった。本当に猫のような男だ。
「さて、これで邪魔者はなんとかなるか」
スキンヘッドはそう呟くと、今来た道を何食わぬ顔で戻っていった。




