第百七十三話 受け入れがたい現実
「――ここは?」
気づけば、刹那は何も無い真っ白な場所にいた。あたり一面白一色、足が着いていることで辛うじてどちらが下なのか分かるくらいだ。
「俺は……」
なぜ自分はこんな所にいるのだろうか。
記憶を辿っていく。円がいなくなって、自分は一人になって。神座山を目指して黄夜を出発し、統也を助け出して、そして――
「俺は円に切られた」
信じたくはない。だが、それが真実だ。朦朧とする意識の中で、円が神威を持ち去って行ったのが見えた。そこから先は記憶が無い。ということは自分は死んだのか?ここは俗に言う「あの世」というやつなのか?
「ッ!統也はッ?」
周りを見回すが統也の姿は無い。あの後統也はどうなった?まさか……
「統也?統也ッ?」
叫びながら統也を探し回るが統也どころか人影一つ見当たらず、ただただ白い平野が続いていた。
最悪の結末が脳裏に浮かぶ。いや、ここがもしあの世なら統也の姿が無いというのは彼の無事を意味しているのでは?しかし、自分の近くに現れないだけだったら?
様々な想像の渦の中で刹那の思考は溺れていた。落ち着いて整理しようとするのだが、その度に円に切られたという事実がちらつき邪魔をする。
「くそッ!」
いつもの刹那なら統也を探すために行動しただろう。だが、今回はとてもそんな気にはなれない。あまりに突然で、あまりに衝撃的過ぎる現実が、刹那の足を重くさせた。
統也は見つからず、それどころか自分がどこにいるのかさえ分からない。
「……もう、どうでも良いか……」
刹那はその場に寝転んだ。もう考える気力もない。統也も、円も、自分のことでさえどうでも良くなってきていた。
このまま寝ていればこの白の中に溶け込んでしまえるんじゃないかと思えてくる。いっそ溶け込んでしまえたらどれだけ楽だろう。
「何をくつろいでいるんだ。さっさと起きろ、置いて行くぞ」
「え?」
目を開くと、よく見慣れた黒い顔が自分を見下ろしていた。
「円?円なのかッ?」
刹那のその質問に見慣れた顔が不敵に笑う。
「当たり前だろう。相棒と野良猫の見分けもつかんのか?」
「でも、お前、人間になって俺を斬って……」
「人間?何を馬鹿なことを言っているんだ?変なものでも食ったのか?」
この毒舌、間違いない、あの円だ――
「ほら、早く起きろ、置いて行くぞ」
「あ、待ってくれよ、円!」
刹那が起き上がった時、すでに円は先を歩いていた。
「円、どこ行くんだよッ?」
円は答えずどんどん先に行ってしまう。
「円!歩くの早いよ!ちょっと待ってくれってば!」
円は答えない。ただ黙って歩いて行ってしまう。
「おい、円!」
刹那は走ったが一向に追いつけない。それどころか、距離はどんどん開き、ついに円はほとんど見えなくなってしまった。
「円!」
刹那がそう叫んで上半身を起こすと、また見知らぬ場所にいた。先ほどとは違う、少し暗い場所――陽を遮る布の天井のためだ――、ここはテントの中か?
「やっと目が覚めた?」
その声の方に顔を向ければ、テントの入口からこちらを見ている顔があった。
「君は……」
それは堅要の王女、凛だった。
「なんで君が――つッ!」
体に走った痛みの為に刹那が言葉を切った。
「まだ動かない方が良いよ。一応手当はしておいたけど、まだ完全には塞がってないだろうから」
なるほど、胸のあたりから腹にかけて包帯が巻いてあるのはそういうわけか。
「にしてもビックリしたよ。君を探し回ってたら、いきなりその子に声をかけられて」
そう言って凜が視線を向けた先では統也が寝息を立てていた。目立った外傷はない。円は統也にはあれ以上危害を加えなかったのだろうか。
「その子、Ωって呼ばれてた子でしょ?私を見た途端走ってきて、君が大変だって言うから急いで来てみたら君が血だらけで倒れてるんだもん。とりあえず手当はしたけど、丸一日起きないし。あ、その子が起きたらお礼言いなさいよ?手当してる間もずっとそばを離れないで君の心配してたんだから」
「そうだったのか……」
先の円との戦いの時と言い、こんな子供に負担をかけるなど自分は何をしているのか。
刹那は己の不甲斐なさに歯噛みした。
「それにしても、一体何があったの?その子が言うには突然変な男に襲われたって聞いたけど、そもそもなんでその子が君と一緒にいるの?それに、あの失礼な相棒はどこ?」
「……」
刹那は答えない。口をつぐみ、両手の拳を握りしめる。
「言いたくないならそれでも良いよ。誰にだって他人に話したくないことはあるだろうし」
「いや……」
隠しても仕方がない。それに彼女は命の恩人でもある。正直に話すべきだろう。
「これは円にやられた」
「――ッ!どういうこと?だってその傷は変な男に襲われて出来たものじゃ?」
「その変な男が円だったんだ」
「何それ?一体どういうことなの?」
「だから!俺にも分らないんだよッ――あッ……」
思わず大声を出してしまった。彼女は何も悪くはないのに、これでは八当たりだ。
凛は目を見開いて驚いている。いきなり大声を出されればそうなるか。
「……ごめん」
「大丈夫。ずいぶん混乱してるみたいだね。少し休みなよ」
「ありがとう」
凛に促されるまま、刹那は再び横になった。何も考えず、現実から目を背けるように。