第二十九話 迷い
「待って!君とは戦いたくない!」
Ωの攻撃を避けながら刹那が叫ぶ。神威を抜いて攻撃することは簡単だ。しかし、刹那の心がそれを止めている。自分たちの敵はこの子ではないはずだ。
そんな刹那の気持ちをあざ笑うかのように、Ωの攻撃は一向に止む気配がない。
「わしも何かと忙しい身でな、君たちにずっと付き合ってられるほど暇ではないのじゃよ。Ωさっさと片づけい」
聯賦のその言葉にΩの攻撃速度が速まる。
「何してる刹那!神威を抜け!」
「円ッ?」
「お前の気持ちは分からんでもない!しかし、やらなければやられるぞッ?」
「だからってッ!」
子供相手に神威を振るえというのか。この子はあの狂った年寄りに利用されているだけではないのか。先ほどの彼の言葉も、もしや言わされているのではないか。
考えれば考えるほど刹那は動けなくなっていった。そして、それは如実に刹那の動きに現れる。
「刹那!」
「――ッ!くッ!」
一瞬確認が遅れ、その隙をついてΩの拳が刹那の右肩に命中した。鈍い痛みが肩から広がっていく。とても子供の力とは思えない。恐らく筋力も聯賦によって強化されているのだろう。
「おやおや、当たってしもうたな。円君の言う様に反撃しておれば良かったものを」
刹那にそれが出来ないことを分かった上で聯賦は挑発するように笑う。刹那は歯がみして目の前の老人を睨み付けた。
「Ω、トドメじゃ」
Ωの腕が動きを止めた刹那に迫る。
「刹那!神威を抜け!それともお前はこんなところで死ぬ気かッ?」
「くそっ!」
神威を抜き、その背でΩの攻撃をとっさに防いだ。
「防ぐだけではΩは止められんぞ?どうするね?」
「うるせぇ!」
そんなことは言われなくても分かっている。だが、刹那は未だにこの少年を傷つけずに済む方法は無いかと考えていた。
「もう十分じゃ、Ω、終わりに――なんじゃッ?」
聯賦が指示を出そうとΩの方へ視線を向けた瞬間、その体から炎が吹きあがった。
「相手は一人ではないということを忘れていたか?それとも、刹那に気を取られ過ぎたか?」
円の瞳は炎と同じく真紅に染まっていた。どうやら、刹那への攻撃に神経を回して散漫になった自分への攻撃の隙をついて反撃に出たらしい。
「Ω!体の火を消すんじゃ!」
円の火を消そうとΩが伸ばした腕を元に戻しはたいてみるが一向に消える気配はない。無駄だと悟ったか、彼はそのまま地面に転がりだした。
「刹那!今のうちだ!」
円に袖を引っ張られながら、刹那は燃えるΩをしり目にその場から逃げ去った。
余り距離を稼ぐことは出来ないが、この荒野の暗さが今は隠れ蓑になってくれる。刹那たちは岩陰に身を隠し、息をひそめた。
「円、俺……ツッ!」
伏し目がちに声をかけようとした刹那の手を、円は思い切り噛んだ。その痛みに刹那が目を白黒させていると、円が息もかかるのではないかという距離に顔を近づけた。その顔はとても怒っているように見える。
「いい加減目を覚ませ刹那!どんな経緯があるにせよ、あの子供は俺たちの敵だ!」
「分かってるよ」
「いや、分かっていない。お前はあの子供に感情移入している。良いか?あの子供があのジジイにどんなことをされたかなんてことは知る必要もないし、重要じゃない。今一番重要なのはどうやって俺たちが生き延びるか、ということだ」
「でも……」
「でもじゃない、そんなに死にたいなら今ここで俺が殺してやるぞッ?」
円の目は本気だった。しかし、刹那にはどうしても踏ん切りがつかない。
「円、俺にはやっぱり出来ない」
刹那は円の目を見据えてハッキリとそう告げた。この一線だけはどうしても譲れないのだ。
円は何も言わずに見返してくる。彼は本気だと言った。今ここで、円は自分の心臓を抉り出すために襲い掛かってくるだろうか。
「……はぁ~」
