第百七十九話 幕引き
刹那と円は睨み合い、一歩も動かない。下手に動いて隙を作れば、それが敗因となると分かっているからだ。
「……」
「……」
まるで一秒が何時間にも思える。一瞬も気を抜くことは出来ない。気を抜いた時点で、待っているのは敗北だ。
「――ッ!」
その硬直を破ったのは円の方だった。
一瞬、ほんの一瞬、刹那が息を吸った瞬間、円が刹那に切り込んだ。
人間は息を吸っている瞬間、隙が生まれる。どんな達人であってもそれは変わらず、戦い慣れしている者は相手に呼吸を読まれないように細心の注意を払う。
刹那も円に呼吸を読まれないよう注意していたのだが、円の集中力と観察力がそれを見逃さなかった。
円の紅煉が真っ直ぐに刹那を捉える。刹那の目の前に紅煉の切っ先が迫った――
「――ッ!」
次の瞬間、奏流が紅煉を受け止めた。
心は完全に無防備だった。だが、体が自然に動いたのだ。頭で考えるよりも早く、体が動いていた。
「ほう、今のを受けるか」
その反応には流石の円も驚いた様子だ。しかし、当の刹那が一番驚いている。防ごうと思った時にはすでに腕が動いていた。幾度となく刀を振るった腕が戦いを覚えていたのかもしれない。しかし、そんなことが何度も続くとは思えない。
刹那は一度距離を置き、刀の形態を変えた。奏流が二つに分かれ、それぞれ白と黒の刀身を露にする。
「皓月と影月か。手数で勝負というわけか?」
「よく分かってんじゃん」
二刀流になった刹那が円に突撃する。双剣が凄まじい勢いで円に斬りかかっていく。右肩、左腕、右足、左脇腹、実力はかなりのものがある円だが、流石に二本を相手に戦うのは辛いようで、先ほどから少しずつ体に傷を作っている。二刀流という特性上、腕一本で振るっているために少し威力が下がっているのが円にとってせめてもの救いだ。
「円、前のセリフそのまま返させてもらうけどよ。受けるだけじゃ勝てないぜ?」
「ちっ」
今や形勢は完全に逆転している。刹那の攻撃は致命傷にすらならないものの、確実に円の体力を削っている。対して、円は次々と来る攻撃を防ぐのに精一杯で紅煉の炎を出すことすらままならない。
「ふん、相変わらず単調な攻撃だな。まさにお前の性格そのものだ」
追い詰められているはずの円はそれでも余裕を見せつけている。人間になっても気位が高い所は変わっていないようだ。
「んだとッ?それならこっちも言わせてもらうけど、お前、攻撃がねちっこいんだよ!お前の陰険な性格が出てるぜ!」
刹那も負けじと口撃する。
「何ッ?貴様それはどういう意味だッ?」
劣勢になっても歪まなかった円の眉間に皺が寄る。
「言ったまんまだよ!前だって、俺がちょっと夕飯のおかず取っただけで三日もネチネチ言いやがって!」
「あれは俺が最後に食べようとしていたのをお前が取ったからだろう!自業自得というものだ!お前の方こそ、簡単に他人に騙されて変なものを買ってくるわ、貴重な旅の資金を譲り渡すわ。もう少し考えて行動しろ!」
今度は刹那の顔が歪む番だった。
「いいじゃねぇかよ!俺は他人を疑わない純真な心の持ち主なんだよ!」
「世間ではそれを単純バカと言うんだ!お前のせいでどれだけこっちが迷惑をこうむったと思っているッ?」
「しつこいんだよ!いつまでも!」
「しつこく言わなきゃわからんだろうが!」
今や二人は刀を振るのも忘れてお互いの悪口を言い合っている。神聖なはずの次期神を決める戦いはただの口げんかになってしまった。こんな戦いで次の神が決まってしまうとは……。
「あぁ!もう頭キタ!そろそろ終わりにしてやる!」
刹那が皓月と影月を構え直す。
「それはこちらのセリフだ!」
円もそれに合わせるように紅煉を構える。
「オラァ!」
「ふん!」
二人の刃がぶつかり合う。速度はほぼ互角。だが、刹那には防がれてももう一本の刀がある。空いた手で影月を振りかぶる、だが――
「前にも言っただろう。攻撃は剣だけでは無い」
「なに?――ぐッ!」
円の蹴りが刹那のガラ空きの腹部に叩き込まれた。刀を振るうのに夢中で足元を見ていなかった。同じ失敗をしてしまうとは――だがまだだ!
