第百六十一話 焦燥
「ちくしょう、尊ちゃんはどこ行っちまったんだ?」
尊を探して走り回っている刹那だが、一向に彼女の姿は見当たらない。どこかに隠れてくれていればいいのだが……。
「死ね、劣等民族!」
「――ッ!」
背後からの気配に刹那が咄嗟に前に跳んだ。背後で固いものがぶつかり合う音がする。振り返れば、そこには全身黒ずくめの男が農業用の鍬を振り下ろした格好で立っていた。
「ちょ、ちょっと、何すんだ!」
「うるさい劣等民族め!」
どうやら自分を昼の民と勘違いしているらしい。まったく、いい迷惑だ。勘違いであることを説明したいが、相手は目が血走ってるし、何よりそんな時間は無い。ここはてっとり早く力づくでいこう。
相手が再び刹那に襲い掛からんと鍬を振り上げる。だが、その動きは直線的過ぎて刹那にはバレバレだ。
「うらァ――あれ?」
勢いよく振り下ろした鍬が空を切ったことに男が困惑する。目の前にいたはずの標的はそこにはすでにおらず、彼は左右を見回してそれを探そうとした。しかし……
「はい、動かな~い」
喉元に添えられた刃の為に男は動きを止めざるを得なかった。
「ひ、卑怯者め」
「うるせぇ、後ろからいきなり襲いかかってきたそっちに言われたくねぇよ」
一応、刃が相手を傷つけないように気を遣っているが、暴れられるとそれも難しい。刹那は細心の注意を払いながら、相手にほどほどの威圧感を与えるように神威を握っている。
「ここら辺でアンタらと同じ夜の民の女の子見なかったか?」
「だ、誰がお前なんか――ひっ」
男の声が止まる。それもそのはずだ。彼の喉元数センチ先にあった刃が、今は喉に軽く触れているのだから。
「時間がねぇんだよ」
先ほどまでとは違い、刹那の纏う空気が剣呑なものとなる。事実、刹那はこの男がこれ以上逆らうようなら彼に傷の一つでも負わせるつもりでいた。それくらい今は時間が無いのだ。
「もう一回だけ聞くぞ?十三、四歳くらいの夜の民の女の子見なかったか?」
「み、見た!」
「どこに行った?」
「あっちだ、あっちに走って行った!」
男がおずおずと右腕を上げ、刹那から見て右手側を指差す。刹那はそれを確認すると、神威を退けて、そちらに走った。
「あんがとよ!」
背中越しにそう声をかけたが、膝から崩れ落ちているあの男にはちゃんと聞こえているかは怪しい所だ。
「尊ちゃん、無事でいてくれ」
男の指差した先ではいくつかの分岐点があった。刹那はその一つ一つを覗き込み、尊らしい子供がいないか確認する。しかし、そのどこにも尊はいない。その代り、お互いに罵り合い、傷つけあう昼と夜の民の姿がそこにあった。なんとも胸糞の悪い光景だ。
「昼の民だ!」
「やっちまえ!」
夜の民の一派が刹那を見つけ、先程の男と同じように襲い掛かってくる。だが、もう刹那には彼らを相手している時間は無い。
「どけェッ!」
神威を引き抜き、瞬時に飛旋へと変える。横薙ぎに振るうと、一陣の突風が吹き荒れ、刹那の目の前の夜の民たちを転ばせた。刹那はその隙に彼らを素通りし突き進む。これなら彼らを傷つけることも無いだろう。
「尊ちゃん!どこにいるんだッ?」
喉が枯れんばかりに声を張る。が、一向に彼女の行方は掴めないままだ。時間だけが無情に過ぎていく。
「何か、何か手はないのか?」
焦りが冷静な判断力を奪い、それが思考力を奪う。どうしても妙案が浮かばない。彼女を探すにはどうしたら良い?
お困りのようだね――
「――ッ!誰だ?」
聞き覚えのない声が頭に響く。周りを見回すが先ほどから邪魔をする人間は例外なく吹き飛ばしていたので、自分に話しかけている風な人物はいない。そもそも、この声は耳ではなく、頭に直接語りかけられているような気がする。
僕達が誰かなんてことはどうだっていいのさ。それより、人を探しているんだろう――
頭に響く声が変わった。複数いるのか?
手伝ってあげるよ――
「ホントにッ?」
嘘を言っても仕方ないさ。そのまま少し真っ直ぐ行って二つ目の角を曲がるんだ――
今の刹那は藁をも掴む思いだ。相手が誰だろうと何人いようと関係ない。助けてくれるというなら喜んで手を借りよう。この助言はありがたくいただくことにする。
今いる道を真っ直ぐに突き進み、二つ目の角を曲がった。少し小さい路地を抜けると、再び広い道に出る。
正面に同じような作りの四角い岩の様なものがいくつも並んでいる。その家々の間、狭い道の先に何人かの昼の民と夜の民が集まっているのが見えた。刹那は直感的にそこへと走った。
狭い道を抜け、広い場所に出る。舗装された道とは違う、土の地面。辺りに置かれた農具、どうやらこの家の裏は広い畑になっているようだ。
そこに昼と夜の民の集団が出来ている。今現在、彼らは争っていない。今まで見てきた光景からその異常に胸騒ぎを覚えた刹那は、人ごみをかき分けてその中心へと向かった。そこにいたのは――
「尊ちゃん!」
見間違うはずがない。そこには、刹那の良く見知った少女が、頭から血を流して地面に横たわっていた。