第二十四話 異常者
刹那が寝始めて数十分経ったかという頃、皿などを片づけ終わった聯賦が腰を上げた。今夜は風一つ無い静かな夜。仕事をするには持って来いだ。
「そろそろか」
聯賦が胸元に手を入れる。
と、その時後ろから不意に声がかかった。
「何がそろそろなんだ?」
「ッ!」
聯賦が振り返ると、そこにいたのは一匹の黒猫。ほかに人らしい気配はない。彼はそのままあたりを見回して声の主を探した。
「何がそろそろなのか、と訊いているんだが?」
「なッ?」
目の前の光景が信じられなかった。この黒猫――確か円と言ったか?――今、この猫が喋ったように見えたが?
「そんなに驚くな。そういう種類だと思え」
そうは言われても、普通の人間は驚かざるを得ないだろう。もちろん、自分もその普通の人間だ。
「それで、何がそろそろなんだ?」
「い、いや、なに、そろそろわしも床に就こうかと」
聯賦が後ずさる。想定外の事態にあわてたのか、胸に手を入れたままだ。
「ほう?それでは胸元に入れた手をゆっくり出してもらおう」
「ッ!」
一瞬ビクッと震えたかと思うと、聯賦はそれから動かなかった。
まずい、この黒猫にはバレている。
「どうした?何か不都合でもあるのか?」
「別に……」
聯賦がゆっくりと胸から手を抜いていく。が、それと同時に、ゆっくりと反対側の手が腰のポケットに伸びようと――
「燃えろ」
黒猫がそう呟いた瞬間、聯賦の足元に火が上がった。思わず後ずさった聯賦がその場所を見ると、地面が煙を上げている。もう少しずれていれば自分の足は丸焦げになっていただろう。
「あまり俺を見くびるなよ。俺は胸元に入れた手を出せと言ったんだ。余計なことはするな。さぁ、早く手を――貴様、何を笑っている?」
黒猫が警戒心を強めた目でこちらを見ている。これはいけない、どうやら感情が表に出ていたようだ。しかし、それも仕方ないだろう。なにせ健康な若い体に不思議な猫、申し分の無い成果だ。
「ん?いやなに、今日はとことんツイていると思ってのう。健康そうな若い体に、不思議な猫とは。これは重畳じゃな」
「貴様、刹那を狙っているのか?」
「今から君も狙うことになったがね」
「そうか。だが残念だったな、刹那は俺の獲物だ」
「ん?彼は君の飼い主ではないのかね?」
その言葉を目の前の黒猫は鼻で笑った。
「ある事情で同行しているにすぎん。時が来たらアイツは俺が殺す」
「ふふふ、そうかそうか」
まあ、こいつ等の関係がどうであろうと自分には関係ない。さっさと片づけるとしよう
聯賦は楽しそうに笑うと胸元から手を引き抜いた。その手には小さな筒のようなものが握られている。
「なんだそれはッ?」
黒猫が後ずさる。どうやらこれを警戒しているらしい。
「なに、別にただの笛じゃよ」
聯賦はそう言うと、笛に口を着け、吹くような素振りを見せた。しかし、一向に音が鳴るような気配はない。
「壊れているんじゃないか?」
「壊れてなどおらんさ。その証拠にほれ、来たみたいじゃ」
聯賦がそう言ったのとほぼ同時に何かの音が聞こえてきた。何かがバタバタと羽ばたいているような音、それが段々と近づいてくる。
「――ッ!なんだッ?」
音が本当にすぐ近くまで来たかと思うと、それは聯賦の目の前に着地した。顔には巨大な角を生やし、体は光沢のある黒、足が六本のそれはまさに巨大な昆虫だった。
「何だこいつはッ?」
「ふふふ、カブト虫という生き物を知っているかね?」
「知っているさ。だが、俺の記憶にあるのはこんなに馬鹿デカイものじゃない」
その昆虫は優に聯賦の二倍以上はある。まあ、驚くのも無理は無いか。
「そう、普通は掌に乗るくらいの昆虫じゃ。じゃが、もしそれが大きかったら、とは思わないか?あの大きな角で相手を投げ飛ばすんじゃ。大きくなればさぞ圧巻じゃろうな。わしはそれを見てみたくなった。だから、創ったんじゃ」
「いったいどうやって?」
「世の中には巨大な生き物がたくさんおる。それらの死体から遺伝子を採取し、その遺伝子を、カブト虫に注入して。何度も何度も創り直してな、やっと完成したんじゃよ」
「異常者だな」
その過程を思い出すと思わず笑みがこぼれてしまう。最初はなかなか遺伝子が馴染まず目が角が三本も生えた奇形が出来たりしてしまったが、その内、膝のあたりまで、それから肩の高さまでと段々と大きくしていった。今では自分が見上げるほどの大きさだ。自分の思い通りに形を作る、こんなに楽しいことが他にあるだろうか?
「探求者と言ってもらいたいのう、どうじゃ?おぬしも鳥の遺伝子を足して空を飛ぶ気はないか?」
「断る」
黒猫は即答した。
「貴様のような輩に体をいじらせるなど、考えただけでも吐き気がする」
「そうか、残念じゃ、断らなければもう少し長生き出来たものを……もう殺していいぞ、殺してからでも遺伝子は取れるからな」
聯賦がそう言ってその巨大なカブトムシに触れると、彼の言葉を理解しているのか、その巨体が動き出した。
巨大カブト虫がゆっくりと進み、黒猫の前まで迫る。何倍もあろうかという体が黒猫の体を覆い隠す。鍬のような巨大な角が黒猫めがけて振り下ろされ――




