第百七十八話 円の真意
刹那に衝撃が走った。円が自分に殺されたがっている?逆ではなかったのか?円が自分を殺して神様になろうとしていたのではないのか?
「円、どういうことだ?」
円は下を俯いたまま喋らない。
「どういうことなんだよ!」
「お兄ちゃん、そんなに怒鳴らないであげてよ。お兄ちゃんのためを思ってやってた円がかわいそうだよ?」
「貴様、何が狙いだ?」
円の怒りの籠った瞳が真貴耶を射抜く。しかし、真貴耶はそれに恐れることも無く淡々と話し始める。
「狙い?そんなの……面白そうだからに決まってるじゃないか!」
真貴耶の顔が歪む。口角が耳の近くまで吊り上り、先程までの子供のような笑顔とは程遠い、まるで悪魔のような笑みだ。
「わざわざあんな猫のふりして、バカな人間どもにわざと捕まって、だけどその甲斐はあった。出来損ないって言われた時の円の顔!アレが見れただけで頑張った甲斐があったよ!あの時だよね、完全に記憶が蘇ったのッ?」
記憶が蘇る?一体何を言ってるんだ?
「お兄ちゃん、円が自分が猫又だと思ってた記憶は偽物の記憶なのさ。円はね、お兄ちゃんがこの世に生み出されたのと同時に転生させられたんだ。猫又の記憶は僕が作ってあげたの」
「転生って、どういうことだ?」
全く話が呑み込めない刹那の姿がよほど面白いのか、真貴耶が笑みを堪えている。
「お兄ちゃん、円はね、お兄ちゃんと同じ神様の候補だった時に一回死んでるんだよ?」
「なに?」
「真貴耶!貴様、それ以上喋ってみろ!ここで焼き殺してやる!」
「おぉ怖い。僕も先代みたいに殺されちゃうのかな?」
その言葉を聞いた瞬間、円が下を俯き黙ってしまった。先代とは、先代の大和の神のことか?
「今から百年前、次期大和の神となるべく、一人の男が生み出された。だけど、そいつは手の付けられない乱暴者で、自分の気に入らないものは片っ端から壊してたんだ。その姿を見た人間たちに災厄の子、なんてあだ名をつけられちゃうくらいにね」
「災厄の子って……確か……黄夜で」
「そう。その災厄の子が、何を隠そう目の前にいる円なんだよ」
「――ッ!」
円が災厄の子?そんな……。
「そこまではよかったんだ。だけど、あの方に手を出したのはまずかった。お兄ちゃん、円はね、ここに着いてすぐに先代の大和の神に切りかかってるんだよ。僕らが止めるのも聞かずに先代の大和の神に襲いかかって、大和の神はそれが原因でしばらくして死んじゃったんだけど。次は全知全能の神であるあの方に切りかかったのさ。それは僕らが止めたけどね。本当だったらその場で魂ごと消滅させられてもおかしくなかった」
一瞬、真貴耶の顔が凄まじく険しいものになった。憎悪と怒りが混じり合ったようなその顔はすぐに引くと、また子供の様な顔に戻る。
「あの方は慈悲深いからね、あることを条件に許して下さるとおっしゃたのさ。その条件って言うのが、次期神の候補の補助役として旅に同行して、最後の試練の相手になることさ」
「そうだったのか……」
ではあの時、偶然自分が円と出会ったのも「偶然」ではなかったということなのか。円の方を見てみると、円は未だに下を俯いたまま一言も喋らない。
「許せないよね?」
「え?」
真貴耶の顔が先ほどと同じように憎悪の塊となる。拳を握りしめ、鋭い眼光で円を睨みつけている。
「あの方を傷つけようとしたくせに、生き残るなんて。あの方の寵愛を受けるなんて、あって良いはずがないのに。本当だったら何千、何万回死んだって償えない罪なのに、それなのに……」
怖い――
刹那は単純にそう感じた。殺意だけで人が殺せるなら今の真貴耶からはその位の殺気が円に向けられている。
「あの方は優しい。だから僕が罰を与えたんだよ。円、どうだった?猫又として生きてきた記憶は?猫又のくせに尻尾が一本しかないって、周りにずいぶんと嫌われたみたいじゃない?そう、確か実の両親に「失敗作」の烙印も押されたって設定だったよね?」
先ほどの憎悪の顔とは対照的に、今の真貴耶の顔は満面の笑みだった。コイツは楽しんでいる。偽物の記憶だとしてもそれを背負って生きてきた円の傷つく姿を見て心底愉快そうに。
