第百五十八話 必ず
「うめぇ!」
刹那は尊の作った手料理に舌鼓を打っていた。テーブルに並べられた料理はどれも美味しく、とてもこの年の少女が作った料理とは思えないほどの腕前だ。
「えへへ、今日は刹那さんがいらっしゃるんでちょっと奮発しちゃいました。いつもはもっと簡単なやつなんですよ?」
いつも自分のためだけに作っている料理が他人に褒められたとあって、尊はとてもうれしそうだ。
「これだけ料理が出来るなら、尊ちゃんは良いお嫁さんになれるよ。俺が保証する」
「ふふ、そうですか?」
昼間のあの出来事が嘘のように夕食は楽しい空気に包まれていた。あの後、刹那はすぐに尊の家に戻り、彼女の傷の手当てを行った。幸い、彼女の怪我は見た目ほど酷くはなく、その場にあった薬などで対応できるものだった。
傷の手当てをした後、刹那が制止するのも聞かずに尊は彼の為に料理の腕を振るってくれた。だが、この料理の味からして、尊の世話になったのは正解だったようだ。
「ふ~、食った食った」
食事を終えた刹那が椅子の背もたれによりかかると、尊は立ち上がりテキパキと皿を片付け始めた。その姿を目で追って刹那も腰を上げた。
「あ、俺も手伝うよ」
「良いんです。刹那さんはお客さんなんですから、ゆっくりしててください」
そういうわけにはいかないと、刹那が動き出そうとした頃には、すでに尊が皿を片付け終わってしまっていた。本当に手際が良い。
「あの、刹那さん、聞いても良いですか?」
「なに?」
皿を片付け終わった尊はポットに紅茶を淹れて、それを刹那のカップと自分のカップに注いだ。湯気を上げながら漂う甘い匂いがとても心地よい。
「あの時誰を見つけたんですか?」
「え?」
「買い物が終わった後、刹那さん走って行っちゃったじゃないですか?『円!』って叫びながら」
「あぁ、アレか」
結局円は見失い、その上、尊には怪我までさせてしまった。あまり思い出したくない出来事だ。思わず顔も苦々しいものになってしまう。
「あ、あの、刹那さん、私あの事だったら気にしてませんから」
刹那の顔を見て尊が気をまわしてくれる。いかんいかん、辛いのは彼女の方なのだ。自分の方が気を遣われてどうする。
刹那は気を取り直して努めて明るく話し始めた。
「円ってのは、俺の旅のお供さ」
「へぇ、どんな人だったんですか?」
「ん~、尊ちゃん、猫が喋るって言ったら信じる?」
「え?」
それから刹那は円との出会いからゆっくりと尊に話し始めた。
「そしたらアイツ、二日酔いになってゲロ吐いてやんの。まったく、おっさんかっての!」
「ふふふ、そんな言い方したらかわいそうですよ」
刹那の口から出てくる円という不思議な猫の話を尊は気に入ったのか、先程からずっと笑い通しである。
「そう言えば、どうして刹那さんと円さんは今別行動してるんですか?」
「――ッ!」
刹那の表情が固まる。それを見た尊の目がまずいものを見てしまったかのように少し開かれ、そして視線を下に向けた。
「刹那さん、ごめんなさい、私、余計なことを……」
沈黙。
お互いに口を利かなくなり、紅茶の湯気だけがその場で動いている。
やがて、その沈黙を破ったのは刹那の方だった。
「俺にも分かんないんだ。だけど、大丈夫」
「大丈夫?」
「あぁ、前もこんなことがあったけど、円はちゃんと考えてるから」
そう、以前仲違いした時も円はちゃんと自分のことを考えてくれていたのだ。だから、自分はアイツを信じよう。きっと戻ってくる。理由は、その時に聞けばいい。
「信頼してるんですね、円さんのこと」
「まあ、頼りにはしてるかな。アイツ、猫にしてはしっかりしてるから」
それからまた刹那による円との旅の思い出が語られ、見る見るうちに時間は過ぎて行った。
「ふぁ~」
刹那が欠伸を漏らす。見れば、もう真夜中と言っても良い時間だ。
「もうこんな時間だ。あ、尊ちゃんは夜の民だからまだまだ大丈夫なのかな?」
「いえ、私も一人になってからは昼の人たちと同じ生活時間だったので、夜は眠いんです」
それを聞いた刹那は「子供がこんな時間まで起きていちゃダメだ」と、まるで保護者の様な事を言って尊を寝かしつけると、自分もそそくさと床に就いた。しかし、どうも寝付けない。
先ほどまで欠伸交じりですぐ寝れると思ったのだが、いざ寝るとなるとどうも上手くいかない。仕方なく、彼は暗い部屋の中で一人考えを巡らした。
尊を救う、それには昼の民と夜の民の争いを止めるのが必要不可欠だ。では、どうすれば昼の民と夜の民の争いを止めることが出来るか。先ほどからずっとそれについて考えているが、一向に答えが出る気配はない。
「う、ううう、うううう」
「――?」
悩む刹那の耳に呻き声のような音が聞こえてきた。この声は尊のものだ。
「うううう、うううう!」
苦悶の声。刹那はすぐさま寝床から飛び出ると、尊の元へと急いだ。
尊の家はお世辞にも広いとは言えず、客人にたった一つのベッドを貸してしまった尊はボロボロのソファーの上で横になっていた。
「うう、ううう」
「あ……」
近づいてみて分かったのだが、どうやら苦しんでいるわけではないようだ。
どうやら、泣いているらしい。怖い夢でも見ているのだろうか。
「ううう、お父さん、お母さん……」
「――ッ!」
涙を流し、ずっと父親と母親を呼んでいた。しっかりしているとは言ってもまだ子供、親の愛情が必要な年だ。
「嫌だよ、お父さん、お母さん、離れたくないよ……」
「……」
家を出た時の夢を見ているのだろうか。幸せだったはずの日常が突然崩れる。それは彼女にとってあまりにも不幸な出来事だ。
刹那が黙って尊の手を握ってやる。するとどうだろう、先ほどまで悲しそうな表情を浮かべていた尊がにっこりとほほ笑んだ。きっと、夢の中で両親に再び出会えたのだろう。
刹那は尊の手をゆっくり解くと静かにその場を後にした。
小さな子供が一人で必死に耐えている。誰にも助けを求めることが出来ず、たった一人で耐え続けている。
こんなことがあって良いのか?いや、あって良いはずがない。それもこれもこの町のやつらがお互いに恨みあってるからいけないんだ。昼の民と夜の民だか知らないが、女の子を泣かせるような下らないしがらみは俺がブチ壊す。
あの子を助けよう。必ず――
刹那は固く心に誓うのだった。




