第三十二話 半裸と龍と黒猫と
「あんな化け物を見つけてきてどうする！女神が出てくるんじゃなかったのかッ？」
「うるせぇ！俺だって予想外だったんだよ！」
龍は陸に上がり、その四つの足と巨体で木々をなぎ倒しながら刹那たちを追いかけてきていた。
半裸の男と黒猫が巨大な龍に追いかけれる姿は、なんとも不思議な光景だろう。
「説明しろ刹那！」
訳も分からず追いかけられる羽目になった円は声を荒げながら刹那を問いただした。
「潜ってすぐに神威は見つかったんだ。なんか、岩の窪みみたいなところに落ちててさ。ツイてるって思って、すぐ近くまで行ったんだよ。そこまでは良かったんだけど、なんと！その神威があった場所がアイツの巣だったみたいでさ。それで俺が神威取ろうとしたらアイツが巣に戻ってきやがって、何か分らないけどすっげぇ怒ってんの。で、今に至る。ハハハ」
笑いながらそう語る刹那だが、円の瞳が真紅に染まり始めていたことには気づいていない。
「お前、後で絶対燃やすからな！」
「ワザとじゃねぇよ！俺だって被害者だ！」
ここまで堂々と逆切れされるといっそ清々しい。だが、それで円の怒りが収まるはずもない。
「うるさい！そもそもお前が神威を放り込まなければこんなことにならなかったんだ！神威だって結局取ってこれなかったようだし、どうするんだッ？」
「う～ん……お手上げ？」
舌がペロリと飛びだした。
「もういい。ここで燃やす！」
円の瞳がどんどん真紅に染まっていく。
「わぁぁぁ！落ちつけよ円！今は逃げるのが先だろうが！」
刹那は後ろを振り返った。龍はまだ彼らを追ってきている。
「ちっ、覚えておけよ！」
「生きてたらな！」
二人が言い争う間にも龍はどんどんその距離を詰めてくる。
そして、刹那の背中を冷たい風が吹き抜ける。もしかしなくとも、今のは龍の手が掠めた風だ。背中を冷たい汗が流れ落ち、刹那はさらに速度を速めた。
「やばいやばいやばい。近いって！」
「こうなれば仕方がない……」
円の瞳が全て赤く染まり切った。
「あ、円まだ怒ってんのかよッ？今はそれどころじゃねぇだろ！」
「違う！話しかけるな！集中できん！」
円の鬼気迫る勢いに黙る刹那。そして、すぐに円の真意を理解することになる。
「燃えろ！」
その言葉とともに、刹那たちが通り過ぎた場所が炎に包まれる。炎で相手を足止めしようというのだ。
「おぉ！やるじゃん！」
「当然だ。俺は誇り高き猫又だぞ？」
円がふふん、と鼻を鳴らす。
「よっ、流石！最強の猫又！」
「ふっ、もっと褒めていいぞ」
おだてに乗る円とはやし立てる刹那。だが、彼らのその調子も長くは続かない。
刹那の上空を何かが掠める。次に彼の目に映ったのは炎に包まれた木だった。その火の勢いはすさまじく、彼らの目の前はあっという間に火の海になってしまう。
どうやら、後ろの龍が木を薙ぎ払い、それがこちらまで飛んできたようだ。
「うぉ！」
思わず足を止めようとした刹那だが、背後に龍がいるのを思い出し、すぐに右へと曲がり、道なき道を進んだ。だが、少し止まったのが仇になったのか、龍はまた距離を詰めてきていた。
「おい！どうすんだよ！」
「俺に言うな！」
「お前が燃やさなきゃこんなことにならなかったんだぞ、この駄猫！」
「なんだとこの能無し！」
先ほどまでとは打って変わり、今やお互いを口汚く罵り合う二人。それでも走る速度は緩めないというのは、ある意味称賛に値する。
「貴様というやつは、いつも考えが足りんのだ！少しはその少ないお頭を使ったらどうなんだッ？」
「鰹節食うか燃やすしか能がないお前に言われたくないんだよ！毎回毎回何かっていうと火出しやがって。バカの一つ覚えかっての！」
「炎は猫又の誇りだぞ！それを愚弄するということがどういうことか……教えてやる！」
円の瞳が再び真紅に染まる。
「ほら、またそれだよ！そんなんじゃまた、アイツに……」
刹那が後ろを振り返ると、そこには龍の姿はなかった。見れば、遠くに引き返す龍の姿が見える。刹那は足を止めると、臨戦態勢の円に声をかけた。
「円、ストップ」
「うるさい、もう手遅れだ！貴様の心臓ごと燃やし尽くしてやる！」
「落ち着けって。なんとか逃げ切ったみたいだ」
刹那が指差した先、もはやかなり小さくなった龍を視界に入れて、円が瞳の色を段々と戻していく。どうやら、命の危機が去って幾分か落ち着いたらしい。
「助かった、のか？」
刹那と円はその場に座り込んで荒い呼吸を整えた。
そして、刹那は荷物から服を取り出し、その場で着替えはじめる。
「ふ～、走りまわったからパンツももう乾いちまったよ。で、円、これからどうする？」
「とりあえず町に戻って作戦を練るぞ。無計画に行ってもまた追い回されるだけだからな」
「了～解」
それから二人は龍降湖のふもとの町、河近に戻り、湖へむかう前に取っておいた宿屋へと向かったのだった。
