第百七十四話 君はどうしたい?
眠りから目覚めた刹那に凛は食事を出してくれた。
湯気を上げる暖かいスープにパン、見ているだけで食指をそそられる組み合わせだ。いつもならすぐにでも手をつける刹那だが、今はなかなかそんな気持ちになれそうにない。
「食べないの?」
「ちょっと食欲無くてさ」
なかなか手を付けない刹那とは対照的に、凛はパンを手で小さくちぎりながらもどんどん口に放り込んでいる。ある程度の気品と男の子のような食欲を合わせ持つ、なんとも奇妙な光景だった。
「フフ」
「何?」
「いや、別に。ただ、やっぱり王女ってのは信じられないぁと思ってさ」
「余計なお世話だっての。ね、統也くん?」
凛の問いかけに統也は素直に頷いた。どうやら、刹那が眠っている間に随分打ち解けたようだ。
凛がまた口にパンを放り込む。彼女の掌ほどあったパンはもう半分ほどなくなっている。
それを笑いながら見ていた刹那は口を閉じ、自分のスープへ視線を落とした。
「やっぱり、円のこと気になる?」
「……うん」
「何があったか聞いても?」
「……実は――」
刹那はこれまでにあったことをすべて話した。円が突然いなくなったこと、他人を使って自分を狙ってきたこと、再び会った時に人間の姿になっていたこと、円が……自分を殺そうとしたこと。
「……そんなことがあったの。でも、円って猫又じゃなかったの?本人が前にそう言ってたけど?」
「分からない。それも円が俺を利用するためについていた嘘なのかもしれない」
「そっか」
円の言っていたことも何が本当で何が嘘なのかまったく分からない。あるいは全てが嘘で、最初から自分を利用するためだけに近づいたのか。
「それで?」
「それでって?」
凛の問いかけに刹那は首を傾げた。何が言いたいのだろう?
「これからどうするつもり?」
「どうするって……」
当初の予定通り神座山を目指すか?しかし、神威は奪われてしまった。これでは刀を全部そろえたとは言えないのではないか。
「神威を取り戻して、神座山に行きたい」
「それ本心?本当にそう思ってる?」
本心……。本当は……
「ハァ~」
なかなか煮え切らない刹那に見せつけるように凛が大きなため息をつく。そして、じっとこちらを見つめてくる。そんな顔をされても困ってしまう。
「刹那、君と円が私の故郷に来た時のこと、覚えてる?」
「うん」
忘れもしない。あの時刹那は、勘違いから円を拒絶したのだ。
「二人で戦った前の日ね、私、円に言ったのよ。「刹那が許してくれなかったら、私と一緒に旅しないか」って」
「え?」
それは初耳だ。円からそんな話は一度も聞いていない。
「そしたらさ、アイツ、返事は待ってくれって。それで君と戦ったあの日の朝、アイツなんて言ったと思う?」
「さぁ?」
「少しは考える!」
凛に怒られ、しぶしぶ考えを巡らせる。あの時の円が言った言葉か……。
「君と一緒に旅は出来ない、かな」
凛が少し笑ったかと思ったが、すぐに顔が厳しいものに変わる。間違いだったか?
「それだけ?」
「え?いや、それ以外あるの?」
「あるよ。アイツ、「お前とは旅は出来ない。俺には刹那がいるからな。アイツは俺がいないとダメなんだ」って言ったの」
「へぇ」
「へぇって。これで分かったでしょ?」
「俺はお荷物ってことなんだな」
「ダァァァァ!」
凛がイライラしたように頭を掻いた。その姿に、先ほどの品格など微塵も感じられない。
「なんでそうなんのよッ?円はアンタが心配で目が離せないって言ったの!」
「つまり迷惑ってことだろ?」
「違うでしょうが!迷惑だったらそんな心配なんてしないわよ!」
凛のイライラは最高潮に達したのか、スープの入った器の底をスプーンでガンガン叩いている。でも、円は迷惑だったに違いない。一緒に旅をしてたのだって、自分の心臓が必要だったから仕方なくだったんだ。
「俺を心配してたのは俺の心臓が必要だったからだよ。それ以外に理由はない」
「本当にそれだけだと思う?」
「思う」
「ハァ~、円の苦労が分かる気がするわ」
そんな大げさに言わないでほしい。自分が何か間違ったことを言ったのか?
