第百六十話 大切な場所へ
「怖い……」
尊は物陰に隠れてそっと表の様子を伺った。刹那の言いつけを守らず外へ出てきてしまったが、まさかこんなことになっているとは思わなかった。今日はなんだかみんなおかしい。普段家の中にいるはずの夜の民がこんなに早い時間に外にいるし、なぜか昼の民と殴り合っている。
「どうしよう」
ここは家から少し離れている。ここに来るまでにも昼の民に追いかけられ、何とか隠れてやり過ごすことは出来たが、これでは家に戻ることが出来ない。刹那の言いつけを守れば良かったと尊は後悔していた。
「助けて、刹那さん」
不安な気持ちに押しつぶされそうになる。ここには自分以外誰も居ない。助けてくれる者はいないのだ。
その時、物陰から音がした。
「誰ッ?」
「にゃー」
「猫……ちゃん?」
尊の目の前に一匹の黒猫が現れた。黒猫は尊をマジマジと眺めている。まるで、彼女を見定めているようだ。
「お譲ちゃん」
「えッ?」
猫がしゃべった?
「もう知っているかもしれないが、表は物騒だ。ここで大人しくしていろ」
「あ、あの、何があったんですか?昼の民の人と夜の民の人が争ってて、今までこんなことなかったのに……」
猫がしゃべるなんて信じられない。しかし、今は何があったのか知るのが先だ。
「どこかの余所者が陽燈の銅像を壊したのが原因だな。だが、もうそんなことは関係ない。長年積もってきたお互いへの不満がついに爆発したんだ。これは、どちらかが消えるまで終わることはないだろう」
「そんな……」
消えるまでとは、どういうことだろう。どちらかが死んでしまうということだろうか。それでは……
「とにかく君はここにいろ。そのうちお人好しの余所者が助けに来るだろう」
「あの、あなたはもしかして……」
「俺は通りすがりの黒猫だ。気にするな」
そう言い残し、黒猫はどこかへと去って行ってしまった。
「どちらかが消えるまで……あッ」
気付けば尊は走り出していた。
「ハァ……ハァ……」
自分はある場所に行かなければいけない。今行かなければ絶対に後悔する。そこはとても大切な場所。思い出の場所だ。この道を真っ直ぐ、次の角を右に曲がれば――
「お父さん!お母さん!」
そこは一見ただの四角い石に見える。だが、尊にとっては両親と過ごした大切な思い出のある場所だ。
入り口を開けて中に入る。両親は無事だろうか?
「お父さん!お母さん!」
返事が無い。外にいるのか?尊は外へ飛び出し、裏へと回った。
いた!数十人の昼の民と夜の民が睨み合っている中に両親の姿を見つけた。
「お父さん!お母さん!」
その声に一組の男女が振り向く。
「尊?」
「お父さん!」
「尊……ッ!」
尊と父親は久々の再会を果たした。だが、そこに尊の知っている優しい父親の姿はなかった。
「なぜ戻ってきた?お前は異端だ。私たちとはもう関係ない」
「え?」
突き放すような言葉。とてもここまで危険を冒し急いできた娘にかける言葉ではない。
「お母さん?」
尊が助けを求めるように母親の方を振り向いた。だが、母親は何も言わず、目を逸らした。
「そんな……」
目の前が真っ白になる。「私たちとはもう関係ない」。嘘だ。嘘だ。嘘だ。
「おお、実の娘を捨てるとは。さすがゴキブリ共だな!」
昼の民の一人があざ笑うようにそう言った。その声はこれ見よがしに大きく、他の昼の民たちも同調する。
「うるさい!私たちの娘などではない!これはお前らと同じ穢れた存在だ!」
「なんだとッ?」
尊の父親の一言が引き金となってそこにいた人々の感情が爆発する。一触即発だった雰囲気は一気に乱闘へと様変わりする。
「このゴキブリども!」
「消えうせろ劣等民族!」
手に持った道具でお互いを傷つけあう。男も女も、老人も若者も関係なく。
「やめて!」
「邪魔だ!」
尊は目の前の人々の戦いを止めようとしがみ付いたが、振り払われてしまった。地面に転がり、土を舐める。転んだ拍子に擦ってしまったのか、腕から血が出ている。
「やめてよぉ!」
「触るな!」
再び振り払われる。だが、諦めるわけにはいかない。このままじゃ、みんな死ぬまで終わらない。そんなのはダメだ。
「死ね!」
「くたばれ!」
父親と戦っていた相手が手に持ったスコップを振り上げた。それと同時に父親も木槌を振りかぶる。
「やめてぇ!」