円がことさら大きなため息をついた。そして、何かブツブツ呟くと、先ほどまでの鋭い視線ではなく、やる気のない、めんどくさそうな目を刹那に向けてきた。
「あの子供には自分の意思があるように見えん。恐らく、あのジジイを押さえれば大人しくなるはずだ」
「――ッ!円ッ?」
「勘違いするな。お前が死んで、万が一あのジジイに持って行かれたら厄介だからだ」
「円ァァァ――ブベッ」
抱き着こうとする刹那の顔を円は前腕で押し留めた。
「俺の炎であのジジイを押さえる。その間、お前はあの子供を何とかしろ。あの腕でちょっかいを出されたら厄介だ」
「俺が、か」
「お前の方があの子供と相性がいい。それに良い方法がある。ちょっと耳を貸せ――」
円の作戦を聞いたのち、刹那たちは岩陰から外に出た。暗く、視界が殆どない荒野の向こうから二つの足音が聞こえてきた。どうやら、もうすぐ近くまで迫っていたようだ。
「やあ、逃げ惑うのはもう良いのかね?」
聯賦が余裕の笑みを浮かべながら刹那たちの方に歩いてくる。Ωの方はすっかり体の火を消して、何事もなかったかのように見える。
「それでは、もうそろそろ終わりにしよう。Ω!」
Ωの腕が再び刹那たちに伸びてくる。だが、刹那も円も避けるよう素振りはない。刹那はゆっくりと神威を抜くと、神威が光り輝き、瞬く間にその姿を変える。先日手に入れた新しい刀、飛旋だ。
「これで!」
刹那が飛旋を一振りすると、突風が吹き荒れ、迫るΩの両腕を吹き飛ばした。
「おぉ、上手くいった!」
「な、何だアレは?」
聯賦は目の前で起きた出来事が理解できずに目を丸くしている。
「くぅ、怯むなΩ!やってしまえ!」
Ωの腕が再び刹那たちの方へと伸びてくるが、刹那はそれをいとも簡単に弾き返してしまう。これならばΩを傷つけることは無い。もはや完全に流れは刹那たちの方にあった。
「どうやら、形勢は逆転したみたいだな」
「ぐぐぐ」
目に見えて聯賦が焦っている。先ほどまでのどこか余裕のあった表情は消えうせ、今や眉間に深いしわを寄せていた。
「追い打ちをかけるようだが、こちらも準備が出来た」
真紅に染まった円の瞳がその赤みを強めた。
「なにッ?」
「燃えろ!」
円の声と共に聯賦の体が炎で包まれる。Ωとは違い、普通の人間の聯賦にはひとたまりもないはずだ。
「ぐああァァァァ!」
「ドクターッ!」
聯賦の異常に気付き、Ωが狼狽える。その焦り顔はこれまでで一番人間らしい表情だった。
「円!」
「分かっている」
刹那の声に応える様に円が聯賦の体の火を消した。どうやら服が燃える程度に加減したようで、聯賦は焼け焦げた服で膝をつき、刹那たちを睨み付けていた。
「爺さん、肝心のその子の腕は俺たちにはもう効かない。アンタのことも円の炎は逃さない。観念したらどうだ?」
「くっ」
聯賦の顔には焦りの色が浮かんでいる。Ωは封じられ、勝ち目はかなり薄い。
「……どうやら、今日はここまでのようじゃな」
そう言うと、聯賦は胸から細長い筒らしきものをを出して、それを口につけた。
何が起きるのかと身構えた刹那たちの耳に、巨大な羽音が響き渡る。
それは聯賦の真上まで来ると、そのままその場で旋回していた。それは巨大な羽を有した大鷲だった。
「あれは?」
「あれもわしの自信作じゃよ」
次の行動を警戒し刹那たちが身構えると、Ωが聯賦の腰に手をまわし、抱えるような姿勢になった。そして、飛び跳ねると、そのままあの巨大鳥の背中に飛び乗ってしまう。
「さらばじゃ、諸君。また会おう!」
そのまま、聯賦たちを乗せた大鷲は彼方へと飛び去ってしまった。警戒していた刹那たちもその姿が見えなくなると警戒を解いた。
「終わった、のか?」
「あぁ、そのようだな」
「そっか」
刹那はその場に座り込んでしまった。
「ちょっと疲れちまったな」
それだけ言って、刹那はゆっくりと目を閉じた。




