第百七十話 二度と手を出すな
奏流が振り上げられる。
「何をしとるんじゃΩ!戦え!」
聯賦のその言葉にもΩは従うことをせず、ただ固まって動かない。そして一点、刹那の顔を見つめたまま瞬きすらしない。
感情のほとんどない彼だが、死を目前にして何か思うことがあるのだろうか。
そんな彼に、刹那の振り上げた奏流が振り下ろされる。
だが――
「ほら、立てるか?」
奏流はΩの体を切り裂くことはなかった。彼の体を避け、彼の体の横の地面へと軽く突き刺さっている。代わりに、彼に向けられたのは刹那の右手だった。
「大丈夫か?立てるか?」
状況が呑み込めないのか、Ωは刹那を見上げたまま動かない。
「鎌にしたままじゃ掴めないんだけど、その右手、普通の腕に戻せる?」
「……」
Ωは刹那の言うことを素直に聞き、右腕を普通の五本指の形に戻した。
「お、よく出来ました。良い子、良い子」
自分の言うことを素直に聞いたΩの頭を刹那が撫でる。
「――ッ!お姉ちゃん……」
Ωの両目に大粒の涙が溜まりだした。そして――
「お姉ちゃん!」
Ωは立ちあがると刹那に抱きついた。
「お、おい……」
一瞬戸惑った刹那だったが、Ωが以前話してくれた話を思い出した。お姉ちゃんとは、たぶん彩華さんのことだ。
Ωは刹那に抱きついたままずっと泣き続けている。その姿は体を弄られたΩではない。年相応の統也の姿だ。
「よしよし、泣かなくていい。今まで辛かったな」
Ωは刹那に顔をうずめたまま「うん、うん」と頷いている。刹那はそのΩの頭を優しく撫でてやった。
「もういいんだよ。統也くんは戦わなくていいんだ。もう君は十分償ったんだ」
今まで良い子になるためにひたすらに聯賦に騙され続けていたΩは今やっとその重荷から解放された。「Ω」はやっと「統也」に戻ることが出来たのだろう。
「な、なんじゃそれは?」
目の前の光景にただ一人納得できない男、聯賦が一歩、また一歩と刹那たちの方へと近づいてくる。
「Ω!何をやっ取るんじゃ!早くそいつを戦闘不能にせい!」
目を血走らせ、興奮した聯賦。刹那は統也を守るため彼を自分の背後に隠れさせた。
「何をしておる!Ω!」
「止めろ爺さん。もうこの子はΩじゃない」
「黙れ!そいつはΩじゃ!わしが手塩にかけて育て上げた最高の作品じゃ!」
ダメだ。全く聞く耳を持とうとしない。
「Ω!今のお前があるのは誰のおかげじゃッ?お前がそうやって生きていられるのもわしのおかげじゃろうが!その強靭な肉体は誰のおかげじゃッ?あの施設でゴミ屑同然になっておったのを拾ってやったのは誰じゃッ?」
自分のエゴを吐き出し続ける聯賦。その醜さに、刹那の眉間に皺が寄る。
「おい爺さん、いい加減にしとけよ……」
「うるさい!こうなればぁ!」
聯賦が胸ポケットから何かを出した。まさか、アレは――
「お前ごと吹き飛ばしてくれるわぁ!死――」
「燃えろ!」
聯賦がそのスイッチを押すよりも早く、紅煉の炎が聯賦の腕ごとスイッチを包み込んだ。
「あっつァ!」
スイッチを持っていた右腕は丸焦げになり、恐らく二度と使い物にはならないだろう。
刹那は膝をついて腕を押さえる聯賦のそばまで行き、襟を掴んで無理やり引き起こした。
「アンタの下らない妄想にこの子を巻き込むんじゃねぇ」
まるで射殺すような視線を聯賦に向けながら刹那は襟を掴む手に力を込めた。そのあまりの力強さに息苦しくなったのか、聯賦が小さく「ぐぅ」とつぶやく。だが、刹那は力を緩めることなく言葉を続ける。
「爺さんよく聞けよ?金輪際この子には手を出すな。もしもう一度この子に何かしてみろ?その時はこんなもんじゃ済まさない」
「ふ、ふひ、誰が……。Ωはわしの――」
何か固いものがぶつかる音。
次の瞬間、激しい音を立て地面に倒れる聯賦の姿があった。その顔は頬から鼻にかけてこぶし大にへこんでいる。
「わ、わしの作品……」
聯賦はそれだけ呟くと気を失ってしまった。こんな体になってもまだそんなことを考えられるとは恐れ入る。
* * *
「それじゃあ、行こうか統也」
刹那は聯賦から解放された統也を連れて行くことにした。またいつあの老人が接触を図ってくるか分からず、何より統也の体の中にはまだ爆弾が残っている。一人にはしておけない。
「ドクターは?」
「まあ、死にゃしないよ」
この辺りはいくらか人通りもある。運が良ければ誰かが助けてくれるだろう。
「お兄ちゃん、これからどこに行くの?」
「神座山って所さ、そこに行けば、たぶん俺の知りたいことが分かる」
今まで分からなかった自分の正体、それが遂に分かるのだ。この旅の目的が遂に果たされる。しかし、刹那の心は晴れない。脳裏に一匹の猫の姿が浮かんだ。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ん?」
「すごく辛そう」
刹那は自分を心配そうに見上げる統也の頭をガシガシ撫でてやった。こんな小さい子供に心配させるとは、自分は何をやっているのか。
「お兄ちゃんなら大丈夫だ。さ、出発しよう」
気持ちを切り替え出発した刹那だったが、その姿を不審な影が追っていたことに、その時の彼は気付きもしなかった。




