第百五十九話 騒々しい朝
「起…て刹……」
心地よい夢の中にいた刹那の眠りを妨げる声と振動。誰かが自分を起こそうとしている。
「ん、んん~」
もう少し寝ていたい。その願望を果たすため、刹那は布団を頭から被り、外からの圧力を遮断した。
「起きて……刹……」
「んんんん~」
近くの時計に目をやる。なんだ、まだ六時じゃないか。もう少し寝かせてくれよ。
圧力は止まらない。だが刹那も諦めない。なんとしてもこの心地よい睡眠を守るのだ。しかし、彼の体を揺さぶる振動と声は止まず、彼の方が折れる形となった。
「起きて下さい、刹那さん」
「もうちょっと寝かしてくれよ、円ぁ~」
刹那は安眠を妨害する相棒の方へ非難の視線を向けた。だが、そこにいたのは見慣れた相棒ではない。
「尊ちゃん?あ、あぁ、そっか」
円はいなくなり、今は自分一人だったのだ。寝起きで混濁していた思考が段々と鮮明になっていくにつれて刹那は現実を思い出していった。
「あ、あの、すいません。でも、どうしても起きてもらいたくて……」
尊は左手で右手の指を隠しながらもじもじしている。
「何かあったの?」
「外が妙に騒がしいんです」
外が騒がしい?刹那は暗い部屋の中で耳をそばだてた。何かがぶつかり合う様な音と、人の怒声の様なものが聞こえてくる。
「祭り?」
「いえ、今はそういうのはやってないです」
ちょっとボケてみたのだが、生真面目な尊には通じなかったようだ。
「う~ん、ここにいちゃ何があったのかわからないな」
窓が一つもないこの家では外の様子を確認することは出来ない。外に出てみるしかないだろう。
「はい、だからちょっと様子を見てこようと思って」
「いや、俺が行く。尊ちゃんは昨日みたいなことがあるかもしれないから外に出ない方がいい」
昨日の出来事は未だに刹那の心に重くのしかかっている。あのようなことを二度と起こさせるわけにはいかない。
「でも……」
「ダメ。女の子を危ない目に合わせるわけにはいかない」
「……わかりました」
断固として譲るつもりのない刹那の意志を読み取ったのか、尊は素直に引き下がると、部屋を出て行った。それから程なくして刹那の変装用の布を持って帰ってくる。刹那はそれを身に着け、念のため神威を持つと家の入口に向かった。
「絶対に外に出ちゃダメだよ?良いね?」
念を押す刹那に、尊はしっかりと頷く。
「気をつけてくださいね?」
「大丈夫。こう見えて、俺、結構強いんだよ?」
「……」
笑いながら自分の二の腕を叩く刹那を見ても、尊はまだ不安そうだ。
刹那はそんな彼女の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
「ちゃんと帰ってくるから。心配しないで」
それだけ言うと、刹那は外へと出て行った。暗い部屋に慣れてしまったせいか外の明るさが目に痛い。右手で遮りながら少しずつ光に慣れた目を開く。家の前は特に変わった様子はない。
「さて……」
もっと何かあるかと思っていたが、正直拍子抜けだ。これなら心配するようなことは……
「キャーッ」
「――ッ!」
女の叫び声。
その発生源は大通りの方だ。どうやら、向こうに行けばいいみたいだな。
「――ッ?なんだこれッ?」
大通りに出て行った刹那の目に映ったものは悲惨な光景だった。所々に人が倒れ、皆一様に血を流し、意識のない者もいる。立っている者は皆お互いに殴りあい罵りあっている始末だ。一体何があったというんだ?
「お前らなんてずっと家の中にいればいいんだ!出てくるな!このゴキブリ共!」
「なんだとッ?明るいうちにしか外に出られない劣等民族が!」
男が二人罵りあっている。片方の男は普通に見かけるような一般的な姿の服。もう片方は全身黒ずくめで、顔にまで黒い布を着けていた。どうやら、昼の民と夜の民のようだ。少し移動してみるが、どこも同じような光景が広がっている。なぜかは分からないが、ついに二つの民が正面衝突を始めてしまったようだ。
しかし、昼の民はまだしも、なぜ夜の民まで外に出ているのか。
朝早いとは言っても、外はもう明るい。夜の民はもう外にいる時間ではないはずだが……。
「陰軌様の銅像を壊しやがって!絶対に許さんぞ!」
「先にやってきたのは貴様らだ!」
銅像を壊した?……嫌な予感がする。
「わざわざ余所者の格好をして誤魔化そうとしやがって。それともあれか、金を払って依頼したのか?どっちにしても汚い奴らだ!」
「言いがかりをつけてくるとは、劣等民族らしいな!」
間違いない。刹那のことだ。おそらく、昨日尊と一緒にいた所を見られて勘違いされたのだろう。夜の民によって陽燈の銅像を壊されたとあっては、彼らも黙っていないだろう。
これは早く戻って尊に教えてやらなければ。刹那は大急ぎで尊の待つ家へと戻った。
「尊ちゃん!」
家の中に入り尊を呼ぶが返事が無い。奥にいるのだろうか。
「尊ちゃんッ?」
再び、今度は先ほどよりも大きな声で呼んでみるが何の反応も返ってこない。部屋の中を探し回ってみたがそこに彼女の姿はなかった。
まさか、外に出たのかッ?
「出るなって言ったのに!」
くそっ、無事でいてくれ――
刹那の内心は穏やかではなかった。周りの人間たちはかなり興奮状態にある。おそらく女子供の分別などつかないだろう。一刻も早く彼女を見つけなければ。
土地勘の無い刹那は闇雲に探し回るしかない。時間はかかってしまうかもしれないが、それでも動き回った方が良いはずだ。