第百五十六話 お買いもの
予知能力の少女、尊に協力を約束した刹那は、黄夜に滞在する間、尊の元に身を寄せることとなった。着て早々に問題を起こしてしまい居場所がなかった刹那としてはとてもありがたい話だ。
というわけで、今彼らは今日の食事の買い出しに出かけている。刹那は顔に布を巻いて変装し、尊は明るい服装に、昼間の日差しは目に強すぎるということで、色つきの眼鏡をかけて歩いていた。
「苦しくないですか?すいません、夜に行動出来ればよかったんですけど……」
申し訳なさそうに尊は下を向いてしまう。
「気にしないでよ。それより、目大丈夫?」
「はい、これをつけてるおかげでずいぶん楽です」
夜に生活する分には黒い布だけで十分なのだが、昼間の日差しはあの黒い布だけでは厳しいらしい。また、露骨に昼の民の前で夜の民の姿をすれば何をされるか分ったものではない。
「それで、何を買うんだっけ?」
「お野菜とお肉を。ここにメモしてきてあります」
尊が差し出したメモを見た刹那はしばらくそれを見て尊にメモを返すと周りを見回した。辺りにはいろいろな店が出ており、それのどこも買い物客で賑わっていた。
「うん、見た感じ野菜はあっちで買えそうだし、肉はこっちで買えるな、よし。尊ちゃん、手分けして買いに行こう」
「え?」
「店がバラバラだし、手分けした方が早いよ。俺、あっちで野菜買ってくるからさ。終わったら合流しよう」
「あの!」
「じゃあ行ってくる」
尊の制止を聞かずに刹那はあっという間に人ごみの中に消えてしまう。
「さぁ!見てってよ!なんとこの鍋、焼く、蒸す、煮る、何にでも対応してるんだ。これ一つあればもういちいち違う鍋を出す必要はない。かさばって収納場所に困ってた昨日までの自分にさようならだ!」
「すげぇ!」
野菜を買い終わった刹那は、気付けば実演販売の前でそこらの奥様と一緒に巧みな販売員の話術の虜になっていた。
「それにこの鍋、なんと焦げ付かない!もうタワシでゴシゴシ洗う必要なんてない!」
「おぉ!」
周りの主婦と一緒に驚きの声をあげる刹那の背後に、着々と忍び寄る黒い影。
「刹那さん!」
「うぉ!」
突然背後から声をかけられ、刹那は驚きのあまり飛び跳ねた。振り返れば、そこには腰に手を当てて目を吊り上げる尊の姿。
「や、やあ尊ちゃん」
「『やあ』じゃありません。なにしてるんですか?」
どうやら怒っているらしい。しかし、もともとあまり気が強い方ではないのか、怒ってもあまり怖くない。
「あ、いや、この鍋便利だから一つぐらいあっても良いかな~、なんて……ダメ?」
「ダメです」
怖くはない。怖くはないのだ。だが、自分を見据える彼女の瞳には確固たる意思が伺える。これを説得するというのはなかなか骨が折れそうだ。
「そこを何とか……」
「ダメです」
「でも……」
「刹那さん?」
「はい」
尊が一呼吸おいて再び刹那を見据える。なんだろうこのある種の迫力は?
「無駄遣いはいけません」
「……はい」
尊に諭され、刹那が折れる形となる。彼女は円とはまた違った手強さがある。
「はぁ、あの鍋欲しかったなぁ」
買い物の荷物を尊の分も持ちながら、未だに鍋を諦めきれない刹那はそんなことをボヤきつつ歩いている。
「ダメです。刹那さんは旅をしてるんですから、もっと計画的にお金を使わないと」
「はぁ~」
尊の言っていることは正しい。刹那はこれまで、町や村の途中で見つけた動物を狩り、それを買い取ってもらう形で旅銭を稼いできた。正直言ってあまり金銭に余裕があるわけではない。加えて、今までは円と言うお財布の紐がいたのだが、一人となった今はその紐が緩みっぱなしなのだ。
「ちょっとぐらい贅沢しても……」
「何か言いましたか?」
「何でもないです」
なぜかこの子には頭が上がらない。自分の方が――たぶん――年上なのに情けない話だ。何とかして年上の威厳を……
「あ……」
突然尊が立ち止まる。何か買い忘れでもあったのか?
「どうしたの?」
刹那が尊の視線の先を追う。そこには、母親と、尊より五歳ほど小さい女の子の姿があった。
「お母さん、これ買って!」
彼女が指差した先には甘い匂いを漂わせるものがあった。どうやら、パンを揚げてそれに蜂蜜を塗ったお菓子らしい。
「買って買って買って!」
「仕方ないわね」
娘にせがまれ、母親は仕方なくそれを一つ購入し娘に手渡した。彼女はそれを嬉しそうに頬張っている。
尊は彼女たちの姿を黙って見つめている。その目に羨望の色が見える。
お菓子が欲しいのではない。家族が欲しいのだ。
彼女の目が無言でそう語っていた。
周りから蔑まれ、家族からも放り出された彼女は一人だ。その辛さは想像に難くない。ましてや彼女はまだ小さい。親の愛情を受けて然るべき年頃だ。
「――ッ!刹那さん?」
驚く尊を余所に、刹那は空いた手で彼女の手をしっかり掴んでいた。
「尊ちゃん、あれ食べたくなっちゃったんだけど、無駄遣いしちゃダメかな?」
子供っぽい笑顔を尊に向ける。彼女はしばらく下を俯くと、刹那と同じような笑顔を返してきた。
「私もです」
それから刹那と尊でそれぞれ一つずつ菓子を買い、それをベンチに腰掛けながら頬張った。揚げたてのそれは、熱々で蜂蜜が良く絡んでとても甘かった。
「私出すって言ったのに」
尊が自分の分を買おうとしたのを刹那が制止し、自分と彼女の分を払ったことに尊は少し不満顔だ。
「良いんだって。こういう時は大人に甘えなさい」
「刹那さんの方が子供っぽいですよ?」
「なにッ?」
「フフフ」
尊が笑う。年相応の良い笑顔だ。
「まったく、そんなことばっかり言ってるとアイツみたいになっちゃうよ」
「アイツ?」
「あぁ、そいつは嫌味ったらしくて、とても性格が悪い」
『アイツ』のことを想像しながら刹那が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そんな人がいたんですか?」
「まあ正確には人じゃないんだけど。そうだな丁度あんな――ッ!」
言葉の途中で刹那の動きが止まる。
「刹那さん?」
「円!」
刹那は走り出していた。彼の目にはもはや尊は映っていない。いや、彼女以外の人間も全く映っていなかった。なぜなら、彼の視線の先には見慣れた黒猫の姿があったのだから。