「極めつけは、初めて自分を失敗作じゃなくて「円」として接してくれた友達と命がけで戦わなきゃいけないなんて。あぁ、可哀そう。まあ、それも僕があの方に頼んで前の大和の神の決め事を残してもらったからだけど。感謝してよ?自分が死ぬか、友達を殺すかするだけで罪を帳消しにしてあげるんだからさぁ?」
円は何も喋らない。以前の記憶を思い出しているのか、それとも、これから起こることを想像して苦しんでいるのか、刹那には分からない。
「ホントは皓月と影月を手に入れたら記憶が蘇るってことになってたんだけどさ、君たちがあまりに仲良さそうだから、意地悪しちゃった。だけど、円逃げちゃうんだもんなぁ。面白くないよ。お兄ちゃんと殺し合うのが怖かったの?だから逃げたんだよね?でも、お兄ちゃん来ちゃったね。最後はホントに徹底的にやったのにさ。どう円、苦しい?壊したくないから自分が壊されようとしたんでしょ?でも、それも上手くいかなかったね。悔しい?ねぇ、教えてよぉ?」
「てめぇ……」
今、刹那にはやっと円の心が分かった。あの時姿を消したのも、他人を使って自分の命を狙おうとしたのも、自分から神威を奪ったのも、すべてはこれを避けるため。
先ほどの戦いの最中に妙に俺を挑発してきたのは、俺が躊躇しないようにするためか。
刹那の拳が血が滲み出るほど強く握りしめられる。コイツは円の心を踏みにじった。自分が失敗作だと悩み続けてきた円の心を、友と傷つけあわなければいけないと悩んだ円の心を、そして、失うくらいなら、と自分を犠牲にしようとした円の心を――
「おっと、お兄ちゃん、戦うのは僕じゃなくて円だよ」
「その通りだ、刹那」
先ほどまで黙っていた円が突然口を開く。
「そのガキが何やら世迷いごとを言っていたが、そんなのは戯言に過ぎん。さぁ、構えろ刹那」
いつの間にか円を拘束する鎖は解け、彼は紅煉を構えていた。その目に、迷いは無かった。
ならば、自分のするべきことは――
「円……」
「どうした?まだ戦いたくないとでも言うつもりか?」
「円、戦う前に一つだけ頼みがある」
「なんだ?」
「円の本心を言ってくれないか?」
その言葉に明らかに円が動揺する。しかし、瞬時に動揺をかき消すと、円は再び刹那に鋭い視線を向ける。
「聞いていなかったのか?俺は災厄の子、気に食わない物は全て破壊する。俺の狙いはただ一つ、次期神の座だ」
「嘘だね」
「嘘ではない!」
円が声を荒げる。しかし刹那は動じない。
「じゃあ、なんで紅煉が揺れてんだよ?」
「――ッ!」
刹那の言うとおり、紅煉はブルブルと震えていた。それは円の手が震えているということ。迷いの無い者なら手が震えるということはない。円は明らかに動揺しているのだ。
「――まったく、変な所で勘が鋭いやつだな、お前は」
先ほどまで険しい顔をしていた円はフッと笑うと、紅煉の切っ先を地面につけて、困ったように頭を掻いた。なぜだろう、初めて見る姿のはずなのに、その姿はえらく懐かしい気がした。
「そのガキの言うとおりだ。俺はお前と戦うのが怖かった。偽りの記憶でも、今まで蔑まれ続けてきた自分を受け入れてくれた初めての存在を自分の手で壊すのが怖かった。おかしいな、昔は災厄の子とまで言われて怖いものなど何一つなかったというのに」
自嘲気味に笑う姿に災厄の子としての影は無い。そこにいるのは、刹那の良く知る円の姿だ。
「本当にお前は厄介な奴だな。邪魔しても邪魔しても、結局やって来てしまった」
円が天を仰いで深く息を吐く。そして、次に向けられた表情は、何か吹っ切れたもののように見えた。やれやれと、いつも自分のことを面倒見てくれていたあの円の表情だった。
「不思議だな、あれほど怖かったのに、本心を晒してみればなぜか迷いは吹っ切れた。刹那、俺はお前を殺すぞ?」
円が再び紅煉を刹那に向ける。その切っ先はもう揺れていない。
刹那はそれに習い、黙って奏流を構えた。
円が俺と向き合おうとしている。誇り高い円が全てを晒して。
ならば、自分はそれを受けなければならない。
神の候補だなんてのは関係ない。
ただ、円の友としてーー
「いくぜ、円」