第二十七話 我慢の限界
「ん、んん」
心地よい眠りの世界にいた刹那が目を覚ましたのは、単なる偶然か、それとも、何か運命めいたものがあったのかもしれない。
眠い目を擦りながらあたりを見ると、まだ薄暗く、朝は到底先のようだった。
「なんだよ、まだ夜じゃん……」
刹那が再び眠りの世界に旅立とうとしたまさにその時――
「ぐぁぁぁぁ!」
「――ッ?」
夜を切り裂くような誰かの叫び声が聞こえてきた。いや、誰かの、ではない。今のは間違いなく円の声だ。
「円ッ?」
刹那は立ち上がり、そして用心のために武器を持った。片時も離れず、もはや体の一部と言っても過言ではない。その細身に似合わず、どんな獲物をも仕留める頼りになる相棒。
そう、その名は――箸?
「あ、間違えた」
どうやら食事が終わった後にそのまま持ってきてしまったらしい。時間が経ってるから汚れが落ちにくくなっているのが心配……じゃなかった。早く円の所へ行かなければ!
「何だこれ?」
その場にたどり着いたとき、刹那が見たものは信じられない光景だった。
体中に細かい傷を作り、瞳を真っ赤に染めた円、相対するのはそれをあざ笑うかのように笑みを浮かべる聯賦と、そして――
「子供?」
それはどう見ても普通の少年だった。黄金色の髪に水色の瞳、肌は白く、背丈は刹那より頭二つ分ぐらい小さい。あまり見かけない容姿をしているが、それでも変わったところはないように思える。だが、ただ一点、その少年の眼には違和感を覚えた。
その瞳は虚ろで、まるで心ここにあらずといった感じなのだ。
「どうなってんだこれ?」
「目を覚ましたか」
円が聯賦達から視線を逸らさずに言う。対する聯賦は明らかに動揺した顔を見せていた。
「馬鹿なッ?なぜ目を覚ますッ?あの料理には、三時間は寝る量の薬を盛ったんだぞ?」
「やはり薬を盛っていたか。だが、貴様の失敗は刹那の人並み外れた体を計算に入れなかったことだな」
凛に重傷を負わされた時も三日で回復してしまった体力の持ち主だ。聯賦の研究分野で言うなら、並大抵の人間とは比べ物にならない遺伝子を持っているに違いない。
「薬?何言ってんだ?」
状況の呑み込めない刹那は、円たちの言葉にますます混乱し彼らの顔を交互に見ている。
「細かいことは気にするな。とりあえず、今やらなければいけないのは、こいつ等をなんとかすることだ」
「こいつ等?」
刹那の視線が聯賦、謎の少年、そして円へと向く。
笑っている聯賦、無表情の少年、傷だらけの円……あっ。
「そっかぁ、お孫さんが迎えに来てくれたんだな!」
「は?」
円が、信じられないといった顔で刹那を見やる。
「円、この子と遊んでたのか。実は子供好きなんだな」
「お前、本気で言ってるのか?」
「隠さなくても良いって~。いや~、叫び声が聞こえたから心配したけど、そんな傷だらけになるまで遊んであげるなんて、良いところあるじゃん?」
刹那の暴走勘違いは止まらない。
「刹那、お前にも分かるように言ってやるから、足りないお頭を総動員してよく考えろよ?」
どういう意味だ、と言い返そうとしたが、明らかに機嫌が悪そうな円を見て、刹那は黙って頷く。
「俺が目を赤くするときはどんな時だ?」
「機嫌が悪い時」
円がため息交じりに下を向く。ふむ、どうやら遊び疲れたみたいだな。
「わかった。俺が悪かった。もっと単純にいこう。俺の目が赤くなるとどうなる?」
「火がつく」
「そうだ。よくできた。お利口だ」
なんだろう?すごくバカにされている気がするのだが?
「それでは、俺が子供と遊んでたとして、火をつけると思うか?」
「それは……あっ」
そうか、そういうことだったのか。
「円……」
「やっと分かってくれたか、それじゃあ――」
「子供相手に本気出すなんて大人げないぜ?」
円の目が「点」になり、その場で固まってしまう。
「お二人さん、そろそろいいかね?」
痺れを切らしたのか、聯賦が割り込んでくる。それ対して、円は固まったままで、刹那が軽く返事を返す。
「あ~、悪いね。それで、その子が相手してくれんのかな?」
刹那が神威の切っ先を謎の少年へ向けた。
「ふぉっふぉ、遊ぶにしては物騒じゃないのかね?」
「いやいや、円も手こずる相手だ。遊び半分でやると痛い目を見そうだからね」
聯賦の顔から笑みが消え、その眼光が鋭くなる。
「気付いておったのかね?」
「まあね。流石に、旅の連れが傷だらけになってるのを見て遊んでると思えるほど、俺もおバカじゃないし。それにその子、孫にしては似てないし」
「ふぉっ。そうかね。それじゃあ、今の会話は演技というわけか」
愉快そうに笑う聯賦とは対照的に今度は円の目が鋭くなる。
「演技、だと?」
「そう。いや~、ちょっと場の空気を和ませようとしたんだけど、やりすぎたかな?ごめんちゃい」
刹那が両手を合わせて謝ると、何やら円はピクピクと震えていた。
「ふ、ふふふ、そうか、演技か……ハハハ」
円が笑う。だが、目は笑っていない。その瞬間、刹那の背中に冷たいものが走った。
自分はこの光景を知っている。これは間違いなく――
円は怒っている!
「そ、そうなんだよ。ハハハ」
当たり障りのない返しで円の様子を伺う。聯賦達の方も気になるが、今は後回しだ。なにせ、こちらは生死にかかわる問題だからな。
「演技ねぇ。そうかそうか。いや~、こいつは一本取られたな」
「だろぉ?俺も迫真の演技だったと思うよ」
円は笑顔のままだ。そして、相変わらず目は笑っていない。
「ところで刹那、ちょっとそこ動くなよ」
「ん?なんで――ッ!」
刹那は直感的に今いる場所から飛びのいた。彼が足を浮かせたのとほぼ同時に地面に炎が広がる。その炎の高さたるや、刹那の頭まですっぽりと覆ってしまうほどの高さまで火柱を上げるほどだった。
「ちっ、動くなと言っただろうが」
プスプスと音を立てながら黒く焦げた地面ではまだ少し火が燻っている。これを見るに、円は全く容赦するつもりはなかったらしい。
「あっぶねぇじゃねぇか!」
刹那が円に怒鳴る。だが、円も黙ってはいない。
「うるさい!もう我慢ならん!ここで殺して心臓抉り出してやる!」
「上等だ!やってやろうじゃねぇか!」
刹那と円がにらみ合う。まさに一触即発。彼らの戦いは誰にも止められない!
と、思われたが。
「うぉっほん!いいかね!」
「「なんだッ?」」
刹那と円が同時に聯賦を睨む。その鬼気迫る雰囲気に危険を覚えたのか、謎の少年が聯賦と刹那たちの間に割り込んだ。どうやら、聯賦を守ろうとしているらしい。
「君らが殺し合おうとわしは一向に構わんが、流石にここまで放っておかれると気分が良いものではない」
言いながら聯賦が一歩前に出る。それに合わせるようにして、少年も前に出た。
「というわけで、そろそろ終わりにしよう」
口角を釣り上げ聯賦が笑う。その顔に刹那は爬虫類じみたものを感じ、体に緊張が走った。
「刹那、一時休戦だ。まずはあの年寄りと子供をなんとかするぞ」
「わかった」
刹那の神威の切っ先が再び聯賦に向き、円の瞳が深紅に染まり始めた。




