第百七十一話 草原を行く
刹那と統也は一心に神座山を目指して歩き続けていた。目に映るのは平坦な地面ばかりで、時々丈の低い草が生えている程度。とても退屈な光景だ。
「ふぁ~」
変わらぬ情景に欠伸を交え、刹那は円のことを考えていた。なぜ彼は自分の元を去ってしまったのだろうか。心臓を奪うと言っていたが、今までにだってその機会はあったはずだ。なぜあの時になってあんなことを?他にも不思議なことはある。義衛の城で出会った義外は、円に言われて自分の心臓を狙ってきた。人頼みにするなんて円らしくない。
「なんかあったのかな?」
「え?」
「あ、いや、何でもないよ」
自分に話しかけられたのかと統也が振り返るが、刹那それを手を振って否定する。
円が失踪した理由、思い当たる節が無いわけではない。いなくなる直前、自分が山賊に襲われた直後、円は出来損ない呼ばわりされ、それから様子がおかしかった。もっとも、自分はその後すぐに気を失ってしまって何があったのかは知らないのだが……。
「出来損ないって言われて怒ったのかなぁ?」
それでもっと力を得るために自分の心臓を?いや、それは少し短絡的すぎるような気がする。あのひねくれ者はそこまで単純じゃないだろう。
「お兄ちゃん、さっきからどうしたの?」
「あ、いや、ごめん、ちょっと考え事を――ん?」
見渡す限り平坦な草原だった視界に何かが映る。あの黒い塊は、まさか――
「円ッ?」
刹那は駆けだしていた。あの皮肉屋の黒猫がいると信じて。
「やっと見つけた!」
距離が近づくにつれて、だんだん黒い塊が大きくなり、輪郭が露になっていく。
あと、およそ十メートル。
刹那には円に再会したらどうしてもやりたいことがあった。今ならそれが出来るはずだ。
残り五メートル。
円に会えたなら、どうしてもやってやりたい。言いたいことは山ほどあるが、それは後回しだ。まずは万感の思いを込めて――
「燃えろ!」
鮮やかな炎。
紅煉から噴き出た火は瞬く間に黒い塊を包み込んでしまう。容赦ない、本当に容赦のない火だるま状態。
「どうだ円、ビックリしたか?」
いつも自分ばかり火をつけられて不公平だと思っていたのだ。たまにはこんなのもありだろう。猫又なんだから炎には強いはずだし、万が一ヤバそうだったら奏流で消化すればいいや。
さてさて、円君はどうなっていますかね?
「あ……」
期待を込めて近づいた刹那だったが、それはただの黒い岩だった。少し三角形になっていて遠目に見れば座った猫に見えなくもない。
「なんだ、ただの岩か」
この岩は動かない。皮肉も言わないし、勝手に動き回るな、と説教もしない。
「ハハ、そうだよな。円なわけ……ないよな」
「お兄ちゃん!どうしたのッ?」
置いてきぼりを食らった統也が慌てて駆け寄ってくる。刹那は振り返り統也に曖昧な笑顔を返してその場に寝転んだ。
「お兄ちゃん?」
「統也~、ちょっとここで休憩しよう~」
円ではないと分かった途端、急に疲れてしまった。もう、何もする気が起きない。
子供の前で情けない姿を見せているという自覚はあったのだが、それでも今は起き上がる気力が湧かない。
「はぁ~」
本日何度目かのため息をついて、空を見上げて目を閉じる。そういえば、記憶を無くして目を覚ました時もこんな感じだったな。
「こんな所で寝転ぶな、邪魔だ」
「――ッ!」
刹那は飛び起きた。今の喋り方は!
声のした方へ振り返る。そこには――
「まどッ……」
振り返った先にいたのは円ではなかった。
一目で円ではないと分かった。なぜならそこにいたのは人間だったからだ。
身長は刹那と同じくらい、艶のある黒髪は肩から少し下まで伸びていて、所々跳ねているのだが逆にそれが本来あるべき姿だったかのように良く似合っている。顔は目鼻がスッと通っていて、黒髪と対照的なその白い肌は透き通るようで、まるで雪のようだ。だが、最も目を引くのはその両目だ。白と黒だけで構成された彼の体から異彩を放つその瞳は、両方とも燃えるような真紅の色だった。そのまま見つめ続ければ飲み込まれてしまいそうだ。
「まど?」
「あ、すいません、知り合いと間違えちゃって」
刹那は照れ隠しに頭をかきながら視線を相手の顔から少し下へと移した。
髪なげぇ……。あれじゃ洗うの大変そうだな。
「ん?何か?」
「あ、い、いえ、なんでもないです」
「そうか。それで、誰かを探しているのか?」
「あ、はい。あの、これくらいの黒猫なんですけど……」
刹那は両手で大きさを伝えようと身振り手振りを交えて説明する。
「ふむ、悪いが見ていないな」
「そうですよね。すいません、いきなり変なこと聞いちゃって」
あまり期待はしていなかったが、改めて知らないと言われると辛いものがある。まあいいさ。また探せばいい。
「構わんよ。それではこちらも一つ言いたいことがあるのだが?」
「なんです?」
知り合ったばかりの自分に言いたいこと?なんだろうか?まさか……告白とか?おいおい待ってくれ、自分にそっちの趣味は無い。
そんな馬鹿なことを考えている刹那を尻目に男が口にした言葉。それは刹那の予想とは全くかけ離れたものだった。
「その刀をよこせ」