第三十三話 一日の終わりの憩い
「おやじ~、酒もう一杯」
「お~い、こっちが頼んだ豚炒めまだか~?」
村の人々が一日の疲れやストレスをこの大衆酒場で発散している。刹那たちはこの酒場の二階で経営している宿屋に泊っており、今は夕食のために下に降りてきていたのだった。
「ふぃ~、兄ちゃんも運が良いなぁ~。水神様に出会えたなんてよぉ~」
「まったくだぁ~、俺らだって、水神様を拝めるのなんて数年に一回ぐらいなのによ」
「そんなに良いもんなんすか、あの龍?」
刹那は今、混雑のために合席している村の大工たちと一緒に食事をしていた。もともと人見知りをしない刹那はその明るい性格ですぐに大工たちと意気投合し、今は昼間の話をしている所だ。
「水神様って言ったらおめぇ、その姿を見たら一年はいろんな厄から遠ざけてもらえるってぇありがてぇ動物よ」
「へぇ~、スゴイんすね」
「おおよ、だから、旅で寄ったその日に見られるなんざ、兄ちゃん、相当運が良いぜ?」
刹那にそう語る大工は、ジョッキに注がれた酒を一気に飲み干すと、また新しい酒を頼み始めた。
「ふん、何が水神様だ。あんなもん、ただの化け物だろうが」
「ん?」
その声の方を向いてみると、刹那たちのテーブルから近いカウンター席に一人の男が座ってチビチビと酒を飲んでいた。
「またかよ厳磨、いい加減、昔のことは忘れろって」
刹那に話しかけている大工とは別の者が呆れたように厳磨と呼ばれた男に声をかける。
「昔のことだとッ?忘れられるか!俺は絶対にあの化け物を許さないぞ!」
男はカウンターに金を置いて、出入り口のドアを乱暴に開けて出て行ってしまった。
「あの人は?」
「あ~、気にすんな。アイツは昔、湖で一人息子亡くしてんだ。それで水神様を逆恨みしてんのさ。昔は腕の良い大工だったが、今じゃあ仕事もせずにああやって一人で飲んでやがる。昔の姿を見る影もねぇよ。まったく、水神様が悪いわけでもねぇのによ」
「俺たちはその水神様に殺されそうになったがな」
「おろ?なんだぁ?」
テーブルの下から聞こえる声に大工の一人が頭を下げて覗きこむ。そこでは、皿に注がれたミルクを舐めながら円がふてぶてしく座っていた。
「なんだぁ、猫か」
大して珍しいものでもないと、大工がテーブルの上の酒に視線を戻そうとした時だった。
「猫ではない。誇り高き猫又だ」
「猫が喋った!」
突然の光景に驚いた大工は思わずテーブルに頭をぶつけてしまった。そのせいで彼の酒がこぼれて頭にかかる。
あのバカ!ここでは喋るなって言っといたのに――
刹那は心の中で円に毒づいた。今までの経験から、円には普通の猫のふりをしておいてもらった方がいろいろと都合が良いのだ。しかし、相手はあのプライドの高い円である。素直に従うわけもない。
事情説明するのメンドくせぇな――
そんなことを考えて、刹那がどのような言い訳をするか思案していたのだが、
「すごいな兄ちゃん!これ兄ちゃんのペットかい?」
「ペットではない、猫又だ」
円は大工に両脇を抱えられる形で持ち上げられ、不機嫌そうな顔をしている。どうやら、大工にもかなり酒がまわっているようで、あまり細かいことは気にしていないようだ。
「はっはっは、コイツはすまねぇ、誇り高き猫又さんよ。魚食うかい?」
「ん。頂こう。……うむ、中々イケるな」
「良い食いっぷりだねぇ、どうだい、一杯?」
大工に勧められた皿の中の酒を円はグイグイと飲んでしまう。そして、あっという間に飲み干してしまった。
「キレがあって喉越しが良いな」
「おぉ、コイツの良さが分かるかい?流石、誇り高き猫又さんだ。ほれ、もう一杯」
褒められたのが嬉しかったのか、円は皿に並々と注がれた酒を一気に飲み干してしまった。
「おい、円、あんまり飲み過ぎると――」
刹那がそう言って円を制止しようとすると、
「にゃんだ?俺に文句がありゅってのか?しぇちゅな?」
円の眼はとろんと垂れさがり、口は両の口角が下がって、とてもあの円とは思えない顔をしている。
「お前!ちょっと飲み過ぎだぞ!」
「ガタガタうるしゃい!ほれ、お前もにょめ!」
そう言って、円は大工に刹那に酒を飲ませるよう促す、酔った大工も笑いながら酒を注いだコップを刹那に渡す。
「いや、俺酒はちょっと……」
「しぇちゅな、俺のしゃけがにょめないってのか?そんなこと言うやつは燃やしちゃうぞ?」
円の瞳が真紅に染まっていく。
まずい、本当に燃やす気だ。今の円は加減なんてできないだろう。下手をすると、この店ごと燃やしかねない。そうなったら、修理費やらなんやらで……。
「わ~ったよ!飲むよ!」
刹那は一気にコップを空にした。そして、
「ほれ!どうだ!飲んでや――」
世界が傾いた。
「おい、しぇちゅな?どうした?おい、聞いて――」
刹那の記憶はそこまでで途切れてしまったのだった。




