第三十話 気になる存在
「う……う~ん」
「目が覚めたか?」
刹那が目を開けるとそこにぼんやりとした黒い物体が映った。
「円……ここは?」
「ここは野宿用のテントだ。爺さんが去った後、お前はまた寝てしまったんだ。まったく、どうやっても起きないから苦労したぞ」
円に言われて気付いたが、そこは元々刹那たちが夜を明かすために準備したテントで、見上げればテントの天井が見えた。
「お前がここまで運んでくれたのか?」
「俺以外に誰がいるんだ?」
「それもそうだな。ありがとう」
刹那は決して太っているというわけではないが、それでも猫の円が運ぶとなると結構な労力だっただろう。その円の姿を思うと、嬉しく思う。
「ふ、ふん、お前が起き上がらないうちに心臓を抉ってやっても良かったんだ。だが、それでは誇り高い猫又の名がすたるからな」
こちらの素直な感謝の言葉に憎まれ口を利いてしまうのは円の性格ゆえだろう。
本当に素直じゃないやつだ。
「ありがとうついでに、俺、果物が食べたいなぁ」
止めておけば良いのにここで調子に乗ってしまうのが刹那の悪い癖だ。
「そこまでやってやる必要はないな。大人しくしておけ」
「いいじゃねぇかよ。俺怪我人だぜ?もっと敬ってくれ」
傷の具合で言えば刹那と円に差異は無い。それどころか、円の方が体に細かい傷を作っているくらいだ。だが、円が優しくしてくれるなど滅多にない。この機会を有効活用しなければ。
刹那のそんな思惑を知ってか、円は呆れ顔だ。
「お前、あまり調子に――」
「ぐずぐずするな、早く果物を持てい!」
その一言が円の怒りに火をつけてしまう。
「……二度と起き上がらなくて良いように、ここで息の根を止めて心臓を抉り出してやろうか?」
円の目が真紅に染まる。まずい、今はあまり身動きが取れない。逃げるのは無理だ。
「冗談だよ。っておい……円?目が真剣だぞ?」
誇り高き猫又の目は真っ赤に染まり、今にもこちらの体を炎で包んでしまいそうだ。
「まあいい、やろうと思えばいつでも出来る」
「どういう意味だそれ?」
物騒なことを呟く猫又の顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。今度から円の瞳の色には細心の注意を払うようにしようと刹那は固く誓ったのだった。
注意を払うと言えば、これからはあの老人に注意しなければいけないだろう。あの老人は去り際に「また会おう」と言った。遠くない日、またあの老人は刹那たちの前に現れるだろう。そして、その隣にはあのΩという少年がいるはずだ。
あの少年、いったい何者なのだろうか。あの老人には絶対忠実なようだが、弱みでも握られているのだろうか。
「円、あのΩって子、どう思う?」
「お前まだそんなことを言っているのか?」
「なんか気になるんだよ。あの空っぽな目、いったい何があったんだろう?」
刹那にもなぜ彼を気にかけるのかは分からない。ただ、なんとなくあの子が気になってしまうのだ。
およそあれくらいの子供がするのとはかけ離れた目をして、なぜあんな狂った年寄りと一緒にいたのか。何があったのかは分からないが、普通の子供としての人生を送っていないことだけは明らかだ。
「刹那、一つ忠告しておいてやる」
「何だよ?」
「お前、今のままだと死ぬぞ?」
「なっ?」
なんてことを言うんだと言い返そうとした刹那だったが、円の真剣な目を見て言い淀んでしまった。事実、刹那はあの子供に攻撃を加えることを躊躇し、逆に攻撃されている。次に会った時も今回のようにまた上手くいくという保証はない。むしろ、相手が今回のような事態を警戒し対策を練ってくる可能性もあるだろう。
「今回は悪かったよ。次からはあんなことが無いようにする」
次回ももし躊躇すれば、今度は円に被害が及ぶ可能性もある。刹那もそれは分かっているのだ。
「分かっていればいい。そろそろ休め、怪我人なんだからな、一応」
「一応は余計だよ」
「文句が言えるなら明日には出発できるな。安心した」
それだけ言うと円はテントから出て行った。
ふぅ、まったく、相手が怪我人だろうと容赦しない鬼教官だ。
「俺が死ぬ、か」
大丈夫さ。そこまで俺はお人好しじゃない。




