第三話 その名は円
「ふん、他愛も無いやつらめ」
盗賊たちを一撃で追い払った黒猫はそう言うと、刹那の方へ近づいてきた。
「さて、邪魔ものは消えたな。さぁ、心臓をよこせ」
一難去ってまた一難。どうやら、まだ自分の身の安全は確保されていなかったらしい。
「しつこい奴だな。だからやらないって言ってるだろうが!」
「お前の意思は関係ないと言っているだろうが!」
お互いに睨みあう二人。山賊を一撃で撃退してしまったこの黒猫の実力を見るに、刹那の方が圧倒的に不利なようだが、彼には一か八かの秘策があった。
「おい、ニャンコ。お前、昨日俺の鰹節食べたよな?」
「ぐ……そ、それがどうした?」
――よし、食いついた
「俺の鰹節を食べたんだ。それはつまり、俺に借りを作ったってことだよな?」
「なッ!違う!アレはたまたま拾ったんだ!」
「へぇ~、さっきは誇り高き猫又だとか何とか言ってたくせに、拾い食いしたわけか?」
「違う!俺は拾い食いなど……」
ふふふ、思った通りだ。こいつ、無茶苦茶プライドが高い。そこを上手く利用すれば……。
「それじゃあ、俺に借りを作ったことを認めるんだな?」
「くっ……」
さぁ、どうする?
「わかった。その点は認めてやろう。しかし、俺は先ほどあの盗賊どもからお前を助けてやったんだ。それで貸し借りは無しだ」
「ぬ……」
そう来たか。いや、大丈夫。まだ太刀打ちは出来る。
「お前、鰹節の他に俺が捕った魚も食ったよな?その分の貸しをまだ返してもらってないぜ?」
「貴様!細かいぞ!」
「うるせぇ!こっちは命が懸かってんだ。細かくもなるわ!」
背に腹は代えられない。生き延びるためならいくらでも細かくなってやる。
いざとなったら、気絶した後、焚火の所まで運んでやったことも貸しの一つにしようと刹那は考えていた。
「……分かった。今日の所はあの魚に免じて殺さないでおいてやる」
やった!上手くいった!
だが、安堵しかけた刹那に黒猫が間髪いれずに続ける。
「だが、明日は話が別だ」
「は?明日?」
黒猫の言葉に刹那が再び思案する。
明日とはどういうことだろう?
「今回見逃すだけで魚の借りはチャラだ。明日、また改めてお前の心臓を貰う」
「はぁ?」
ということは明日もまた命を狙われるということか。いや、最悪これからずっと命を狙われ続けることも考えられる。
「ふざけんな!いちいち付き合ってられるか!」
「貴様のことなど知らんと言っているだろうが!俺は貴様の心臓を手に入れるまで追いかけまわすぞ」
なんということだ。これから毎日猫に命を狙われ続けながら生きていかなければいけないのか。だが、そんなことでいちいちショックを受けてなどいられない。相手がその気なら対策を練るまでだ。
「わかったよ。お前がその気なら、こっちにも考えがある。俺は毎日お前に貸しを作ってやる。手始めに……ほれ」
「にゃん!」
刹那が放り投げた鰹節に黒猫が飛び付いた。
「ふふふ、これでまた貸し一だな。とりあえず、明日は安心だ」
「くっ」
これが命を懸けた戦いだと言って誰が信じてくれるだろうか?傍から見ればただ猫に餌付けをしているようにしか見えない。
「さてと、とりあえず安全は確保できたし……」
刹那は黒猫の前まで行くと、しゃがみこんで真っ直ぐに顔を見据えた。
「俺の名前は刹那、お前は?」
「なぜ名乗る必要がある?」
鰹節を食べ終えた黒猫は顔を洗いながら刹那の方を流し見た。
言葉と言いこの態度と言い、どうやら完全にこの黒猫は刹那のことを舐めているらしい。
「これから道中を共にするわけだからな。名前ぐらい知っておかないと不便だろ?」
「道中を共に?それはありえん」
「なんだよ、お前、誇り高き猫又とか言ってたくせに闇討ちでもするのか?」
「馬鹿な、俺はそんな下賎な真似はしない」
「だったらいちいち俺の先回りして正面から襲ってくんのか?そんなのめんどくせぇだろ。だったら一緒にいた方が楽じゃねぇか」
もちろんそれは刹那のためにもなる。一緒に居ればそれだけ貸しを作る機会も増えるのだ。黒猫はしばらく思案すると、渋々と口を開いた。
「円だ」
「円か、よろしくな」
「ふん、貴様の心臓を抉り出すまでだがな」
円は刹那の脇を通り過ぎると、そのまま歩いて行ってしまった。その後を追うように刹那も数歩遅れて歩き始めたのだった。