第二十八話 老人の本性
「刹那、あの子供には気をつけろ」
「特に武器も持っていないし、殺気も感じないぞ?」
妙に静かすぎるところ以外は普通の子供に見える。だが、それならば円がこんな姿になったりはしないだろう。
「あの少年の脅威はそこじゃない。問題はあの腕――ッ!刹那、避けろ!」
「へ?――ぐッ!」
咄嗟の忠告に対応出来なかったのはまだ完全に目が覚めきっていなかったからか、はたまた相手が子供だからと油断してしまったからか。いずれにせよ、その隙を刹那は突かれてしまった。
鳩尾に激しい痛みを感じ、刹那は膝をつきかけてしまった。
「大丈夫か刹那?」
「見た目によらず良いパンチ出すじゃねえか。だけど、なんだよあれ、俺、まだ夢見てんのかな?」
「残念だがすべて現実だ」
刹那が見たものは、紛れもなくただの老人と普通の少年であった。ただひとつ、その少年の腕を除いては……。
少年の腕は今や地面に着くほどに伸びており、その拳は刹那を殴るために握られた拳骨のままだった。おそらく、瞬時に腕を伸ばし、それで刹那を殴ったのだろう。
相手の体がまったく動きを見せず、その上、その予想外の動きで反応が遅れてしまったのは無理もない。
しかも、当の子供はというと、表情一つ変えていないのである。先ほどまでは少し静かだ、ぐらいにしか思っていなかったが、よく見れば明らかにおかしい。死人、というわけではなさそうだが、感情がまるで感じられない。人一人殴ったのだから何かしらあるとは思うが、それが全くない。
「何なんだあいつは?」
「俺が分かる訳がなかろう。しかし、ヤツが何かしたに違いない」
「何かしたって、あの爺ちゃんが?」
途中から起きてきた刹那にはまだ、聯賦は少し怪しい老人という風にしか見えていない。その認識を改めさせるため、円は刹那にこれまでの事の次第を伝えた。
「そんな……」
「見事に騙されたな」
傷だらけの円を見た時点で普通ではないと思っていたが、まさか、そこまで狂った人間だったとは。
「てことは、あのΩって言う子もあの爺さんが創ったのか?」
「わからんが、あの爺さんの身内というのは考えられんな。どう見ても、孫どころか子供や妻もいなさそうだ」
確かに、あんな変態を好きになる人間がいるのなら一度お目にかかってみたい。
「ずいぶんな言いぐさじゃな。わしにも息子はおったよ。たった一人の大事な息子じゃった」
「……」
大事な息子。この老人にも人間らしい感情があるのか――だが、刹那のその思いは次の一言で打ち消される。
「わしの遺伝子で作ったわしの大事な息子じゃ。もっとも、わしの実験に耐えられずにすぐ死んでしまうような失敗作じゃったが」
「あんた……」
仮にも自分の息子を失敗作と言い捨てるとは、この男には人間としての情愛はないのだろうか?
「息子の次はその子を手にかけたのか?」
円が静かに聯賦に問いかける。しかし、刹那にもわかるほどその声には怒りの色があった。
「そのとおりじゃよ円君。Ωの遺伝子には数種類の生物の情報が入っておる」
「数種類……こんな小さな子供の体をいじくり回したってのか?」
見た通りの年齢ならばまだ十二、三と言ったところだろう。そんな子供が自分の体をいじくり回されて無事なはずがない。感情が無い理由が少しわかった気がする。きっと心に大きな傷を負ったことだろう……考えただけでも反吐が出る。
「そうじゃが?」
だからどうしたと言わんばかりの態度に、刹那は胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。普通に生きていれば家族や友人たちと平和な日々を過ごしていたことだろう。それをこの老人は奪ったのだ。しかもそこに大義名分などありはしない。円の話から想像するに、たぶん自分が創ってみたいと思ったから、ただの好奇心だ。
「そのせいでその子の心は壊れたのか」
「いや、何もしておらんよ。こやつがわしの前に現れたとき、すでにこやつはこうなっておったわ。何があったか知らんし興味もない。興味があったのはこやつの体だけじゃ。丁度いい研究材料として、な」
「貴様それでも人間か?」
「研究者なら誰もが考えることじゃよ、自分の研究の成果を何かで試してみたい、と。しかし人とは厄介なもの、情や良心によって躊躇し挫折する。そこでそれらのしがらみを捨てこの一線を越えられた者は、研究者として一回り成長し、越えられなかった者は朽ちてゆく。嘆かわしいことに、この線を越えられる者は一握りの数しかおらん。しかし、わしは己の成長のための代償はとわん」
「成長の裏で悲しむ者がいてもか?」
「大いなる発展のためには多少の犠牲はつき物じゃよ」
本当に何とも思っていないような口調で、まるで聖職者が説教をするように自分は正しいといった顔でそんなことを言う。この老人は本当にただのゲス野郎だ。
「そうやって息子さんも殺したのかよ?」
「アレはわしが作ったんじゃ。わしが作ったものをどうしようとわしの勝手じゃろ?」
刹那には親の記憶は無い。だがそれでも、親としてこの老人が間違っていることは分かる。自分が作ったから好きにして良いなどと、そんなことがあるはずがない。あって良いはずがない。命はおもちゃではないのだ。いじくり回したり、代わりが用意できるものではない。
「爺さん、聞いてれば自分勝手なことばっかりぬかしやがって。人の命を何だと思ってやがるッ!」
「ふむ?実験材料、としか?」
「このクソジジイ!」
その一言がついに刹那の怒りに火をつけた。別に正義の味方を気取るつもりはない。だが、人としてこの老人は野放しにしてはならないと、刹那の心が言うのだった。
刹那が神威の切っ先を聯賦に向けた。すると、少年が庇う様に刹那と聯賦の間に立ちふさがる。
「ドクターは僕を必要としてくれた。僕みたいな悪い子でも、誰かの役に立てるなら、何をされたって構わない」
初めて発せられた声は、本当に静かな、何も感じていないような無機質な声だった。
「悪い子?何言ってるんだ?」
「よく分からんが、体をいじられたのに後悔はしていないようだな」
「体だけじゃなくて頭までおかしくなってるってことか」
「どうやらそうらしい――ッ!来るぞ!」
二人に向かってそれぞれ一本ずつ、またあの魔手が伸びてきた。だがそこは一度見た攻撃だ。二人は難なくそれを避けると、態勢を立て直す。