困り果て統也を見るが、彼は黙って刹那を見返してくるだけだった。
「仕方なくで一緒にいるくらいだったら、さっさと君の心臓引っこ抜くでしょ?その方が手っ取り早いんだし、楽だもん」
「それは……そうかもしれないけど」
「あのね、言わないと分かんないみたいだからハッキリ言うけど、円は君のことを大切に思ってるのよ」
「嘘だ」
即答する。
それはあり得ない。円は仕方なく自分と一緒にいた。だから、必要なくなった今、円は自分を殺しに来た。
「なんで嘘だと思うのよ?」
「だって、円は必要なくなった俺のことを殺そうとしてきたんだよ?」
「刹那、それが本当に円の本心だと思ってるの?」
「それは……」
「円の本心を確かめに行かなくていいの?」
「それは出来ないよ。円はもう俺のことを必要ないって言ってたし」
円は完全に自分のことを拒絶していたのだ。ならば、こちらから会いに行くことは出来ないだろう。
「だから何?」
「だから、俺が会いに行くわけにはいかない」
「円が言ったから行けないの?じゃあ円が死ねって言ったら死ぬの?」
「でも……」
「あ~もうッ!じれったい!」
凛は刹那の両肩に手を置くと真っ直ぐに彼を見据えた。その瞳は現実から目を背けようとする刹那の両目を逃がさない。
「刹那、君はお世辞にも頭が良いとは言えないでしょ。考えるの得意じゃないでしょッ?」
「う、うん」
酷い言われようだが、今の凛の気迫に押されて刹那は言い返せない。
「だったら、何を悩んでるの?柄にもないことするんじゃないの!悩んだって答えは決まってるでしょッ?」
「――!」
そうだ。答えは決まってる――
「お兄ちゃん」
今まで黙っていた統也が唐突に口を開く。
「何、統也?」
「ちゃんと話した方が良いよ。じゃないと大変なことになっちゃう」
統也はそれを身をもって知っている。刹那が同じ思いをしないようにという、彼の気遣いなのだろう。
「もう一度聞くよ?君はどうしたいの?」
「俺は……」
俺は――
「円を探したい」
必要無いと言われても関係ない。まだ自分は納得していない。納得する答えが返ってくるまでは諦めるわけにはいかない。アイツにもう一度会って、理由を聞き出さなければ。
刹那の目に再び生気が宿る。それを見た凛がニヤリと笑う。
「やっと答えが出たか。どこに行けば会えるかもだいたい見当ついてるんでしょ?」
「だいたいね」
「そう、それだったら善は急げね。さっさと行って、あの皮肉屋を問い詰めてやんなさいよ」
「……わかった」
* * *
「統也のこと、よろしくね?」
「任せなさいって。うちで最高の医者に診させるわよ」
刹那は統也を凛に預けることにした。これから先は何があるか分からない。一人にする訳にはいかないが、凛になら任せる事ができる。それに、彼女が父親に掛け合って統也の身体に埋め込まれた爆弾を除去してもらえることになったのだ。
「この子素質があるからね、うちで鍛えれば相当強くなるわよ?」
そこまで頼むつもりはないのだがおそらく言っても無駄だろう。統也の無事を祈るばかりだ。
「お兄ちゃん、気をつけてね?」
「ああ。統也も元気でな」
不安そうな顔をする統也の頭を刹那が撫でてやると、統也は嬉しそうにしていた。この笑顔を見ていると、自分がやったことは間違っていなかったのだと自信が持てる。
「それじゃ」
「ええ」
「頑張って、お兄ちゃん!」
凛達に見送られ刹那は出発した。目指すは、最後の場所、神座山だ。そこに円がいるに違いない。