「ほう、今回は踏みとどまったか。だが、距離が空いたな」
円の瞳がますます赤みを増した。これは、炎が来る!
「燃えろ!」
円の紅煉から炎が吹き出し、それが真っ直ぐに刹那の方へと飛んできた。今までで最大の火力、このままでは消し炭になってしまう――
「へっ」
だが、刹那は慌てなかった。それどころか笑みをこぼしている。
「待ってたぜ!その攻撃をよ!」
そう言うと、刹那は炎に向けて影月を振りかざした。瞬間、影月の切った空間に黒い線が入る。そして、その線は徐々に拡大し、刹那の上半身位の大きさの穴になった。
そして、次の瞬間――
「――ッ!これは!」
円の炎はその穴の中に飲み込まれていった。穴は炎を次々と飲み込んでいき、全ての炎がその穴の中に消えていった。
「それじゃあ、返すぜ?」
刹那が今度は皓月を円に向けて振り抜いた。すると、皓月の切先から白い線が発生し、それが白い穴を穿った。すると、なんとその白い穴から炎が噴き出したではないか。噴き出した炎は先ほど黒い穴に吸収された炎。円の紅煉が吸い込んだ炎そのものだ。
「――ッ!」
とっさの出来事に円が出来たのは、紅煉が噴き出す炎によって刹那が返してきた炎の勢いを弱めることだけだった。だが、その行動は大きな隙を生み、刹那はその隙を見逃さない。
「オオオオォォォォ!」
ガラ空きになった円の体めがけて刹那が突進する。
そして――
皓月と影月が円の胸にバツの字を描く。
「ぐっ」
円は背中からその場に倒れ込んだ。切り裂かれた胸からは血が次々にあふれ出ている。
「はぁ……はぁ……」
勝負の終わりを確信した刹那は静かに円に近づいた。
「まさか、自分の炎を返されるとはな」
皓月と影月の力は、それぞれが放出と吸収を担っている。影月は切り裂いた任意の空間からあらゆるものを吸収することができ、皓月は切り裂いた任意の空間から影月で吸収したあらゆるもの放出することが出来る。刹那はその特性を利用し、円の放った炎をそのまま彼に返したのだった。
「正直、一か八かだったけどな。円も昔使ったことあっただろうから、この能力は知ってると思ってた」
「お前の攻撃をいなすのと、悪口を考えるのに精いっぱいで、皓月と影月の力を忘れていた」
傷を負っているはずの円が笑みをこぼした。口の端から血が滴っている。
「ハハ、円らしくもないな」
本当に可笑しかった。あの円が冷静さを欠くなんて。
「刹那……お前の勝ちだ。早く止めを刺せ」
「円……」
まだ勝負はついていない。そう、この勝負はどちらかの死によって決着する。円が負けを認めても、刹那は彼に止めを刺さなければならない。
「どうした?早くしないと、俺が勝利をもうらぞ?」
とてもそんな体力は残っていないはずなのだ。だが、円は必死に上半身を起こそうとしている。刹那にはその姿がとても痛々しく感じられた。
自分が幕を引いてやらなければいけない。それが、友人へのせめてもの手向けだろう。
刹那が影月を両手で逆手に持ち、それを円の胸の上に振り上げる。
「円……じゃあな」
「あぁ、さらばだ。刹那」
影月の刀身が深々と円の体の中にめり込んだ。影月に全体重をかけていた刹那の顔は円の顔の目の前まで下がり、その眼には、瞳を閉じ、わずかに笑みを湛えた友の姿が映った。




